1406.ファクスの涙
ロークは日曜日、クラウストラと連れ立って、アーテル共和国の首都ルフスにあるショッピングセンターを訪れた。
第二回大統領予備選の後、アーテル陸軍が大規模な相当作戦を展開。ランテルナ島だけでなく、隣のランテルナ共和国からも魔獣駆除業者を雇い、次々と傭兵部隊を投入する。
ラジオのニュースと新聞が、首都ルフスで魔獣駆除が完了したと報じた。
クラウストラたち、力ある民や現地在住の同志の調査で、実体を持つ魔獣は本当に駆除できたとわかったが、実体のない魔物はまだ居て、予断を許さない状況だと確認できた。
アーテル政府は首都の外出自粛を一部解除し、高校と大学は通学を再開した。
ルフス神学校など全寮制の学校は、以前から平常通りだったが、休日の外出が全面解禁された所もある。
ロークたちの狙いは、神学生ファーキル・ラティ・フォリウスだ。
クラウストラは、金曜にも呪符屋を訪れた。
いつも使う物とは意匠の異なる【化粧】の首飾りを持って来たのだ。
「いつものは外して、これ掛けてみてくれる?」
何だかわからないが、言われた通りにする。
クラウストラは、ペンダントトップを握ってタブレット端末の画面を見ながら呪文を唱えた。ロークの知らない呪文だ。
「よし、これなら大丈夫!」
「何がですか?」
「今、この顔」
向けられた画面には、いつの間に撮ったのか、夏休みにロークが「ガレチャーフキ」と偽名を使った時の写真があった。声を作らなかったので、危うくバレるのではないかとひやひやしたアレだ。
「こっちの【化粧】の首飾りは、ちょっと高いけど、術者が思った通りの顔になるの」
「へぇー……」
……他人に成り済ませるのか。ますます詐欺師ご用達だな。
通信途絶が続き、待ち合わせはできない。
立ち寄りそうな場所で網を張るしかない。
二人は、フードコートの安いオープンカフェで、代用珈琲を啜りながら待つ。以前、標的と鉢合わせした場所だ。
「ルフスの魔獣、全部片付いてよかったよねー」
「もうちょっと早かったら、高校辞めなくてよかったんだけどな」
「しょーがないよー。そんなのー」
「まぁなー。でも、信仰の力より、魔法の力の方が化け物退治に効くの、なんか悔しいよな」
女子高生のファクスと従弟ガレチャーフキとしての設定を確認しつつ、聞えよがしに「この地では、魔法なしでは生きられない」と告げる。
人は、誰かを褒める声より、貶す声に耳敏くなるものだ。
「学校再開したのに、出て来たコすくなくて、すっごくつまんない」
「心配してるんじゃない? 登下校で化け物と遭ったらヤバいって」
「えーッ? 私、心配されてないのー?」
女子高生のフリをするクラウストラが、涙を滲ませる。
……迫真の演技……ん? あれっ?
深い藍色の目から大粒の涙が零れ、白い頬を伝い落ちる。
手の甲で慌てて拭う姿は、とても演技には見えなかった。
クラウストラは、普通の女の子なら、怖くて足が竦むようなボロボロで雑妖だらけの廃病院にも、昼夜問わず平気で立入った。
ルフス光跡教会では【光の槍】を放ち、ゲリラの【涙】を呑んで強化された魔獣にトドメを刺した。
砕けた【魔道士の涙】から溢れた記憶と、強い悲しみに触れても、動じることなく、ロークを安全な場所へ運んでくれた。
これまでの顔と、今の涙が全く重ならない。
「あ、えっと、心配の方向性が、違うんじゃないかな?」
「ほ……ほうこ……」
聞き返す声が涙で言葉にならない。
……これって演技? ホンモノ?
混乱したが、こんな人目のある場所でボロは出せない。
女子高生と従弟の演技を続ける。
「おじさんとおばさんは、軍の特殊部隊とかを信用してて、ルフスはもう大丈夫だって思ったから、勉強遅れて将来困らないようにって、そっちの心配してくれてるんだよ」
「ほ……ホントに?」
濡れた瞳が上目遣いにロークを探る。
……これってホンモノ? 演技?
「ホントだって。だから今日も俺が一緒なんだ。心配してないワケないだろ?」
不安に揺れる瞳が、やや落ち着きを取り戻す。
ロークは椅子から腰を浮かせた。
「香草茶か何か買って来るよ」
「う……イヤ……ここに居て」
再びくしゃりと顔を歪ませ、涙を拭う手が泣き顔を隠す。
困って立ち尽くすロークの目に見覚えのある顔が映った。
少し先の通路に神学生ファーキル・ラティ・フォリウスが一人で居る。目が合うと慌てて逸らしたが、いつから見ていたのか。
ロークはひとつ深呼吸すると、床をしっかり踏みしめて声を掛けた。
「ファーキル君、久し振りー!」
「あ、あの、ガレチャーフキさん、お久し振りです」
「会って早々で申し訳ないんですけど、鎮花茶買って来てくれませんか?」
「何杯ですか?」
快く引き受けてくれて、ロークは本当にホッとして頬が緩んだ。
「ありがとうございます! 取敢えず、一杯だけ、お願いします」
クラウストラは、鎮花茶の香気を胸いっぱい吸い込んで、ようやく落ち着きを取り戻した。
「ご……ごめんなさい」
「あ、い、いえ、自分のを買うついでですから」
ロークは、神学生ファーキルにお茶代を返そうとしたが、固辞されてしまった。
「ちょっと情緒不安定で……」
「どうなさったのですか?」
「仕方ないよ、あんなコトがあったんだから」
ロークはクラウストラの肩に手を置き、神学生の問いを汎用性の高い言葉で誤魔化そうとした。
「ルーチカが……ルーチカが……」
「えっ? ちょ……いいから、もういいから。怖いコト無理に思い出さなくていいから!」
ロークは、虚空を見詰めて涙を流すクラウストラを抱き締めた。




