1400.攻撃対象選定
年が明けても、魔装兵ルベルら特命部隊の任務は変わらず続く。
今年は新年の祝いにも、アサエート村に帰省できなかった。
ルベルは故郷を思う気力もなく、魔哮砲の視界でラキュス湖の底を見る。
夜のストラージャ湾は、大型の蝦や夜行性の魚が活発で賑やかだ。
昔は漁業が盛んな地域だったそうだが、半世紀の内乱時代に漁港が破壊され、無数の漁船が沈められた。
湖底で朽ちた漁船は現在、魚たちの格好の棲み処だ。
きっと内乱時代より豊漁だろうが、アーテル共和国はキルクルス教を国教と定めて独立し、魔物から身を守る術を持たない。漁業は廃れ、若い世代は魚の味を知ることなく育った。
魔装兵ルベルは、漁港の廃墟に立ち、ストラージャ湾の底を這う魔哮砲に指示を出す。傍らで工兵ナヤーブリが、魔装兵ルベルを守る。
スークス通信衛星アンテナ基地は、アーテル共和国領の南西端に位置する。ストラージャ湾を挟んだ対岸は、防人の国スクートゥム王国だ。
日のある内に【索敵】で、スークス通信衛星アンテナ基地から伸びる湖底ケーブルを辿り、今回、切断する位置の目星は付けてある。
ストラージャ湾の水域に漁業権などの権利を主張するのは、対岸のスクートゥム王国だけだ。夜間に操業する漁船などないだろう。
【索敵】で見たスークス通信衛星アンテナ基地は、復旧工事の最中だった。
昨年秋、大型のパラボラアンテナ七基は全て、工兵マーイたちが爆破した。その後、ネモラリス憂撃隊が召喚した魔獣が、基地職員を食い殺したようだが、アーテル軍の対魔獣特殊作戦群に駆除されたらしい。
完成はまだまだ先に見えたが、一基でも復旧すれば、少なくともスークス市の通信は回復してしまう。政府や企業の一部が首都ルフスから移転し、再び世界と繋がるのは、何としても防がなければならなかった。
アーテル共和国による電脳空間に於ける一方的なプロパガンダを止め、バルバツム連邦などからの兵器や食糧などの供給を断つことが、魔装兵ルベルらに与えられた使命だ。
アル・ジャディ将軍は、在外公館の駐在武官らに命じ、国外情報を集めさせる。
インターネットで得た情報は、ラズートチク少尉らが、将軍の許へ運んだ。魔装兵ルベルが、昼に見せられた湖底ケーブル敷設概略図も、そのようにして入手したものだった。
通信衛星アンテナは地上にある為、アーテル人が自力で復旧できる。だが、現場の作業員は全て民間事業者の一般人だ。
ラズートチク少尉は数日前、ルベルら特命部隊に淡々とアル・ジャディ将軍の言葉を伝えた。
「民間人を人の手で殺害すれば、必ず我が国に疑いの目が向けられる」
既に昨秋の白色の闇作戦で、多数の民間人が爆発に巻き込まれて死亡した。
アーテル共和国の被害を知った国際世論は、ネモラリス政府軍の攻撃が始まったと解釈した。
半分は正しいが、半分は違う。
ネモラリス軍は、なるべく人を殺傷しない場所と時間帯を狙って爆破したが、ネモラリス憂撃隊は、アーテル人を多く殺傷する場所と時間帯を狙った。更に魔獣を召喚して放ち、死傷者を食わせ、屋上に術で括って設備の復旧も妨げる。
「軍事と難民問題は切り離して考えねばならんが、国際的な人道支援団体の大半は、キルクルス教系だ」
「難民キャンプに対する援助を打ち切られる可能性があるのですか?」
「人道を謳う団体が、国籍や信仰で難民を差別するのでありますか?」
工兵ナヤーブリが眉を顰め、工兵マーイが憤る。
ラズートチク少尉は、当たり前のように頷いた。
「知らんのか? アルトン・ガザ大陸南部の紛争地域では、日常茶飯事だぞ」
「えっ……」
魔装兵ルベルだけでなく、工兵の四人も初耳だったらしい。
「湖東地方では、国連機関でさえ、国連難民高等弁務官が日之本帝国人に代わるまで、力ある民と、力なき民のキルクルス教徒との扱いの差が露骨だった。そもそも、フラクシヌス教徒の多い国では、難民キャンプすら設営されなかった」
「えっ……」
少尉は言葉を失った部下に落ち着いた声で語る。
「国連の武力介入は、キルクルス教徒への支援に主眼を置き、その結果、複数の国家が解体された。解体後の国家がキルクルス教国となり、国境の線引きもキルクルス教徒の人口が多くなるように工作された地域もある」
フラクシヌス教の神殿が多数破壊されたが、宗教弾圧だと咎めることはなく、人道問題として取り扱われることもなかった。
ラズートチク少尉は、タブレット端末をつついて部下に向けた。以前ダウンロードした信仰の分布図だ。
ルベルも同じものを表示させ、隣の工兵マールトに見せる。
「ディケア共和国のように分裂せず、内戦を終わらせた国もある。だが、停戦合意後に設けられたフラクシヌス教徒の自治区は、湖の女神派が多数を占めるにも拘らず、内陸に位置する。生活環境も劣悪だ」
上官の説明を聞き、工兵たちの顔が険しくなる。
「我が国のリストヴァー自治区には選挙権があり、自治区選出の国会議員も居るが、ディケアのフラクシヌス教徒自治区は選挙権を剥奪された」
「国連は何も言わないんですか? いつもは民主主義がどうのとかって独裁や権威主義はダメだって言ってるクセに?」
工兵マールトが拳を握る。
ラズートチク少尉は素っ気なく言った。
「特に動きはないな」
「国連機関も一枚岩ではなく、トップ交代後の国連難民高等弁務官事務所は、キルクルス教系NGOが撤退した地域でも、人道支援を継続し、職員が武装勢力に殺害される事件が増えた……と開戦前に湖南経済新聞で読みました」
工兵班長ウートラが遠慮がちに言うと、少尉はゆっくり顎を引いた。
「今の国連難民高等弁務官は、人道と難民の人権の為だけに動く。国連内部でかなり煙たがられているようだが、ブレんな。だが、国連本部が難民高等弁務官事務所に配分する予算や、大国が拠出する緊急援助の額は、人道危機や人権侵害の程度の軽重ではなく、常任理事国や拠出国の利害に左右される」
国連常任理事国は、無神論のアルポフィルム連邦を除き、五カ国中四カ国がキルクルス教国だ。
工兵班長ウートラが、隊員を代表して確認する。
「国連軍による武力介入もそうなのですね?」
「そうだ。だからこそ、キルクルス教国となったアーテルと戦う我々は、攻撃目標を誤ってはならんのだ」
特命部隊の隊員が背筋を伸ばす。
「攻撃目標は、ストラージャ湾の湖底ケーブル。作戦中、アーテルの人間は一人も殺すな。これが、アル・ジャディ将軍のご命令だ」
魔装兵ルベルは、その命令を胸に刻み、ストラージャ湾北部の廃港に居た。
☆魔装兵ルベルら特命部隊の任務……「1197.湖底ケーブル」「1215.目的の再確認」~「1222.水底を流れる」参照
☆若い世代は魚の味を知ることなく育った……「199.嘘と本当の話」参照
☆昨年秋、大型のパラボラアンテナ七基は全て、工兵マーイたちが爆破……「1217.工兵との会議」「1218.通信網の破壊」「1223.繋がらない日」「1225.ラジオの情報」参照
☆湖底ケーブル敷設概略図……「1216.ケーブル地図」参照
☆白色の闇作戦……「1214.偽のニュース」~「1222.水底を流れる」参照
☆アルトン・ガザ大陸南部の紛争地域……「370.時代の空気が」参照
☆湖東地方では……「249.動かない国連」「291.歌を広める者」「752.世俗との距離」「1086.政治の一手段」~「1088.短絡的皮算用」参照
☆国連難民高等弁務官が日之本帝国人……「364.国際政治の話」参照
☆ディケア共和国……「696.情報を集める」「728.空港での決心」「751.亡命した学者」「0966.中心街で調査」参照
☆国連常任理事国……「249.動かない国連」「259.古新聞の情報」「364.国際政治の話」「411.情報戦の敗北」「434.矛盾と閉塞感」参照
☆国連の武力介入……ネモラリスは防いだ「724.利用するもの」「893.動きだす作戦」「903.戦闘員を説得」「919.区長との対面」「0938.彼らの目論見」「0939.諜報員の報告」参照




