1407.神学生と密偵
クラウストラが、いつもの落ち着きを取り戻したのは、カフェの個室に鎮花茶の甘い香りが満ちてからだ。
神学生ファーキルの親戚が経営する高級店だ。珈琲も調度品も一流揃いで、普通の高校生には敷居が高い。平日は、高価格帯の商品を扱う企業の商談や接待、休日は、お金持ちが趣味の集まりやお茶会などに使う。
鎮花茶は、さっきのフードコートのオープンカフェより高いが、手持ちの現金で払えない額ではない。ロークはホッとして、神学生ファーキルに礼を言った。
「困った時はお互い様ですから。……鎮花茶の薬効成分は香りに含まれるので、風通しのいいオープンカフェより、狭い場所の方がいいと思い付いただけですよ」
「心配掛けてごめんなさい。さっきの分も……」
“休日の女子高生”に扮したクラウストラが、ポシェットから可愛らしい財布を出すと、神学生ファーキルは胸の前で両手を振って頬を染めた。
「い、いえいえいえいえ、そんな! ファクスさんが元気になって下されば、それだけで、もう……」
「えっ……でも、高いのに」
泣き腫らした眼が神学生をじっと見詰める。神学生ファーキルは、耳まで赤くして何か言ったが、しどろもどろで内容はわからなかった。
……こっちはスゲーわかりやすいんだけどな。
黒髪の少女が、申し訳なさそうに礼を言っただけで、天にも昇らん勢いで舞い上がる。ロークは横目でクラウストラを窺った。今の笑顔は“演技”だとわかる。
……俺、なんの地雷踏み抜いたんだ? いや、反省は後にしよう。
上手く三人だけになれた好機を逃すワケにはゆかなかった。
今日の目的は、神学校の現在の様子を通じて、アーテル共和国内のキルクルス教団の動きを探ることだ。
教会では、信徒向けのオモテの顔しか見られない。ロークが接触できる中で、最も教団の内輪に近いのが、彼ら神学生だ。ルフス光跡教会に在籍するレフレクシオ司祭もそうだが、共通語話者の彼は、まだ湖南語の会話が覚束ない。
「えっと、ちょっと、顔……洗ってくるね」
クラウストラが個室を出て、ロークは神学生ファーキルと二人きりにされた。
扉が閉まるのを待ち、神学生は鎮花茶の茶器に顔を近付けて聞く。
「ファクスさんの身に何があったのですか? 差し支えなければ、教えていただけませんか」
ロークは沈黙で答えた。
……そんなの、俺が知りたいよ。
神学生は、しばらく迷う素振りを見せたが、卓に身を乗り出した。
「私で何かお力になれることがありましたら、何なりとお申し付け下さい」
「……聞いても態度を変えない自信がありますか?」
ロークは敢えて試す言葉を置き、卓上に両肘をついて顔の前で両手を組んだ。
「……頑張ります」
「それじゃ困るんです。ファクスが傷付くような態度を取られたら、また外に出られなくなるかもしれません」
神学生ファーキルが怯んだ。
ロークは無言で正面の元同級生を見詰める。
少年は、卓上で拳を握ってきっぱり言った。
「決して、彼女を傷付けたりは致しません」
「鎮花茶がなくても? 聖者様に誓えますか?」
「はい」
力強く即答され、これ以上の時間稼ぎは無理だと悟り、素早く練った嘘設定を口にする。
「……見てしまったんですよ。仲のいい子が魔獣に」
「ただいまー」
「おかえりー」
ロークは、何でもないのを取り繕うフリで、クラウストラに笑顔を向けた。
少女は卓の前で止まり、小首を傾げてみせる。
「カクタケアがホントに居たらいいのになって話してたんだよ」
ロークが目配せすると、神学生ファーキルは無言で頷いた。
……正直と言うか、何と言うか。
これでは、無事に卒業して聖職者になっても、信徒から愚かな行いの告白を受けた際、秘密を守り通せないのではないか。つい、余計な心配をしてしまい、慌てて頭から追い出す。
「ネット繋がんなくて、オクトーさんがどうしてるか心配ー」
「ファーキルさん、何かご存知ありませんか?」
「年末に一応、退院できたんですけど、まだ当分は自宅療養とリハビリ通院が必要で、いつ神学校に戻れるか見通しが立たないそうです」
……コイツ、他人の個人的な事情をぺらぺら……俺たちは助かるけど、でも。
秘密保持の面で、聖職者にしてはいけない人物のような気がする。それともこの先、神学校で学び続ければ、卒業する頃には口の堅さが身につくものなのか。
「全寮制……でしたっけ? それなら、ご家族と一緒の方が安心ですよねー」
クラウストラがロークの隣に座り、神学生ファーキルに微笑む。
「そうですよね。まだ看病が必要な状態なら……神学校にも一応、常駐の校医は居ますが、復学した子たちのお世話で手一杯なのです。手厚い看護が必要だと、まだちょっと……」
神学生ファーキルは、腕をさすって俯いた。
「まだ治ってないのに神学校に戻った学生さんがいらっしゃるんですか?」
クラウストラが驚いてみせると、少年は顔を上げて頷いた。
「私もそうですが、軽傷で済んだ者は、退院後すぐ神学校に戻りました。現在も世話が必要なのは、怪我が治っても後遺症が残った子たちです」
「えぇー……大変ー……」
「えっ? 授業って、あの事件の後も、前と同じ……普通にしてるんですか?」
クラウストラが気の毒そうに眉を寄せ、ロークが大袈裟に驚くと、神学生は力強く頷いた。
「あの時、礼拝堂に居なかった学年は勿論、平常通りですが、私たち生き残った者が、邪悪なテロに屈するワケにはゆかないからです」
神学生から、先程までの浮ついた空気が吹き飛んだ。
☆神学生ファーキルの親戚が経営する高級店……「1105.窓を開ける鍵」参照
☆オクトーさんがどうしてるか
ハンドルネーム……「764.ルフスの街並」「794.異端の冒険者」~「796.共通の話題で」参照
入院中「907.同級生の被害」~「910.身を以て知る」参照
☆私もそうです……「910.身を以て知る」→「1103.ルフス再調査」参照
☆あの事件……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照




