1401.人を殺さずに
ネモラリス共和国の敵は、信仰で凝り固まった特定の思想だ。
星の標はバルバツム連邦をはじめとして、世界の多くの国々から国際テロ組織に指定される。キルクルス教社会にとっても、彼らの異端信仰は看過できるものではないらしい。
リストヴァー自治区に蔓延り、実質的に支配した星の標は、ネミュス解放軍の侵攻で武装解除された。
牙を抜かれた星の標に対して、リストヴァー自治区の聖職者たちは、信仰の再教育を行う。
バンクシア共和国の大聖堂が聖職者を派遣し、再教育を強力に推し進めた。
……それがイヤで逃げ出した奴が居るなんて、どんな教え方してるんだろうな?
集中が乱れそうになり、魔装兵ルベルは魔哮砲の視界に意識を戻した。
不定形の使い魔は、蝦や魚に目もくれず、ひたすら南へと進む。
湖底ケーブルは、アーテル共和国の通信事業者には修理できない。
アーテルは、信仰の為にラキュス・ラクリマリス共和国から分離・独立して、科学文明国となった。
裏を返せば、魔法文明と魔物や魔獣から身を守る術を捨て、何者からも守ってくれない力なき聖者キルクルス・ラクテウスを選んだとも言える。
魔物から身を守って航行できる魔道機船を一隻も保有しないのでは、湖上での作業は不可能だ。湖南地方にも、ケーブル保守船が常駐する国はあるが、工兵たちの「謎の爆発」作戦で保守船への攻撃を警戒して船を出さない。
バルバツム連邦など、科学の先端の国々に所在する中心事業者の本社は、魔哮砲戦争が終わるまで修理を行わないと宣言した。
湖底ケーブルを切断すれば、人間を殺傷することなく使命を果たせる。
アーテル共和国は官民挙げて、代替手段の確保に東奔西走するが、なかなか調達できず、価格が高騰してますます手に入らない悪循環に陥った。
……見えた!
「止まれ」
不定形の使い魔は、【花の耳】越しに届いた主の声に従い、動きを止めた。
標的は湖底ケーブルの中継器だ。もう何度も行った通り、指示を出す。
「力を細く絞って、その機械だけを壊せ」
ケーブルを繋ぎ、信号を増幅して通信状況をセンターに伝える機械が、僅かな砂煙を上げて消し飛んだ。
陸上の基地局の類は、工兵隊が破壊済みだが、アンテナ基地から至近距離のこのスークス市も、地上の基地局ではなく、湖底ケーブルを経由して回線を敷設してあるとは、思いもよらなかった。
「湖の底を這って俺の所へ来い」
魔哮砲に帰還命令を出し、一息つく。背後を守る工兵ナヤーブリの気配もやや緩んだ。
ストラージャ湾では、一月は滅多に霧が発生しない。【濃霧】を使えば逆に人目を引きかねなかった。
だが、夜間に半世紀の内乱で滅びた漁港を訪れるアーテル人は居ない。
ナヤーブリが警戒するのは、地上を闊歩する魔物や魔獣だ。それとても、日のある内に片付けて【簡易結界】を張った為、今、この廃港には雑妖一匹居なかった。廃村でみつけた【魔除け】の敷石を集めて【簡易結界】を強化してある。
……この先も、何かの拠点に使えそうだな。
一仕事終えた魔哮砲は、湖底を流れるように這ってルベルの許へ急ぐ。
そう命じたからだが、「急げ」とは言わなかった。
魔哮砲は、一月の冷たい湖水をものともしない。
使い魔が、一刻も早く主に会って、上手に命令をこなして役に立てたことを褒められたがっている……などと考えるのは、感傷が過ぎるだろうか。
それとも、搭乗した防空艦レッススがミサイルの一撃で沈められ、前の主が湖の藻屑となった時を思い出して恐怖に駆られ、一刻も早く上陸したいのか。
魔哮砲は「湖底を這って」との指示に従い、内乱時代の沈没船を避け、砂地や岩場を行く。光る魚が小魚を誘き寄せる脇をすり抜け、不定形の闇が湖底を流れる。
……まただ。
いつか、湖底で魔哮砲越しに感じたものと同じ気配に気付き、魔装兵ルベルは魔哮砲の視聴覚に集中した。
乗用車並みの速度で景色が流れ、気配の主を視認できない。この為だけに止まらせる訳にはゆかなかった。
見られている感覚に肌が粟立つ。
魔哮砲の周辺を広く見られれば、何かわかるかもしれないが、夜明けにはまだ遠く、視点を【索敵】に切替えられないのがもどかしい。
「ルベルさん?」
工兵ナヤーブリの心配する声に応える余裕さえ失った。
「早く戻れ」
ルベルは使い魔を急かしたが、速度は上がらなかった。
空が白み始める頃、ルベルは【索敵】を唱えてギョッとした。
複数の魔道機船がストラージャ湾の東岸……アーテル領の目と鼻の先を航行するのが見えた。船団は、アーテル領の岸辺を舐めるように北上する。
……魚を深追いした漁船か?
一隻に焦点を合わせ、ルベルは息を呑んだ。
「ルベルさん? どうしたんですか?」
視界に入った紋章には見覚えがある。肩を掴まれたが、構わず記憶を手繰る。
船団が速度を上げ、肉眼でも見える距離に近付いた。
ナヤーブリは、ルベルと彼の視線の先を見たが、まだみつけられないらしい。
……さっきの視線は、これか? でも、あんな暗い間にどうやって?
船団も【索敵】を使ったなら、とっくにルベルたちをみつけた筈だ。
「ルベルさん!」
「スクートゥム王国の湾内巡視船団だ」
「えッ?」
空が明るさを増す中、ナヤーブリはルベルの視線の先を見遣るが、まだみつけられないらしい。首をあちこち巡らせる。
いつも通り、魔獣駆除業者のフリでやり過ごすべきか。
……どうすればいいんだ、これ?
「ルベル、何隻だ?」
襟の裏に着けた【花の耳】から、ラズートチク少尉の声が聞こえた。
「六隻です」
「魔哮砲を湖底に待機させ、お前たちは戻れ」
「りょうか……あッ!」
魔哮砲が崩れた岸壁を這い上がり、朝日の下に濡れた身体を現した。
「どうした、ルベル?」
上官に応えようとした瞬間、白い輝きが魔哮砲に突き刺さった。人の背丈ほどの光が、闇に呑みまれて消える。夜より深い闇が膨れ上がりながら、使い魔の契約者ルベルに這い寄る。
「ルベルさん! 【光の槍】です!」
「敵襲かッ?」
「鵬程を越え……」
ルベルはナヤーブリの手首を掴み、もう一方の手で魔哮砲に触れて【跳躍】した。
☆国際テロ組織……「338.遙か遠い一歩」「369.歴史の教え方」「492.後悔と復讐と」「560.分断の皺寄せ」「625.自治区の内情」「629.自治区の号外」参照
☆ネミュス解放軍の侵攻……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆信仰の再教育……「0941.双方向の風を」~「0944.聖典の取寄せ」参照
☆大聖堂が聖職者を派遣……「1007.大聖堂の司祭」「1012.信仰エリート」「1038.逃げた者たち」参照
☆それがイヤで逃げ出した奴が居る……「1038.逃げた者たち」「1129.追われる連中」~「1131.あり得ぬ接点」参照
☆ケーブル保守船が常駐する国……「1215.目的の再確認」参照
☆攻撃を警戒して船を出さない/魔哮砲戦争が終わるまで修理を行わないと宣言……「1261.対クレーマー」参照
☆代替手段の確保に東奔西走……「1230.又とない好機」「1262.沈みゆく泥船」「1267.伝わったこと」「1293.ずれた解決策」「1318.連邦での反応」参照
☆【濃霧】……「1219.白色の闇作戦」参照
☆防空艦レッスス……「0154.【遠望】の術」「0157.新兵器の外観」「274.失われた兵器」「279.悲しい誓いに」「393.新たな任務へ」「404.森を切裂く道」「1171.泳がせて探る」参照
☆湖底で魔哮砲越しに感じたものと同じ気配……「1222.水底を流れる」参照
☆スクートゥム王国の湾内巡視船団……「1254.防人の巡視船」参照




