1414.放送の管轄区
みんなが不安な面持ちで、国営放送アナウンサーの言葉を待つ。
ジョールチは、簡易テントの下、会議用の長机の上で指を組んで俯いた。
「放送の認可はチェルニーカ市……逓信省パドール地方管理局で申請しました」
「何かマズいんですか?」
アマチュア無線免許を持つクルィーロが聞くと、総合無線通信士でもあるジョールチは、重々しく頷いて眼鏡を掛け直した。
「AM放送の認可は全国区ですが、FM放送は逓信省の管轄区毎に申請が必要なのです」
「電波伝搬範囲が狭くて、フツーはあっちこっち移動して放送しないから……ですか?」
クルィーロが恐る恐る確認する。
ジョールチは、組んだ指に溜め息を落として答えた。
「そうです。本当は、ミャータ市からホールマ市までが、逓信省リャビーナ地方管理局の管轄区なので、もっと早くに申請を出さなければならなかったのですが」
「魔獣の群と麻疹のせいで申請遅れましたー、ごめんなさーい……じゃ、ダメですか?」
ピナティフィダが無理に作った明るい声で聞いたが、大人たちは誰も口を動かさなかった。
ロークの情報によると、リャビーナ市には星の標の拠点が複数ある。
最も重要な拠点は、オースト倉庫株式会社の社長宅だ。
建物内に隠し教会を持ち、使用人はすべて力なき民のキルクルス教徒で固めてあると言う。
同社がリャビーナ港の倉庫街に持つ複数の物流拠点では、力なき民の避難民を積極的に雇用し、業務マニュアルに聖者キルクルスの教えをさりげなく織り込んで、密かに布教する。
オースト倉庫の社長は、ネモラリス共和国の政財界に太いパイプを持つ。
ロークがアーテル共和国に渡った後、どれだけ戦力を蓄えたか知れたものではなかった。
……下手に刺激しない方がいいに決まってるけど……でも。
ネミュス解放軍クリュークウァ支部長カピヨーは、今の放送内容ならば、解放軍が移動放送局プラエテルミッサを妨害する理由はないが、秦皮の枝党のクリペウス政権にとっては、目障りだろうと言った。
ネモラリス共和国の与党内には、隠れキルクルス教徒がいつの間にか懐深くまで入り込み、星の標の息が掛かった議員を多数抱える。
実際、チェルニーカ市では、空襲後にパジョーモク議員の別宅へ身を寄せたイーヴァ議員ら隠れキルクルス教徒から、露骨な妨害を受けた。
「あの時は、カピヨー支部長の口利きで湖水の光党の議員に動いてもらえましたけど……ここって」
レノ店長が期待の籠もる目をジョールチに向けたが、彼は顔を上げずに声を絞り出した。
「リャビーナ選挙区の国会議員……一人は、クラピーフニク議員です」
「えっ? じゃあ……」
「彼は、公式には“行方不明”です」
みんなの期待が一気に萎んだ。
クラピーフニク議員は議員宿舎脱出後、ラクリマリス王国内の同志の許へ身を寄せる。
秦皮の枝党の彼は、党の方針に逆らって魔哮砲の運用に意を唱えた。無所属のラクエウス議員や、両輪の軸党のアサコール党首やモルコーヴ議員より、本国に消息が知られた場合の危険度が高い。
「リャビーナ選挙区の国会議員は、議員宿舎襲撃事件やクーデターなどで死亡、または行方不明になり、現在は空白地帯なのです」
「えぇっ?」
「あんなおっきい街なのに……ですか?」
レノ店長が声を裏返らせ、クルィーロが幼馴染の疑問と驚愕を代弁した。
「そうです。戦争とクーデターのせいで、選挙もできないのです」
「あっ……」
空襲とクーデターから逃れた避難民で、リャビーナ市の人口は膨れ上がっただろうが、彼らの何割が住民登録を移しただろう。
子供の学校の都合や、正規雇用で再就職できたのでもなければ、動かす用事がない。それどころではない者や、いずれ地元へ帰るつもりで、役所に届出ない者が多そうだ。
……私たちもそうだものね。
また、リャビーナ港からアミトスチグマ王国へ渡った難民たちも、ネモラリス共和国内での選挙には参加できない。
「アーテルの奴らは、戦争でもセンキョすんのによぉ」
少年兵モーフが舌打ちした。
パドールリクが複雑な顔で言う。
「向うは向うで、投票率が凄く低かったみたいだけどね」
「でも、あいつらナンミンになってねぇのに?」
「魔獣がウロウロしてるんじゃ、力なき民は危なくてお外に出られないからね」
魔哮砲戦争の当事国は双方、どんな政策決定も、後で物言いがつきそうな危うい状態だ。戦時下と言う特殊事情を考慮しても、民主主義の政体を維持することさえ危ぶまれる。
「スニェーグさんに逓信省リャビーナ地方管理局の様子を探ってくれないか、お願いしておけばよかったな」
珍しく、ソルニャーク隊長が後悔を口にした。
地元の国会議員自身は、死亡または行方不明で空席でも、彼らの事務所や各党の支部は、まだあるのだ。
「仮に……ネミュス解放軍を通じて湖水の光党に動いてもらった場合」
「星の標や秦皮の枝党内の隠れキルクルス教徒を刺激するでしょうね」
「既にパドール地方管理局の件は伝わっただろうからな」
呪医セプテントリオーに皆まで言わせず、パドールリクが溜め息混じりに言い、ソルニャーク隊長がダメ押しした。
アウェッラーナの兄アビエースが、周囲に素早く視線を走らせて声を潜める。
「ムスカヴィートは、真珠の輸出でリャビーナとも行き来や取引が盛んです。ここで放送するのも、もしかしたら……」
「また、あの時みたいに警察が来るかもしれないんですね」
ピナティフィダが肩を抱いて俯き、エランティスがレノ店長にしがみついた。
「もう一度、スニェーグさんの報告書を読み返します」
「本人に聞かなくていいんですか?」
顔を上げたジョールチにレノ店長が目を丸くする。
「はい。臨時政府、星の標、ネミュス解放軍。それぞれのプロパガンダがどの程度、人々に浸透したのか、巷の空気感を分析してからの方が、的確な質問ができると思うのです」
「あ、じゃあ何回も【跳躍】してリャビーナの新聞や雑誌を買って来た方がわかりやすいですよね」
「助かります」
ジョールチが礼を言うと、人選の話し合いが始まった。
☆逓信省パドール地方管理局で申請/露骨な妨害/あの時みたいに警察が来る……「0971.放送への妨害」→「0980.申請方法調査」→「0981.できない相談」参照
☆アマチュア無線の免許を持つクルィーロ/総合無線通信市でもあるジョールチ……「0984.簡単なお仕事」「0985.第二位の与党」参照
☆オースト倉庫株式会社の社長宅……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆力なき民の避難民を積極的に雇用……「873.防げない情報」参照
☆政財界に太いパイプ……「624.隠れ教徒一覧」「694.質問を考える」~「696.情報を集める」参照
☆空襲後にパジョーモク議員の別宅へ身を寄せたイーヴァ議員ら隠れキルクルス教徒……「880.得られた消息」「0972.演説する議員」「0973.聖典を見たい」~「0979.聖職者用聖典」参照
☆カピヨー支部長の口利き……「0984.簡単なお仕事」「0985.第二位の与党」参照
☆リャビーナ選挙区の国会議員
クラピーフニク議員は公式には“行方不明”……「378.この歌を作る」「626.保険を掛ける」「751.亡命した学者」参照
パジョーモク議員も“行方不明”扱い……「0975.ふたつの支部」「0977.贈られた聖典」→「0996.議員捕縛命令」→「1071.ルフスの礼拝」「1078.交渉材料確保」→「1100.議員への質問」「1101.間諜への尋問」参照
☆議員宿舎脱出=議員宿舎襲撃事件……「273.調理に紛れて」「277.深夜の脱出行」参照
☆党の方針に逆らって魔哮砲の運用に意を唱えた……「247.紛糾する議論」参照
☆戦争とクーデターのせいで、選挙もできない……「0983.この国の現状」参照
☆向うは向うで、投票率が凄く低かった
第一回大統領予備選……「1164.信任者の実数」参照
第二回大統領予備選……「1344.投票所周辺で」~「1346.安定には遠く」参照




