1417.能力を見る目
家主のマリャーナは、アミトスチグマ王国で指折りの大企業、パルンビナ株式会社に勤める。ドーシチ市のアウセラートルのような元貴族ではなく、民間企業の偉い人だ。
元々金持なのかも知れないが、移動放送局プラエテルミッサや、ラクエウス議員たち、武力に依らず平和を目指す者たちに気前よく色々してくれる。
総合商社パルンビナ株式会社の支援がなければ、麻疹のワクチンが、ネモラリス島北東部の田舎には届かなかっただろう。
マリャーナの白い屋敷は、王都ラクリマリスで見たフラクシヌス教の神殿より立派だった。
家の中も、どこもかしこも真っ白だ。壁や天井、床の隅にまで呪文を彫ってあるが、埃ひとつなく、遠目には何もないように見える。
清潔すぎて居心地悪いが、そう感じる自分がバイ菌のように思え、モーフは逃げ出したくなった。
「取敢えず、お鍋とかはここに置いて、忘れない内に楽譜を」
近所のねーちゃんアミエーラが案内してくれたのは、服を作る作業部屋だ。ピナと同じか、少し年上くらいの陸の民の女の子が、縫物の手を止めてこちらを向く。
「よぉ嬢ちゃん、頑張ってンなぁ」
「アゴーニさん、お久し振りです。あ、重いですよね? お鍋はこちらに」
女の子が戸の横を掌で示した。調理器具が詰まった段ボールが幾つもある。
モーフは、ねーちゃんに倣って鍋とフライパンを分けて入れ、クルィーロとアマナも、リュックの中身を分類に従って置いた。
「これ、嬢ちゃん一人でイチから作ったのか? 大したモンだ」
葬儀屋のおっさんが感心すると、女の子はほんのり頬を染めた。
「でも、これ、聖典に書いてある通りにしただけですよ」
「聖典?」
モーフがギョッとして声を上げると、女の子はびくりと身を竦ませた。ねーちゃんが、取り成すような笑顔を作って二人の間に立つ。
「この子は私が自治区を出た後、仕立屋の店長さんに雇われて、色々あって星道の職人用の聖典を預かって、ここまで来たの」
「えっ? じゃあ、センセイと一緒に自治区から出て来たのって……?」
「はい。私、サロートカって言います」
女の子が名乗ると、金髪の兄妹も呼称を名乗った。
「あなたが作詞者のアマナさん?」
「えぇッ? 作詞者とかそんなんじゃ……私だけじゃなくてみんなで作ったし」
アマナが顔の前で両手を振って赤くなる。
「でも、中心になって作ったんでしょ? 歌のお陰で寄付が集まって、難民キャンプの人たちが凄く助かってたし、やっぱり凄いのよ」
「わ、私はフツーで取り柄とか何もないけど、サロートカさんは、キルクルス教徒なのにこんな遠くの魔法の国まで旅する勇気があって、お裁縫だってこんなに上手で……私だったらこんな複雑な刺繍、難しくてできないのに」
クルィーロが困った顔で、項垂れた妹の肩を抱き寄せた。
……コイツ、何の取り柄もねぇとか、何言ってんだ?
少年兵モーフは、アマナが自分自身をそんな目で見るのが不思議だった。
頭が良くて、たくさんの本を読める上にその内容もすぐ理解できる。
力なき民だが、魔法使いの兄貴から少し教わっただけで、力ある言葉を覚えた。力なき民でも【魔力の水晶】で使える術は、すぐ使いこなせるようになった。
パン作りや行商の手伝いも、ピナたちから少し教わっただけで、すぐできるようになった。
裁縫だって、ランテルナ島の拠点に居た頃、ねーちゃんに教わってみんなの夏服を拵えた。プロのねーちゃんと比べれば確かに下手だが、それでも、小学生の女の子が、ちゃんと着られる服を作り上げたのだ。
モーフから見れば、アマナは充分過ぎるくらい凄い。
……それに比べて俺は。
まだ小学校の教科書を読むのがやっとで、新聞も報告書も小説の本も、まだまだ難しくて読めなかった。
教科書の内容も、自分で読んだだけではあまりわからない。字が少し読めるようになっただけではダメなのだと思い知らされた。
行商も、客を怒らせるのが怖くて接客を避け、設営と蔓草細工作りにしか手を出さない。裁縫に到っては、何をどうすれば、一枚の布が服になるのかさえわからなかった。
一瞬で頭の中が暗い思いでいっぱいになる。
「ほー、嬢ちゃん、この刺繍スゲーな」
葬儀屋のおっさんが能天気な声を出し、場の空気が少し軽くなった。
「図案、私が考えたんじゃなくて、聖典に載ってるのそのまんまですよ」
「ハナシにゃ聞いてたが、こいつぁ確かに力ある言葉の【魔除け】だな」
「はい。ボランティアの職人さん……【編む葦切】学派の人にも言われました」
……これが聖典に載ってるって言う魔法?
モーフは平和の花束が歌った「真の教えを」を思い出し、作りかけの服に見入った。
「キルクルス教の夏祭りで、舞い手が着る衣裳なんです。その踊りもここに」
サロートカが、星道の職人用の聖典を捲る。
イーヴァ議員のアジトで見た聖職者用より薄いが、リストヴァー自治区の東教会で礼拝に使う一般信徒用よりずっと分厚く、モーフは圧倒された。
針子の手が、人の絵がたくさん描かれたページを開いて止まる。
「その職人さんが言うには、この振り付けも【踊る雀】学派の【魔除け】や【祓魔】の魔踊なんだそうです」
「まよう?」
モーフは聞き慣れない単語に首を傾げたが、アマナは瞳を輝かせて食いついた。
「呪文を唱えなくても、踊りの動きだけで効果が出る魔法ですよね? サロートカさん、踊れるんですか?」
「少しだけ……」
針子のサロートカは、自信なさそうに俯いたが、アマナはぐいぐい行く。
「後で教えてもらってもいいですか?」
「えっと、私もまだ、人に教えられるくらい上手くないから……えっと、この部分、コピーしてもらいますね」
「楽譜もらうついでにさせてもらえばいいわね」
ねーちゃんが言うと、後輩のサロートカは勢いよく頷いて、栞を挟んだ。
☆ドーシチ市のアウセラートルのような元貴族……「264.理由を語る者」参照
☆総合商社パルンビナ株式会社の支援……「1058.ワクチン不足」「1265.お役所の障壁」「1267.伝わったこと」参照
☆私が自治区を出た後、仕立屋の店長さんに雇われ……「294.弱者救済事業」「311.集まった古着」参照
☆星道の職人用の聖典を預かってここまで来た/センセイと一緒に自治区から出て来た……「582.命懸けの決意」「629.自治区の号外」参照
☆作詞者のアマナ……「209.森と枯れ野で」「210.パン屋合唱団」「275.みつかった歌」「452.歌う少女たち」参照
☆歌のお陰で寄付が集まって……「290.平和を謳う声」「324.助けを求める」「402.情報インフラ」参照
☆ランテルナ島の拠点に居た頃、ねーちゃんに教わってみんなの夏服を拵えた……「323.街へのお使い」「337.使用者の適性」「355.シャツの刺繍」参照
☆小説の本……「1137.アーテル文化」「1165.小説のまとめ」参照
☆平和の花束が歌った「真の教えを」……「0987.作詞作曲の日」「1018.星道記を歌う」参照
☆イーヴァ議員のアジトで見た聖職者用……「0979.聖職者用聖典」参照
☆振り付けも【踊る雀】学派の【魔除け】や【祓魔】の魔踊……「374.四人のお針子」参照
☆【踊る雀】学派/魔踊……「0140.歌と舞の魔法」参照




