0144.非番の一兵卒
昼食後、ルベルはずっと新聞を読んで過ごした。
今日は開戦後、初めての非番だが、帰宅は許可されなかった。【跳躍】すれば一瞬だが、今は非常時だ。
基地周辺限定であっても、外出が許可されただけマシだ。
今はまだ、末端の兵にも休暇があって交代で勤務できるが、戦局の変化によってはどうなるかわからない。
魔装兵ルベルの実家は、ネモラリス島北東部の山中にあるアサエート村だ。
アーテル共和国からは最も距離があり、家族の心配はないが【飛翔する蜂角鷹】学派を修めた兵士は、別のことに心を囚われた。
今朝、基地から一番近い雑貨屋で全国紙を三紙買った。
湖水日報は、ラキュス・ラクリマリス共和国時代から続く老舗の新聞社だ。読者は湖の民が多いらしい。
緑陰新聞は、半世紀の内乱が始まる少し前に発行が始まった。元々、秦皮の枝党の機関誌として創刊され、今でも陸の民……フラクシヌス教徒の読者が多い。
湖南経済新聞は、内乱終結後にアミトスチグマ王国で創刊された。ネモラリス共和国だけでなく、湖南地方全体の経済情報を手厚く掲載する。
いずれも戦時色が濃く、娯楽系の記事はほぼない。
ルベルは内容を見比べた。
湖水日報は敵機迎撃を喜び、国民一丸となって国難に立ち向かおう、と呼び掛ける。政府発表をそのまま引き写したらしい。市民向けの生活情報が充実し、主婦がこぞって読むだろう。
緑陰新聞もほぼ同じだが、アーテル共和国への報復攻撃の必要性を説くなど、過激な論調が目立つ。
湖南経済新聞は、ラクリマリス王国による湖上封鎖の経済的な悪影響を嘆く。
空襲後も、交易は細々と続く。
ネーニア島西端のザカートトンネルを使い、陸路でラクリマリスと繋がる為だ。ラクリマリス王国から北部の避難所まで、緊急輸入した食糧などを輸送する。
だが、これも風前の灯火だ。
ネモラリス政府は、ネーニア島北部の都市とザカート隧道を結ぶ国道の瓦礫を突貫で撤去した。
応急的に道路の補修もしたが、【魔除け】の術は掛け直せずにいる。道路に組込まれた【魔除け】の呪具が爆撃で吹き飛んだ為だ。
周辺は全くの手付かずで、魔物や雑妖が蔓延り、通行には平時とは比較にならない危険が伴う。
輸送中、アーテル軍の空襲に遭えば、ひとたまりもなかった。
ラクリマリス政府の公式発表によると、陸路の封鎖予定はないとのことだ。
……どう言うことだ? イミあんのか?
湖上封鎖したところで、科学文明国のアーテルとラニスタには、大した影響がない。ラキュス湖には魔物が多く、魔物から身を守る手段がない為、輸出入は専ら陸路と空路だ。両国には港もなかった。
島国のネモラリスと南岸の国々の往来が、多少不便になるだけだ。それも、航路を迂回させれば完全に途絶しない。
ラクリマリス王国の目的が、ネモラリスへの兵糧攻めとは考え難かった。
それが目的なら、国道の通行再開と同時に救援物資を届けたのは不可解だ。緊急輸入と救援物資の輸送は、毎日、魔物の少ない日中だけ行われる。
魔装兵ルベルは頭を抱えた。
……何やってんだ、あの国……?
半世紀の内乱後の和平協定で、国は分裂したが、ネモラリスとラクリマリスは友好関係を保つ。共にフラクシヌス教徒が多く、ラクリマリス領のフナリス群島に聖地があるからだ。湖上封鎖すれば、南岸のフラクシヌス教徒の巡礼も難しくなる。
ラクリマリスは、ネモラリスとアーテルの間にある。
特にネーニア島は、両国がクブルム山脈を国境とし、南北に二分して領有する。
巡礼者が戦闘に巻き込まれないようにとの配慮だろうか。
……いや、でも、聖地はフナリス群島で、戦闘機のルートからは外れてるし……何なんだよ?
アーテル共和国は、「ネモラリス政府に弾圧される自治区のキルクルス教徒を救う」との名目で宣戦布告した。
ラニスタ共和国は、キルクルス教国としてアーテルの支持を表明し、ネモラリス政府に批難声明を出した。
宣戦布告はしなかったが、軍事と物資でアーテルを援助し、事実上、ネモラリスと交戦状態にある。
ラクリマリス王国は、どちらにも与せず、沈黙を守った。
国民には、ネモラリス領に親族が住む者もあるが、現在は安全の為、渡航を禁じられた。
……ホントはイヤだけど、国民の批判を躱す為に一応、人道支援してますよってポーズなのか?
開戦以前は友好的だったのに、何故、そんな態度をとるのか。
ルベルにはわからなかった。
ラクリマリスは内乱終結後、領内に残ったキルクルス教徒をアーテル領となったランテルナ島に強制移住させた。
南北のヴィエートフィ大橋は、その為に急ピッチで再建されたと噂される。
ネモラリス領内のキルクルス教徒が政府にどう扱われようと、これまで全く関知しなかった。
王室が口出しすれば内政干渉だが、フラクシヌス教団として異教徒への弾圧に苦言を呈することもなかった。
クブルム山脈を越え、ラクリマリス領を抜けてランテルナ島を目指し、亡命を試みた自治区民も居るようだが、魔物に食われるなどして成功者は居ない。
少なくともルベルは、亡命が成功したと言う話を聞いたことがなかった。
……何か、隠してるっぽいな。
魔装兵ルベルは、ネモラリスとラクリマリスの政府がそれぞれ、何か重要な情報を伏せている気がしてきた。
一兵卒に過ぎないルベルには、それが何なのか皆目見当もつかない。
ネモラリス軍の航空戦力は微々たるものだ。領空の防衛で精一杯。主力は陸軍、僅差で水軍だ。
ルベルは元々、陸軍の治安部隊の所属だった。
恐らく、索敵能力の高さを買われ、水軍に転属させられたのだろう。
……うーん……あれか? ラクリマリスの水域でドンパチすんなってことか?
単純な理由に思い当たった。




