1402.大都市の様子
レノは久し振りにレーチカ市を訪れた。
臨時政府が置かれたここは、今やネモラリス共和国の中心地だ。
人通りは多いが、一見すると落ち着いて見える。
薬師アウェッラーナや、ソルニャーク隊長たちから聞いたクーデター直後の混乱期の焦燥は、とっくに消えた。
だが、商店街に足を踏み入れると、様相が一変する。
……ギスギスしてるなぁ。
陸の民も湖の民も、商店街の店先を見る目が血走り、食料品店の前の人集りで怒号が飛び交う。警察官の姿がそこかしこに見え、単なる警邏以上の物々しさを感じさせた。
レノは、食品価格と品質の調査役として連れて来られたが、これでは店に近付くどころではない。
……ピナたちを連れてこなくて正解だったな。
ロークの情報によると、レーチカ市にも星の標の拠点がある。
秦皮の枝党の幹部パドスニェージニク議員宅も、そのひとつだ。ロークはクーデター発生直後、彼の父と共に首都クレーヴェルを脱出し、一時はその国会議員宅に身を寄せたと言う。
商店街の人集りで爆弾テロを起こされては、大変な惨事を招く。
パドスニェージニク議員が、部下の隠れキルクルス教徒に命令しない保証はどこにもなかった。
国営放送アナウンサーのジョールチが、小さく首を振って三人を促す。レノは、ソルニャーク隊長、葬儀屋アゴーニと一緒にジョールチの後について行った。
魚屋は客が少なく、ゆっくり見られた。
干物も生魚も、開戦前のゼルノー市より三倍から五倍くらいの上げ幅だが、全く買えない程ではない。生魚の鮮度がいいのが救いに思えた。
レノがじっくり見る間にも、三人の客が数匹ずつ買ってゆく。
店から離れた所でメモを取り、次の調査へ向かった。
書店や文房具屋、衣料品店や金物屋など食品以外を扱う店は閑古鳥が鳴く。
怒号が飛び交うのは、肉屋、八百屋、乾物屋だ。
「小麦十キロは満タンの【水晶】十個! これ以上は負けらんないよ!」
「無茶言うな!」
「前は小麦二十キロで一個だったじゃないか!」
「仕入れ値が高ぇんだ! ウチだって儲けなんざねぇよ!」
「前はマグカップ用の【保温の鍋敷】で売ってくれたじゃない!」
「今は昔と違うんだ! 戦争から何年経ったと思ってんだ!」
「しかもこれっぽっちって、隠してんじゃないのかッ?」
「仕入れがねぇんだからしょうがねぇだろ! ないモンはないんだ!」
「こっちだって食わなきゃ生きてけないんだよ! 半額に負けろよ!」
「ネーニア島の産地がやられたんだからしょうがねぇだろ!」
「払えないくらい値段吊り上げて、売れなきゃあんただって商売あがったりじゃないの」
「文句あんならアーテル軍に言えよ!」
「次はいつ入荷するの?」
「知るかッ!」
昨年、ネミュス解放軍が首都クレーヴェルでクーデターを起こした。
その少し後、アーテル軍がネーニア島西部に大規模な空襲を行い、農村地帯と点在する漁村、復興を始めたガルデーニヤ市を焼き払った。
防壁が破壊され、地元に留まったのでは魔物や魔獣の餌食になる。
辛うじて生き残った者は、ネーニア島北岸の街や、ザカート隧道を抜けてラクリマリス領へ逃れた。
安全な場所へ【跳躍】できた者などほんの一握りに過ぎない。
穀倉地帯のひとつが失われ、ネモラリス共和国内では更に小麦価格が高騰した。
輸入しようにも、ネーニア島内の複数の都市が焼失し、復旧・復興の国内需要が増して輸出できるモノが激減した。
戦争難民として、数十万、もしかすると百万人以上の人々が国外流出し、人手不足も深刻だ。
……でも、国内に居ても食べ物が手に入らないんじゃなぁ。
ネモラリス島北東部の農村地帯が、麻疹の流行で壊滅的な打撃を蒙った。
薬師アウェッラーナが倒れるまで頑張って魔法薬を作り続け、三つの村はどうにか助けられたが、それ以外の村は酷い有様だ。
今年の収穫は絶望的で、また食糧価格が上がるだろう。
アーテル軍の空襲で、ネーニア島の東岸・西岸の港が破壊された。
アウェッラーナの家族のように沖出しして助かった漁船もあるが、港湾設備や水産加工場が破壊されては、水揚げ作業が難しい。
それでも、無事だった港の稼働率を上げ、魚介類はどうにか供給を途絶えさせずに持ち堪える。
アカーント市では、農村がやられると、農業、畜産業だけでなく、繊維産業も打撃を受けると思い知らされた。
……俺たち、ホント運がいいだけなんだよな。
魔獣に追われてアーテル領ランテルナ島へ逃げ込み、地下街チェルノクニージニクに土地勘と人脈を得た。
運び屋フィアールカのお陰で、王都ラクリマリスでも同様の伝手ができた。アミトスチグマ王国でもそうだ。
仲間が平和で物資が豊かな場所へ【跳躍】できるから、色々な物を調達できる。様々な偶然が重なって生き延びられたのだ。
……千年茸がなかったら、それもムリだったんだよな。
鬱々と考え事をする間に着いたのは官庁街だ。
平日の昼間、人通りは思った程、多くはない。
オフィスビルの前には、掲示板が幾つも並ぶ。
ジョールチが熱心に告示等を撮る。クルィーロから借りたタブレット端末を易々と使いこなす姿に感心した。
……俺たちって、なんか場違いだよな。
庁舎の入口には警備員が立つが、商店街のようなピリピリした空気はなく、警官の姿もない。
「あ」
「どうした?」
ソルニャーク隊長に鋭く聞かれ、レノは警備員から目を逸らさずに答えた。
「あの警備員さん、ジャーニトルさんと同じ制服だなって思って」
「あぁ、そう言や、会社この辺だったな」
「モーシ綜合警備……だったか?」
「そうそう。隊長さん、よく覚えてンなぁ」
アゴーニは撮影に夢中なジョールチの肩を叩いた。ラジオのアナウンサーは、無言でタブレット端末をつついて向ける。
〈二手に分かれましょう〉
落ち合う場所を決め、レノはアゴーニと二人で警備会社へ顔を出すことになった。
☆クーデター直後の混乱……「603.今すべきこと」「606.人影のない港」「640.脱出する車列」~「648.地図の読み方」「653.難民から聞く」「698.手掛かりの人」「708.臨時ニュース」参照
☆レーチカ市にも星の標の拠点……「654.父からの情報」「655.仲間との別れ」「691.議員のお屋敷」「694.質問を考える」~「696.情報を集める」参照
☆昨年、ネミュス解放軍が首都クレーヴェルでクーデター……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
☆その少し後、アーテル軍がネーニア島西部に大規模な空襲……「756.軍内の不協和」~「759.外からの報道」参照
☆薬師アウェッラーナが倒れるまで頑張って……「1281.寝込めるヒマ」「1284.過労で寝込む」参照
☆それ以外の村は酷い有様……「1324.荒廃した集落」「1325.消滅した集落」「1349.多面的な情報」参照
☆アウェッラーナの家族のように沖出しして助かった漁船……「826.あれからの道」「827.分かたれた道」参照
☆農村がやられると(中略)繊維産業も打撃を受ける……「1348.魔法の糸相場」「1349.多面的な情報」「1353.染料の原材料」「1367.新たな取引網」参照
☆魔獣に追われてアーテル領ランテルナ島へ……「299.道を塞ぐ魔獣」~「303.ネットの圏外」「307.聖なる星の旗」「308.祈りの言葉を」「312.アーテルの門」~「325.情報を集める」参照
☆運び屋フィアールカのお陰……「534.女神のご加護」参照
☆王都ラクリマリスでも同様の伝手……「533.身を守る手段」「535.元神官の事情」参照
☆千年茸……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆モーシ綜合警備……「876.警備員の道程」参照




