1419.叶えたい願い
みんなを前にして、そんなことを言っていいものなのか。
少年兵モーフは言葉に詰まったが、指示を仰ごうにも、ソルニャーク隊長はアミトスチグマ王国から遠く離れたネモラリス島に居る。
戸を叩く軽い音で、モーフは身を固くした。
クルィーロが開けると、紅茶の香りが白い部屋にふわりと入った。
「お茶の時間でございます」
「ありがとうございます。後は私がしますね」
「左様でございますか。では」
女の人は、針子のサロートカにお茶の乗ったワゴンを預けて出て行った。
「立ち話もアレだし、座ってゆっくり……できるのよね?」
「後は市場でちょいと買出しして帰るだけだ」
葬儀屋のおっさんが、交換品の詰まった袋をポンと叩いて、近所のねーちゃんアミエーラに答えた。
椅子を寄せ集めて、ファーキルの席を囲んで座る。
紅茶が、トラックでみんなと飲むいつもの物より美味くて、モーフは何だか悔しくなった。
「で、モーフ君……だっけ? 君が命を懸けてでも叶えたい願いって何?」
黒髪の歌手は、目付きがやたら鋭い。
モーフは、アルキオーネと呼ばれた歌手の黒い瞳を見詰め返して聞いた。
「いつのハナシ?」
「は?」
アルキオーネがポカンとする。他のみんなも、目を丸くしてモーフを見た。
……俺、そんなヘンなコト言ったか?
「えーっと……取敢えず、今までにそう思ったの、順番に教えてもらってもいいかな?」
ファーキルが聞くと、アルキオーネは気を取り直した顔でモーフを見た。
モーフは手近な机に紅茶を置いて言う。
「えっと、最初は……言っても怒んねぇ?」
何となく怖くなってクルィーロを窺う。
魔法使いの工員が、小さく息を呑んで顔を強張らせ、隣に座る妹をチラ見する。アマナは立派な茶器を両手で持って唇に当てたが、飲まずに動きを止めた。
「最初とは、いつのことだね?」
ラクエウス議員が楽器を横の机に置いて、紅茶を手にする。リストヴァー自治区の偉い人に聞かれ、モーフは膝の上で両拳を握って俯いた。
「父ちゃんが工場の事故で死んだ時……姉ちゃんは足がアレだし、ババアは歳だし、俺と母ちゃん二人でみんなを養うって言うか、今度は俺が父ちゃんの代わりに死んでもみんなを守ンなきゃって、腹括って、学校行くのやめて、工場で仕事始めたんだ」
近所のねーちゃんアミエーラが声を震わせる。
「小学校の頃から、ずっと……家族を養う為なら、死んでもいいって……?」
モーフは小さく頷いた。
ねーちゃんのお裾分けがなかったら、モーフの一家は間違いなく、飢え死にしたに違いない。
「周知が足りず、すまなかった」
何故か、ラクエウス議員が項垂れた。
モーフが首を傾げると、ねーちゃんが消えそうな声で、代わりに聞いてくれた。
「周知って……?」
「自治区では、労災事故の遺族に年金が支給され、未成年の子は成人年齢に達するまで、食糧の現物支給と医療費の補助を受けられるのだよ」
「えっ……?」
ねーちゃんは驚いたが、モーフには難し過ぎてよくわからなかった。
「支給には、役所への届出が必要だ。通常は、事業所が労災事故の報告と共に申請するが、申請がない場合は、遺族が役所の窓口へ直接申し出ても受理される。それをもっと周知しておれば……」
「私がもっとちゃんと店長さんに伝えていれば……」
ラクエウス議員が震える声を床に落とし、ねーちゃんが泣きそうになる。モーフは、ねーちゃんの雇い主が、ラクエウス議員の姉ちゃんなのを思い出した。
……でも、そんなのねーちゃんのせいじゃねぇし。
「いや、いいんだ。俺だって仕事キツくて何もかんも放り出して逃げて、隊長に拾われたんだ」
「星の道義勇軍のソルニャーク隊長?」
ファーキルの確認に頷くと、記憶が次々口をついて出た。
「空家を壊して廃材で箱作って、シーニー緑地の土入れて小せぇ畑作ったり、聖典のコト教えてもらったり、戦闘の訓練したり、自治区の外のハナシ聞いたり……身体はキツかったけど、工場で仕事してた頃よりずっと、気持ちはラクだった」
「その頃の君の願いって何? 家族を守るより大事なコトができたのよね?」
アルキオーネは相変わらず、モーフをキツい目で見る。
モーフは、黒髪の歌手の強い視線から逃げずに答えた。
「最初は何も……その日、生きるだけで精一杯だったんだ。でも……」
「でも、何?」
「自治区の外のコト聞いてる内に、俺らがゴミ溜めみてぇなとこ住んでんのって、フラクシヌス教徒の魔法使いのせいだって思うようになって」
「すまなんだ。儂の力が足りんばかりに……」
自治区唯一の国会議員が、俯いて肩を震わせる。
魔法使いの工員が目を伏せ、彼の妹がオロオロしてみんなを見回す。
「……爺さん一人のせいじゃねぇよ」
「じゃあ、誰のせいだっていうの?」
アーテル人のアルキオーネが聞く。
「わかんねぇけど、自治区じゃ区長とか星の標の連中が幅利かせてて、センセイがおっさんの足治したら、おっさんの身内はあいつらに皆殺しにされたんだ」
ねーちゃんの後輩サロートカが下唇を噛む。
「あいつらはそうやって、外の奴を憎むように仕向けて、俺はあの頃、本気で魔法使いを皆殺しにすりゃ、自治区のみんなが助かると思ってた」
「それって、実行したの?」
アルキオーネに真っ直ぐな目で聞かれ、少年兵モーフは正直に頷いた。
「ゼルノー市襲撃作戦の時は、殺されたっていいから、一人でもたくさん魔法使いを殺したかった」
アルキオーネは眉ひとつ動かさず、モーフの話に耳を傾ける。
「でも、今は、魔法使いの人と一緒に居るのよね?」
黒い瞳が、葬儀屋のおっさんと魔法使いの工員に向いたが、二人とも何も言わなかった。
「センセイの魔法で閉じ込められて、俺らをブチ殺すっつったおっさんが居たけど、警察が来て命が助かって、檻の車に入れられたんだ」
「ゼルノー市警がテロリストを助けたって言うの?」
アルキオーネが信じられないと言いたげに声を上げると、工員クルィーロが静かな声で言った。
「普通に逮捕されただけだよ。セプテントリオー呪医が武装解除させたし」
「檻の車に居る時、薬師のねーちゃんが焼魚くれたんだ。俺、あんな美味いモン食ったの生まれて初めてで」
「それで一緒に居るの?」
アルキオーネが、わざとらしく呆れてみせる。
歌手の三人は、表情を動かさずにモーフを見詰めた。
☆父ちゃんが工場の事故で死んだ……「0037.母の心配の種」「0053.初めてのこと」「1057.体育と家庭科」参照
☆ねーちゃんのお裾分け……「0098.婚礼のリボン」「0109.壊れた放送局」参照
☆空家を壊して(中略)自治区の外のハナシ聞いたり……「0038.ついでに治療」「0046.人心が荒れる」参照
☆身体はキツかったけど、工場で仕事してた頃よりずっと、気持ちはラク……「0117.理不尽な扱い」参照
☆儂の力が足りん……「0026.三十年の不満」参照
☆センセイがおっさんの足治したら、おっさんの身内はあいつらに皆殺しにされた……「0017.かつての患者」「0018.警察署の状態」「551.癒しを望む者」参照
☆サロートカが下唇を噛む……「560.分断の皺寄せ」「561.命を擲つ覚悟」「859.自治区民の話」参照
☆ゼルノー市襲撃作戦……「0006.上がる火の手」~「0026.三十年の不満」参照
☆殺されたっていいから、一人でもたくさん魔法使いを殺したかった……「0018.警察署の状態」「0019.壁越しの対話」「0037.母の心配の種」「0038.ついでに治療」参照
☆センセイの魔法で閉じ込められ(中略)おっさんが居た……「0017.かつての患者」~「0019.壁越しの対話」参照
☆警察が来て命が助かって、檻の車に入れられた……「0037.母の心配の種」参照
☆檻の車に居る時、薬師のねーちゃんが焼魚くれた……「0045.美味しい焼魚」「0046.人心が荒れる」参照




