0146.警察署の痕跡
ソルニャーク隊長が、手振りで行き先を示して警察署の裏手に回った。
ロークがついて行くと、裏道は全壊の瓦礫で完全に埋もれて通れない。
「生存者が必ずしも善人とは限らん。念の為、一棟ずつ確認しよう」
隊長の囁きに二人は小さく頷いた。
警察署も放送局同様、建物本体はほぼ無事だが、窓ガラスは一枚もない。一階の窓には全て鉄格子が嵌り、侵入できなかった。
隊長が、壁で身を隠して割れた窓から内部を窺う。
ロークもそっと覗いてみた。
事務室は爆風で荒れ果て、人の気配はなく、雑妖も居ない。
三人は足音を忍ばせて隣室も覗いた。ここも同様。
裏手の部屋を全て確認し、鍵が開いたままの通用口から侵入する。
ソルニャーク隊長が、しゃがんで床を調べた。
アウェッラーナは周囲を見回し、壁に手を触れて建物の状態を調べる。
ロークには、何を調べればいいかわからない。取敢えず、外から来るものがないか、通用口の外へ気を配った。
「……人が通った様子はないな」
隊長が、立ち上がりながら呟いた。
廊下には、ガラス片や剥落したモルタルなどが手付かずで散乱する。その上に灰や煤が降り積もり、全体が埃っぽい。
「少なくとも、通用口から出入りした者はないようだ」
「建物の魔力は、まだ残っているみたいです」
湖の民が、壁から手を離して言った。
モルタルなどは剥がれたが、壁や柱、梁などの構造物は【巣懸ける懸巣】学派の術に守られて無事だと言う。
隊長が足音を殺し、身を低くして廊下の奥へ向かう。
緑髪の薬師は、手振りでロークに待つよう示した。ややあって手を降ろし、少し間を開けて隊長について行く。
ロークも、なるべく足音を立てないように爪先立ちで続いた。
先頭を行く隊長が、振り向かずに手振りで二人を止まらせた。再びしゃがんで、床を調べる。
左右を見回し、そろりそろりと腰を上げる。
身振りで呼ばれ、二人は無言で追い付いた。
「廊下を通った形跡がある」
「えっ? まだ、誰か……居るんですか?」
ロークは掠れる息に問いを乗せた。隊長が廊下の奥から目を逸らさず、首を横に振る。
「わからん。だが、慎重にな」
三人は神経を研ぎ澄ませて先へ進んだ。
廊下は相変わらず瓦礫や破片が散乱するが、言われてみれば、確かに何往復かしたらしく、ガラスやモルタルの破片が粉々になった道が見て取れた。
通路の片付けをする間もなく、慌ただしく出入りしたようだ。踏み跡はトイレ前が多いが、事務室にも続く。
今は静まり返り、三人の息遣いさえはっきりと聞こえる。
玄関を入ってすぐの相談窓口に出た。
ここも廊下と同じ状態だが、部屋の隅にゴミ袋が積んである。
ソルニャーク隊長がゴミ山に近付き、口が開いたままのひとつを覗き込む。中身は保存食のパッケージなどだ。
警官か市民が、空襲後もここでしばらく過ごしたのだろう。
今は無人だ。
正面のカウンターに貼られた紙が風に揺れる。A3サイズのコピー用紙に油性マジックで走り書きしてあった。
◆お知らせ◆
クブルム山脈沿いの諸都市は、空襲により甚大な被害を受けました。
安全確保と支援の集約の為、この付近には避難所が開設されません。
北部へ避難して下さい。
二月四日現在、最寄りの避難所はキパリース市です。
ラジオなどで最新の情報を確認し、速やかに避難して下さい。
◆ゼルノー市 セリェブロー警察署◆
後半二行は、赤線を引いて強調してあった。
「えーっと、じゃあ、この辺には、もう誰も……残ってないってコトですか」
「……我々のような逃げ遅れが居るかも知れんがな」
ロークが恐る恐る聞くと、ソルニャーク隊長はカウンター内に入って答えた。
床に転がった電話を拾って椅子に置く。受話機をセットし直して手に取り、数秒、無言で耳に押し当てる。
ロークとアウェッラーナは、固唾を飲んで見守った。
「……どこにも繋がっていない」
隊長は溜め息を吐き、受話機を置いた。
停電中でも、アナログ電話は電話線が生きていれば使える。
「じゃあ、回線自体、ダメになったんですね」
「内戦中はどうやって連絡してたんですか?」
ロークの質問にアウェッラーナは一瞬、言葉に詰まったが、静かな声で応えた。
「私たちは、【遠話】の魔法で連絡していました」
「それって、どんな術ですか?」
「呪文と印を描いた板を四等分して、その板切れに魔法を掛けるんです。効力は十日間。その板を持っている人同士でなら、遠くに居てもお話できるんです」
アウェッラーナは、申し訳なさそうに説明を続けた。
インクは何でもいいが、呪文を書く板の種類は糸杉のみ。【編む葦切】学派の術で、【思考する梟】学派の薬師である彼女はその呪文を知らなかった。
湖の民の薬師が俯く。
「ごめんなさい。お役に立てなくて……」
「いっ、いいえッ。そんなコト……俺なんてもっと役立たずだし……」
ロークが慌てて言い繕うと、ソルニャーク隊長は、苦笑してこちらに出て来た。
「そのような術では、どの途、電話の代わりにならんさ」
無事な地域の役所へは、問合せできない。
……お巡りさんも役所の人も居ない。連絡もできない。ないない尽くしだな。
少なくとも、空襲の翌日までは、ここに市民が居た。
食糧は放送局の食堂のようには残らなかっただろう。
☆生存者が必ずしも善人とは限らん……「083.敵となるもの」~「085.女を巡る争い」参照
☆放送局の食堂……「0121.食堂の備蓄品」~「0123.みんなで料理」参照




