1389.昔習った体操
ラジオのおっちゃんジョールチが、平和だった頃と同じ声で、ネモラリス島内数カ所の街と、ラクリマリス王国、アミトスチグマ王国の主要物価を読み上げる。
アカーント市内で放送を重ねる度に情報を更新し、少しずつニュースのコーナーが長くなった。その分、ニュースと音楽の間のお喋りを削る。
毎回言えばいいのにと思ったが、ラジオで聞く人の電池と録音用のカセットテープの節約の為に番組の時間を決まった通りにするらしい。
少年兵モーフは、アカーント市内での調査を少し手伝った。だが、スピーカー越しに聞こえる「ニュース」が何を言うのか、よくわからない。ニュースの基になる情報を集める作業をしただけでは、理解できないのだ。
……まだ全然、勉強が足ンねぇってのかよ。
魔獣と麻疹のせいで、小さな村に何カ月も留まるハメになった。
あの時、村の学校が受け容れてくれたお陰で、モーフは生まれて初めて落ち着いた環境で勉強できた。
ピナと一緒に受けた中学生の授業は、難しくてあまりわからなかった。
学校が終わってから、トラックの荷台で小学校の教科書を読んだ。
少しは字が読めるようになり、他の教科書の内容も、前よりはわかるようになった。だが、やっと「自分にはわからないことが山程ある」のがわかるようになっただけだ。
……一緒に調べたコトも、何言ってっかわかんねぇなんてな。
ラジオのおっちゃんの声が、右から左へ抜けてゆく。
神殿の前庭に集まったアカーント市民は、おっちゃんがまとめた記事がちゃんとわかるらしい。必死の形相でメモを取る。
見渡す限り緑髪で、所々にポツポツ茶髪や黒髪、金髪が混じり、草地に置いた石に見えた。
……コイツらみんな魔法使いなんだよな。
魔法使いは「力ある言葉」も読み書きできる。
モーフは普段使う湖南語でも、まだかなりてこずる。
どれだけ勉強すれば、こんな難しいハナシがわかるようになって、別のコトバまで覚えられるようになるのか。
「以上で、経済ニュースを終わります。次は、音楽と体操です」
ラジオのおっちゃんが、声の調子を別人のように明るくした。
つられて、聴衆の顔が明るくなる。
「ラジオをお聴きのみなさんも、ご一緒にどうぞ。まずは、歌をお聞き下さい。国民健康体操の曲で、平和を願う歌『みんなで歌おう』です」
白髪の爺さんが、いつの間にか荷台を降りてピアノを鳴らした。
移動放送局プラエテルミッサと同時に客席からも歌声が上がる。
「ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
心を鎮めて 湖畔に立って
新しい日々みつめ みんなと手をつなごう
平和な明日へ 思いを歌にして
みんなの強い願い 謳い続けようよ
勇気を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶う日まで……」
知る人の多い曲にアマナたちが平和を願う詩を付けた歌だ。
商店街などで番宣ポスターと一緒に歌詞も配った。何度も公開生放送を聴きに来た者だけでなく、初めての者も、ピアノにピッタリ合わせて歌う。
「ネーニア ネモラリス フナリス ラキュスの島よ
ランテルナ アーテル 岸辺も元はひとつ
悲しい思い出 さあ涙を拭いて
違うとこも含めて 本当の友達
下ろした拳で ひとつの環をつくる
つないだその手で今は 共に目指すひとつ
みんなを信じて 輝く歌ここに
平和な未来の 夢 諦めないよ……」
経済ニュースで険しくなった顔が、「神々の祝日のメドレー」を聴いた時と同じ明るさを取り戻す。
綻んだ唇が軽快に歌を紡いだ。
「魔力 あっても なくても ひとつの民よ
樫と 星の道 湖 陸も仲間
これから作ろう 幸せな笑顔
いつまでも続く日々を 心から願おう
すべてはひとつ 等しく大切な
みんなで 謳おうよ 心からこの歌を
希望を与え はばたく歌ここに
平和な未来の 夢 叶えようよ
幸せな明日の 花 咲かせようよ」
終わった途端、歌った者も、歌えなかった者も、歌わなかった者も一斉に拍手した。互いを見交わす視線がやさしい。
……自治区って、みんながこんな感じになるのって、一瞬もなかったな。
チラッと掠めた記憶と、いちいち比べてしまう自分が、ほとほとイヤになった。
「ありがとうございました。みなさまご自身にも盛大な拍手を!」
ラジオのおっちゃんの一声で笑顔の輪が広がり、拍手が一層大きくなる。
「次は、同じ曲で国民健康体操の実演を行います。会場のみなさんは、場所が足りませんので、見学のみでお願いします」
拍手がピタリと静まった。
モーフ、ピナ、ピナの妹ティス、そしてアマナが木箱を組んだ舞台に上がる。
「ラジオでお聴きのみなさんは、可能でしたらご一緒に。国民健康体操です」
ピナが力強くホイッスルを鳴らすと、聴衆の背筋が伸びた。
ピアノの爺さんが、体操の曲を軽やかに奏でる。同じ曲なのに歌と一緒の時とは大違いだ。同じ楽譜を見て弾くハズなのに何で別の曲みたいになるのか。
身体を動かし始めると、そんな疑問は吹っ飛んだ。
大勢を前にして体操するのは、何だか緊張した。
横目でピナを見ると、合図の笛をレコードと全く同じに鋭く吹きながら、堂々と実演する。
……カッコイイな。
モーフは余計なコトを考えないよう、正面を向いた。
湖の民の大人たちが、今にも一緒に体操を始めそうなウズウズした顔で、モーフたちに注目する。
ソルニャーク隊長とメドヴェージのおっさんの話では、半世紀の内乱で国が分裂する前は、どこの学校でもした体操らしい。
ネモラリスとアーテルは戦争中だが、どちらの国民も、三十代後半以上の大人は、国民健康体操ができる。
五十年も内戦が続いて、これ以上喧嘩しないように国を分けた。
それなのにまた、戦争になる。
……不思議だよな。
この街の大人たちは、懐かしげにモーフたちの動きを見守る。
……何でなんだろうな。
いつもと同じ疑問が頭の中でぐるぐるする内に体操が終わった。盛大な拍手にお辞儀で応えて木箱を降りる。
ラジオのおっちゃんが国際ニュースを読み始めると、拍手が止んだ。
☆村の学校が受け容れ……「1054.束の間の授業」「1096.教育を変える」参照
☆ピナと一緒に受けた中学生の授業……「1054.束の間の授業」「1055.先生の計らい」「1057.体育と家庭科」「1097.災害時の料理」「1098.みつけた目標」参照
☆トラックの荷台で小学校の教科書を読んだ……「1113.知の灯を識る」参照
☆国民健康体操の曲で、平和を願う歌『みんなで歌おう』……「「275.みつかった歌」」「324.助けを求める」参照
☆ソルニャーク隊長とメドヴェージのおっさんの話……「0115.昔の音の部屋」「0122.二度目の食堂」参照




