1412.東岸地方の街
移動放送局プラエテルミッサは、ネモラリス島北東部の村々で放送を行い、半島を回り込んでムスカヴィート市に到った。
東岸の港町は、漁業と真珠の養殖で栄える。
西の背後に聳えるウーガリ山脈からは、良質の白雲母を産出し、魔法の染料を作る中間素材として各地に運ばれる。
「思ったより、小さい町だったのね」
荷台から降りたピナティフィダが、ムスカヴィート湾を見下ろして呟いた。
パン屋の娘が言う通り、奥まった湾内は見渡す限り、養殖用の筏で埋まる。
沖から湾の最奥、岸壁までは漁船二隻がギリギリすれ違える程度の幅しか航路がなかった。小高い丘から見下ろすムスカヴィート市は、白い建物が湖岸に沿って密集し、二枚貝の片割れのように見える。
「漁をするより養殖の方が盛んなんだな」
薬師アウェッラーナの兄アビエースが、漁師らしい感想を漏らした。
山裾沿いには、【魔除け】の敷石や石碑に守れらた旧街道が残る。
この道を南へ下れば、ネモラリス島東岸最大の都市リャビーナだ。
移動放送局のトラックとワゴン車は今、ムスカヴィート市のやや北、旧街道の広場に停まる。
葬儀屋アゴーニの話によると、かつては馬車馬の休憩所として賑ったそうだが、今は枯れ草に埋もれ、忘れ去られた場所だ。
四隅に【魔除け】の石碑が建ち、同じ術の敷石がそれらを結んで広場を囲む。地脈の力を使う術はまだ有効で、雑妖一匹見当たらない。
ソルニャーク隊長が、マフラーを押し下げて町を見詰める。
「ローク君が報告書を作った時点では、星の標の支部はないのだったな」
彼がみんなと別れ、パジョーモク議員宅へ行ったのは、印暦二一九一年の晩夏から初秋に掛けてだ。それ以降の情報はなく、ミニライブでネモラリス島北部の街を巡るスニェーグからは、ムスカヴィート市の拠点情報を聞かなかった。
「ムスカヴィートは湖の民ばかりです。ウーガリ山脈に点在する集落は、陸の民だけの所もありますが、私が知る限り、住民は力ある民だけです」
「それ、いつの昔のハナシだよ?」
少年兵モーフが胡散臭そうに聞く。
呪医セプテントリオーは苦笑した。
「軍医だった頃の話なので、確かに人口構成が変わった可能性がありますね」
「お山の中にも村があるんですか?」
アマナが山脈の東端を仰ぎ見る。
「ここから一番近いのは……確か、白雲母の鉱山で働く人の村だった筈です」
「あのお歌……『女神の涙』のアサエート村も、この近くですか?」
ピナティフィダの質問で、一同ハッとして山を振り仰いだ。
冬枯れの木々が斜面を埋め、登山道の入口さえわからない。
ネミュス解放軍がクーデターを起こす少し前、ラクリマリス王国軍が「魔哮砲は旧王国時代に作られた魔法生物を兵器化したものである」と暴露した。報道発表によると、このウーガリ山脈東部のどこかに当時は「清めの闇」と呼ばれた魔哮砲の研究所があったと言う。
クラピーフニク議員は魔哮砲戦争の開戦前、独自に研究員と接触して魔哮砲の情報を得た。開発当時の研究所は、魔哮砲の暴走事故で大破し、現在は恐らく別の場所に移転しただろう。
……でも、軍の極秘施設があるんだから、地元の人以外が入ったら、捕まるかもしれないのよね。
薬師アウェッラーナは身震いして、東の湾に向き直った。
呪医セプテントリオーは沈黙し、運転席から降りたメドヴェージが山を見上げてわざとらしく途方に暮れる。
「トラックじゃ、細い山道にゃ入れんぞ」
「あ、別に行きたいとかじゃなくって、思い出しただけです」
ピナティフィダが、作り笑いで場を繕って町を見下ろした。
小さな町だが、神殿は二箇所ある。町の北、湖に近い所と南の山裾側だ。鉱山関係者が、岩山の神スツラーシを祀るのかもしれない。
「あ、おっきいお船!」
「スゲー」
エランティスが湾の外を指さし、レノ店長と少年兵モーフが同時に声を上げた。
南の岬から姿を現したのは、大型の貨物船だ。
アウェッラーナは、チェルニーカ市の港で見た入港予定表を思い出した。
湖上封鎖後も、ネモラリス島を周回する貨物船は、運行を継続する。便数は減ったが、輸入品などを各地に運ぶのだ。
貨物船が、ムスカヴィート沖で停まり、小島のように動かなくなる。
湾の南北端から小型船が出た。
「あぁ、ここ狭いから、沖で荷物の受け渡しをするのね」
「へぇー……」
アウェッラーナの呟きに何人もが感心した。
ここの真珠や白雲母も、量は少ないが、魔哮砲戦争勃発後も生産が続く数少ない外貨獲得の糧だ。燃料や医薬品、ワクチン、食糧の輸入が途絶えれば、空襲に遭わなくても大勢が生命の危機に晒される。
移動放送局プラエテルミッサの一行は、小船が港へ戻るまで見守って、昼食の準備を始めた。




