1396.無名の者の詞
ピアノ奏者スニェーグは、ネモラリス島北東部の小都市を巡り、情報と歌詞の案を集めて来た。アカーント市では、移動放送局プラエテルミッサの公開生放送に協力した。
移動放送局が集めた情報と歌詞も合わせ、ファーキル少年が全てパソコンに入力する。
未完の曲「すべて ひとしい ひとつの花」の歌詞は、完成間近だが、残り僅かがなかなか埋まらなかった。
データ入力が終わった翌日、早速、作詞と編曲に当たる主立った者たちが、アミトスチグマ王国の支援者マリャーナ宅に集まった。
ファーキル少年が、歌詞の案を取りまとめた紙束を各人の席に配る。
九人の同志が、グランドピアノのある部屋に集まった。
竪琴奏者のラクエウス議員、ラクリマリス人の詩人ルチー・ルヌィ、ソプラノ歌手ニプトラ・ネウマエとオラトリックス、平和の花束からは、アルキオーネとタイゲタ。ピアノの前には勿論、スニェーグが座る。
配り終えたファーキル少年が、ノートパソコンの前に座った。隣には、クラピーフニク議員も腰を落ち着ける。
平和の花束の残り二人と針子のアミエーラは、所用で外出中だ。
ホワイトボードには、流麗な筆致で「君の微笑みが この胸に今でも」とある。
詩人のルチー・ルヌィが、作詞会議の開始直前に書いたものだ。挿入個所は、“悲しい誓いと涸れ果てた涙”の前だと言う。
ラクエウス議員は、既に決定した歌詞を見ながら、竪琴を爪弾いた。手がすっかり覚えた主旋律が、純白の部屋に流れる。
皆の眼が歌詞を追い、歌い手たちが唇を小さく動かした。
「これって要するに“花が朝日に揺れる”と“君の微笑みが この胸に今でも”の間で何があったか……ですよね」
平和の花束のアルキオーネが口火を切った。
この“君”とは何者なのか。
大勢の詞をまとめたルチー・ルヌィに視線が集まった。詩人は、世界各地から寄せられた箇所の断片に夢中で、皆の注目に気付かない。
グランドピアノが、ゆっくりと主旋律を奏でる。
ラクエウス議員は音を拾いながら歌詞を追った。
どんな状況で、誰が夜明けにこの花を見たのか。
……字義通りではなく、幾重にも比喩を掛け合わせてあるようだな。
ラクエウス議員は、歌詞の紙束から目を上げた。クラピーフニク議員と視線が合う。秦皮の枝党の若手議員は、ピアノの音色が止むのを待って口を開いた。
「その前の“一条の光 闇を拓き 島は新しい夜明けを迎える”は、詞通りの意味だけではなくて、比喩が含まれていると思うんです」
リストヴァー自治区選出の老議員は若手議員の目を見て頷いた。
「だから、この朝日も花も、何か別の意味を考えた方が、続きを作りやすいのではないかと」
「そうですね。間奏の前に“安らかに眠るがいい”とありますし、この“君”はもう亡くなった方なのでしょう」
ニプトラ・ネウマエのよく通る声が、アミトスチグマ様式の白い部屋に響く。
詩人は答えない。
「では、この拓かれる“闇”は、魔哮砲として兵器利用される清めの闇か、戦争なのかね?」
「えっと、民族の分断とか対立とか」
ラクエウス議員に続き、タイゲタも闇が何を示すか考える。
それを受け、ファーキル少年が更に詩的な表現に変換した。
「もっと抽象的な……人の眼と心を覆う……瞑い闇?」
「あ、もしかしたら、それ、全部かもしれませんね?」
タイゲタが紙束から顔を上げ、ずり下がった眼鏡を細い指で押し上げた。
ニプトラ・ネウマエだけでなく、ファーキル少年とオラトリックスも同意する。
「最後の“憎悪と悲しみの鎖を断って”にも掛かりますわね」
キルクルス教徒……特に突然、開戦に踏み切ったアーテル共和国政府の上層部にとって、憎悪の対象は「魔哮砲として兵器利用する清めの闇」とその使用者であるネモラリス共和国軍だ。
民主国家であるが故に主権者である国民全体もその対象に含まれる。
魔哮砲戦争は、当事国であるネモラリスとアーテルだけに留まらず、地理的に挟まれたラクリマリス王国や、大量の戦争難民を受け容れたアミトスチグマ王国をはじめとして、ラキュス湖周辺地域の多くの国に暗い影を落とす。
戦争の長期化によって、深い闇が口を開けつつあった。
キルクルス教徒とフラクシヌス教徒。
力ある民と力なき民。
陸の民と湖の民。
共和派と神政派。
半世紀の内乱時代に燃え上がった複雑に絡み合う民族対立の炎は、ラキュス・ラクリマリス共和国の分裂によって一応の決着を見た。だが、鎮火したかに見えた憎悪の猛火は、三十年を経た現在も燻り続け、国家の分裂は分断の溝を深めただけだと思い知らされた。
ラクエウス議員ら、毎年老いてゆく常命人種にとって、国家分裂後の三十年は、世代の交代が進む程に長かった。
和平成立後に生まれた世代も、早い者は子を持ち、その子も既に小学生だ。
分断後の教育によって、新しい世代の眼にも、心を覆う瞑い闇が被せられた。
「冒頭の“一条の光 闇を拓き”は聖典の一節にもある。知の灯を点して、無知の瞑い闇を照らすと言う意味だがね」
「無知の瞑い闇……」
フラクシヌス教徒たちは、キルクルス教徒のラクエウス議員の声を静かに受け止め、考える。平和の花束の二人とファーキル少年は、何も言わずに頷いた。
ややあって、クラピーフニク議員が小さく手を挙げて発言した。
「この“君”は、花が咲く朝を迎える前に亡くなったと言うコトですよね?」
「ですよね。“花”も何かの比喩っぽいですけど」
アルキオーネが若手議員に同意した。
詩人は相変わらず黙考して動かない。
「左様でございますわね。花が咲いた後は、果実が生ります」
オラトリックスの一言で、アルキオーネとタイゲタがハッとして顔を見合せた。
「その果実って、平和とか、バラバラになったお互いへの理解が進むとか」
「何かのイイ成果ってコトですよね?」
タイゲタが大人たちを見回す。
クラピーフニク議員が、眼鏡越しの視線を受け止めた。
「そうだね。夜明けの花だから、平和とかの完全な成果が現れる少し前……急に何もかも完璧を目指すんじゃなくて、少しずつ」
「えっと、じゃ、この村の中学生が書いてくれた“同じ朝を目指して”とかどうですか?」
ファーキル少年が、紙束から一枚抜いてその一行を示す。
ラクエウス議員は手許の歌詞案を見た。
移動放送局プラエテルミッサの者たちが、ネモラリス島北東部の村で集めた案のひとつだ。
☆移動放送局プラエテルミッサの公開生放送に協力……「1388.融和を謳う曲」「1389.昔習った体操」参照
☆ラクリマリス人の詩人ルチー・ルヌィ……「774.詩人が加わる」参照
☆魔哮砲として兵器利用される清めの闇……「497.協力の呼掛け」「580.王国側の報道」「581.清めの闇の姿」「587.ハンパな情報」参照
☆国家の分裂は分断の溝を深めただけだと思い知らされた……「214.老いた姉と弟」参照
☆分断後の教育
アーテル側……「0165.固定イメージ」「0166.寄る辺ない身」「265.伝えない政策」参照
ネモラリス側……「358.元はひとつの」「359.歴史の教科書」参照
☆冒頭の“一条の光 闇を拓き”は聖典の一節にもある……「505.三十年の隔絶」「511.歌詞の続きを」参照




