1404.現場主義の力
ファーキルは、サイト「旅の記録」とSNSで不要な調理器具を募集した。
届け先は、夏の都にあるパニセア・ユニ・フローラ信徒会「ラキュスの岸辺」本部だ。神殿の隣にある信徒会館で預かってもらえるのが有難い。
慈善団体の「みんなの食堂」と「大樹の枝」も同時に募集する。
集まった調理器具は、同志が【無尽袋】に詰めてリストヴァー自治区に持ち込んで、後日、小麦粉で対価を支払ってもらう計画だ。
運び屋フィアールカが、ラクエウス議員の姉と話をつけてくれたが、すんなりゆくか不安は残る。
ネミュス解放軍による自治区侵攻後の協定で、リストヴァー自治区にネモラリス政府軍を常駐させると決定した。自治区側は、政府軍には協定の件を伏せ、解放軍との戦闘で星の標が壊滅し、魔物と戦える戦力を失ったことと、解放軍の再襲撃への備えとして、派遣を要請した。
政府軍は当初、自治区の信仰に配慮したのか、力なき民の一般兵だけを配備したが、最近は魔装兵の姿が増えた。
自治区民には説明がないが、山へ薪などを採りに行く者の中には、実体のない魔物から守ってもらえると喜ぶ者も居ると言う。
……魔装兵に親近感が涌いて、うっかり口滑らせる人が出そうで怖いんだよな。
ファーキルが、アミトスチグマ王国の夏の都で心配しても、ネモラリス共和国のリストヴァー自治区には届かない。ラクエウス議員の姉が上手く立ち回ってくれるのを祈るしかなかった。
自治区が支払った小麦粉は、三つの慈善団体で等分する。
ラキュスの岸辺代表の一言で、端数は貧しい子供たちに食事を提供するみんなの食堂に送ると決まった。
自治区が持て余す小麦粉と調理器具の交換は、今「待ち」の時期だ。
三団体とラクリマリス、アミトスチグマ両王国のフラクシヌス神殿は、ポスターを貼って協力する。アミトスチグマ人の有志がバザーでもポスターを貼り、交換品として受取った物を送ってくれた。
……問題は、こっちなんだよな。
最近また、ネット上でネモラリス叩きが増えて来た。
〈ネモラリス軍の魔哮砲は、兵器化した魔法生物だ。
ラクリマリス軍がぶっちゃけたのに何で国連軍は動かねぇんだ?〉
〈国連はネモラリスから幾らもってんだ?〉
〈ネモラリスの国会議員も動画で曝露したんだろ? ガチじゃん〉
〈遭遇したアーテル兵が動画UPしてたし〉
〈ネモラリスは世界の敵じゃねぇか!〉
〈潰せ潰せ!〉
〈悪しき業を使う邪悪な魔法使いなんかさっさと皆殺しにしろよ!〉
〈ネモラリス難民に回すカネも物資も勿体ねぇ!〉
〈ゼッタイ他所の支援に回した方がいいってみんな言ってる〉
〈アミトスチグマはいい加減シロアリ飼うのやめろよ〉
〈やっぱ魔法使いなんか生かしてちゃダメなんだ〉
〈三界の魔物の再来を許すな!〉
パソコン画面の表示は、バルバツム連邦最大手のポータルサイトだ。
ニュース記事のコメント欄は、共通語の罵詈雑言で埋め尽くされる。
どうにか解読できたが、スラングと誤字だらけでよくわからない書込みも多かった。
……アーテルの在外公館は無事だし、仕方ないか。
記事は、国連難民高等弁務官が、アミトスチグマ政府が開設した難民キャンプを訪問し、ネモラリスの戦争難民から直接要望を聞き取ったと言う写真入りの小さいものだ。
こんな誤字だらけで程度の低い暴言を書き連ねるバルバツム人が、興味を持つ類の記事ではない。アルトン・ガザ大陸在住の者が、遠く離れたチヌカルクル・ノチウ大陸西部の紛争を知っているとも思えなかった。
……それにしても、国連機関のトップが現場に行くって凄いな。
今の国連難民高等弁務官は、日之本帝国人だ。
まさかこんな小柄なお婆さんだとは、この記事を見るまで知らなかった。
ファーキルは、国連難民高等弁務官の経歴を検索した。
前任者は、就任一年足らずで自国の大臣になって退任。二代前は醜聞で解任された。
このお婆さんが、中途半端な時期に急遽就任した時には、国連難民高等弁務官事務所は財政破綻寸前で、使えないリーダーに嫌気が差した職員の士気も低下の一途だったと言う。
日之本語の名前らしき文字列の後に括弧書きで共通語の読みが書いてあるが、正しいとは限らない。共通語圏のメディアは、共通語話者にわかりやすい表記にしがちだ。
アーテル共和国のポデレス大統領は、ニュース動画では「ポダーエス大統領」と呼ばれ、湖南語ネイティブのファーキルが初めて聞いた時、どこの大統領かわからなかった。
このお婆さんは元々国際政治学者で、日之本帝国の大学と、バルバツム連邦の大学で教鞭を執った。その後、日之本帝国の国連公使に就任。前任者がまだ居た頃、次期国連難民高等弁務官への就任を打診されたが、その時は保留したらしい。
就任後は、傾いた組織に改革の大鉈を揮い、二年足らずで立て直した。
徹底した現場主義の人で、難民流入国に行くと、首都で当事国の首脳と会うより先に国境付近へ直行し、難民と会う。
自分の目で見て状況を確認し、難民から要望を聞き取ってから、受け容れ国の首脳や高官と会うのだ。難民支援の現場担当者とも直接会って、何が可能で何が支援の妨げになるか、しっかり聞き出す。
この為、彼女が立てた支援計画にはアタリが多く、職員の士気が上がった。
今の国連難民高等弁務官は、時には防弾チョッキとヘルメットを装備して、戦闘中の紛争地に乗り込む。武装勢力の首魁や幹部と直接会って交渉し、人道支援物資を搬入する為、一時停戦の約束を取り付けたこともあると言う。
停戦の約束が守られず、物資を積んだ国連軍の輸送機が撃墜されたり、物資を運搬するトラックが略奪されることもあったが、この力なき民のお婆さんは、支援の手を一切緩めず、国際社会に人道危機が発生したとの情報を発信し、更なる支援と周辺国への政治的解決に向けた介入も要請し続ける。
リーダー自ら危地に飛び込み、結果を出す姿を目の当たりにした職員たちの士気は高く、殉職者が出ても、難民や人道危機が発生した地域の住民への支援は止まらなかった。
複数のニュース記事やインタビュー動画からわかったのは、現職の国連難民高等弁務官が、難民に寄り添い、彼らの人権を第一に考える現場主義の人物だというコトだ。
☆サイト「旅の記録」……「448.サイトの構築」「518.いつもと違う」「570.獅子身中の虫」「591.生の声を発信」「730.手伝いの手配」「812.SNSの反響」「861.動かぬ証拠群」「」参照
☆不要な調理器具を募集……「1358.積まれる善意」「1360.多くの離反者」→「1367.新たな取引網」→「1382.できない理由」参照
☆パニセア・ユニ・フローラ信徒会「ラキュスの岸辺」……「1282.支援の報告会」「1283.網から漏れる」「1392.夜明けの祈り」参照
☆運び屋フィアールカが、ラクエウス議員の姉と話をつけて来た……「1395.対価が不可欠」参照
☆ネミュス解放軍による自治区侵攻……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照
☆自治区侵攻後の協定……「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆自治区の信仰に配慮したのか、力なき民の一般兵だけを配備……「0991.古く新しい道」参照
☆最近は魔装兵の姿が増えた/喜ぶ者……「1287.医師団の派遣」「1326.街道の警備兵」「1327.話せばわかる」参照
☆自治区が持て余す小麦粉……「1358.積まれる善意」参照
☆殉職者……「1400.攻撃対象選定」参照




