1395.対価が不可欠
夕餉時、クフシーンカが帰宅すると、人の気配があった。
この家には盗られる物などもう何もない。台所の奥、寝室へ続く廊下の暗がりで人影が動いた。
「おかえりなさい」
「ただいま。あなたもお夕飯、ご一緒にいかが?」
……「おかえりなさい」なんて、いつ振りかしらね。
台所の灯が届くギリギリの位置まで来て、緑髪の運び屋は足を止めた。
「遠慮しとくわ。用がすんだらすぐ帰るから」
「お忙しいのね」
「お陰様でね。この間のアレ、ありがとね。奥の部屋に返したから、後で確認よろしく」
「何でも取っておくものね」
クフシーンカは夕飯の支度をしながら、先日、この魔女に貸し出した星界の使者からの代表者交代通知を思った。
……リゴル氏が新代表にならなければ、こんな。
「アミトスチグマで、中古の調理器具を集めたんだけど、こっちで需要あるかしら? そのまま使える物と、素材用のクズ鉄。それと食用油が少し」
「いつもありがとうございます。大変助かります」
運び屋の明るい声で、暗い所へ沈みかけた思考が中断した。
「そう。よかった。【無尽袋】に詰めて、教会の執務室に置いてもらうわ」
「兵隊さんにみつからないように……どこか他所で開けて、救援物資で届いたことに致します」
「それがいいわね。で、中身見て、例の小麦粉、対価として幾らかこの【無尽袋】に分けて欲しいんだけど……いい?」
何があったのかと、緑の瞳を見詰める。
これまで、運び屋と彼女が属する平和を目指す集まりからは、数々の支援を受けてきたが、対価を要求されたのは初めてだ。
「あ、お湯、沸いたわよ」
言われて小鍋の火を消し、レトルトの介護食を引き上げる。
「話し難いので、奥へ行きましょう」
「奥の部屋?」
「寝室でもよろしければ」
お盆に介護食のレトルトと空の食器を乗せ、ふらつく足を踏みしめる。
緑髪の魔女は外の目を警戒し、台所へ出て来ない。
「持つわ」
廊下の中程でお盆を受け取り、片手で寝室の戸を開けてさっさと入る。
クフシーンカは台所へ杖を取りに戻ったが、お茶を淹れる余力はなかった。
「お茶も出さずにごめんなさいね」
クフシーンカは、痛む膝を庇いながらベッドに腰を下ろし、緑髪の運び屋に隣へ座るよう促す。
運び屋は深く腰掛け、自分の膝の上へお盆を置くと、温まった介護食を食器に移してくれた。クフシーンカに匙と器を渡し、タブレット端末をつつく。
小さな画面に表示されたのは、フライパンの写真だ。
「こんな感じで、色んな大きさのが集まったんだけど、手伝ってくれたのはアミトスチグマの慈善団体なのよ」
「アミトスチグマの……」
受取った介護食を膝に置いて聞き返した。
「アミトスチグマは、難民キャンプ以外の場所にもネモラリス難民が居るの」
「市井に紛れて暮らしていると?」
「親戚や知り合いを頼って行った人たちよ」
魔哮砲戦争の開戦から、間もなく丸二年。
身内が余程の御大尽ならともかく、一般家庭で全てを喪った者たちの暮らしを丸抱えしたのでは、共倒れしかねない。
力ある民ならば、異国の地でも働き口がみつかるかもしれないが、力なき民が口に糊するのは難しいだろう。
……それでも街の中なら、魔物や魔獣が滅多に出ない分、マシでしょうけれど。
「地元に元々ある慈善団体が、生活に困ったネモラリス人も助けてくれてるんだけど、アミトスチグマ人の支援だけでもカツカツのとこに人数が増えたから、かなり台所事情が苦しいらしいのよ」
「明日早速、司祭様たちにも相談しますが、調理器具が来れば、少なくとも飲食店の経験者は料理できるようになります。きっと、食べられずに傷んでしまうくらいなら、そちらにお送りした方がいいと言ってくれますよ」
「そう。よろしくね。店舗を再建できなくても、屋台で何とかなるのね」
「私は、飲食店のことはよくわかりませんが……多分、そうなると思います」
クフシーンカの仕立屋は、戦闘に巻き込まれて大破したが、高齢の為、再建を断念した。菓子屋は息子がまだ小学生で、再建費用を調達するべく、色々な仕事に挑戦中だ。
東教区の店主たちも、日雇いの工事仕事などをして、日銭と再建費用を稼ぐ。
「食べ物は、寄付を呼び掛けてもなかなか集まらないんだけど、もう使わない調理器具は、思ったより集まりがよかったわ」
「どうしてですの?」
クフシーンカは食事どころではなく、緑髪の魔女に問いを重ねる。
「戦争のせいで食料品が軒並み値上がりしたからよ。でも、アミトスチグマで不用品を処分する時は、役所におカネ払わなきゃいけないから」
「税金とは別に……ですか?」
「そうよ。だから、要らない物を捨てずに取っといて、バザーとかに出す人が多いのよ」
「ゴミを捨てるのにおカネが要るなんて……」
リストヴァー自治区では、ゴミの処分料を取られるなどと夢にも思わない。
……色々な国があるものなのね。
「私も知らなかったんだけど、不法投棄したら、処分料の百倍から百万倍までの罰金を科されるの。スゴイでしょ」
「えぇ……」
驚きで、想像力がついてゆかない。
「電力の規格が合えばいいんだけど、ホットプレートも幾つか来たわ」
画面に短い脚付きの鉄板が表示された。電源コードがあり、電気式の調理器具なのはわかったが、使い方はわからない。
「鉄のフライパンの手入れの仕方や、ホットプレートの取扱説明書も印刷して入れとくから、心配しないで」
「何から何まで、ありがとうございます」
キルクルス教圏の多くの国から寄付が集まり、東教区の商店街の店舗兼住宅……ハコモノは早い段階で再建された。
商店主たちは、優先入居で住居が確保できただけでも恵まれた部類と言える。だが、町工場が壊滅し、材料の仕入れもままならず、営業に必要な道具類は殆ど手に入らない。
品物がある業種でも、その為の資金がなかった。
東教区の商店街は、以前より少し西側にもっと立派な店舗が並べられたが、大部分はまだ空っぽだ。
光熱費の支払いも厳しく、新築の店内で薪を燃やすのは躊躇われる。
飲食店なら屋台で営業し、復興特需に沸く工員や建築作業員相手に稼げれば、本格的に営業を再開できる日が近くなるだろう。
「小麦粉用の【無尽袋】は先に渡しとくわね」
運び屋は、お盆に小さな巾着袋を二枚入れると、呪文を唱えて姿を消した。
☆星界の使者からの代表者交代通知……「1357.変化した団体」「1367.新たな取引網」参照
☆アミトスチグマで中古の調理器具を集めた……「1384.言えない仲間」「1392.夜明けの祈り」参照
☆例の小麦粉……「1358.積まれる善意」「1360.多くの離反者」「1367.新たな取引網」参照
☆魔哮砲戦争の開戦……印歴二一九一年二月三日正午「0078.ラジオの報道」参照
☆地元に元々ある慈善団体が、生活に困ったネモラリス人も助けてくれてる……「1282.支援の報告会」「1283.網から漏れる」参照
☆菓子屋は息子がまだ小学生で、再建費用を調達するべく、色々な仕事に挑戦中……「1327.話せばわかる」参照
☆東教区の店主たちも、日雇いの工事仕事など……「311.集まった古着」参照




