1388.融和を謳う曲
冬の風に乗って、ここに集まった街の人々に平和な頃の曲が届く。
FMの電波に乗って、ラジオからピアノのやさしい音色が流れた。
アカーント市内での公開生放送はこれで三回目。今日が最終日なだけあって、先の二回と比べて数倍もの聴衆が詰めかけた。
最前列で聞く数人は三回とも来て、少年兵モーフはすっかり憶えてしまった。
……こいつら暇人かよ。
麻疹の流行で、アカーント市の西側にある村が幾つも壊滅した。
生き残りが少ない村は、早晩、魔物や魔獣に対する防壁の効力を維持できなくなるらしい。疫病で死なずに済んだ村人たちは、荷物をまとめて街の身内や知り合いの所へ身を寄せた。
染料を採る花畑は、雑草が蔓延る荒地になった。
村の畑は荒れ果てて、来年の麦も期待できない。
家畜はみんな肉になり、羊毛も取れなくなった。
西隣のミャータ市も麻疹でボロボロになった。
仲間を亡くした素材屋は、山や森へ採りに行けなくなり、流行病が終わっても顔色が悪い。戦争と疫病で素材の入荷が滞り、仕事をしたくても、できない職人が増えつつある。
……ホントに暇ンなったんだ。
アカーント市では、予防接種が無料だったお陰で、命は助かった。
産地が壊滅したせいで、素材の供給が減り、他所の街から仕入れようにも、みんな考えるコトは同じで争奪戦。飛び交うのは銃弾ではなく、カネだ。
備蓄を使い果たした職人は、命と技術、仕事道具があっても働けなかった。
……暇になっちまったんだな。
少年兵モーフは、移動放送局プラエテルミッサの大人数人と組んで、アカーント市内のあちこちで、情報収集や番組の告知を手伝った。
行く先々で見た暗い顔が、公開生放送の間だけ、明るくなる。
これまでの街では二時間の放送だが、ここではピアノの爺さんの生演奏が加わって、三時間する。
リストヴァー自治区で聴いた旋律が耳を打った。
何回聴いてもドキドキする。
移動放送局のトラックが停まるのは、アカーント東神殿の前庭だ。
催し物用の簡易テントの下に立派な絨緞が敷かれ、アップライトピアノが据えられた。あのカフェで見たグランドピアノよりずっと小さくて、本棚くらいしかないが、いい音だ。
爺さんの長い指が鍵盤を走り、「神々の祝日の聖歌メドレー」を奏でた。少し離れた所に立つマイクが、キレイな音色を拾う。
三十分以上もある曲だが、モーフは、もっとずっと、いつまでも続けばいいのにと思った。
ずっと昔の大昔、薬師のねーちゃんや漁師の爺さんが生まれるずっと前に作られて、ピアノの爺さんも知らなかったと言う古い曲だ。
センセイと葬儀屋のおっさんが言うには、ラキュス・ラクリマリス王国の時代、王国領内で信仰されるすべての神々に感謝する祝日があった。
その日は、キルクルス教徒もフラクシヌス教徒も関係なく、教会や神殿、村の小さな祠など、国中で歌のないこの曲を奏でた。
キルクルス教の聖歌と、フラクシヌス教の神々を讃える歌が、一続きの大きな曲に編まれたものだ。
ラキュス・ラクリマリス王国の民は、陸の民も湖の民も関係なく、街や村、湖の畔や山の麓で、自分の好きな楽器で奏でた。
力ある民も力なき民も関係なく、楽器をひとつも持たない奴は、口笛や手拍子で演奏に加わった。
この日は、ラキュス・ラクリマリス王国民なら誰でも、隣人が信仰の場で歌う聖歌をひとつの曲として、一緒に合奏する。
それが、神々の祝日だった。
ピアノの爺さんが生まれるずっと前に王国が共和国になって、神々の祝日は「信仰の自由」とやらの為になくなった。
それから、半世紀の内乱が起きた。
今日、雪のような白髪の爺さんは、分厚い楽譜を見てピアノを操り、長い長い曲を一人で奏でる。
……楽譜がありゃ、聴いたコトねぇ大昔のでも弾けるんだな。
少年兵モーフも見せてもらったが、全く読めなかった。
神殿の前庭にはアカーント市民がぎっしり詰め掛け、昨日、雪が降ったとは思えないくらい熱気が溢れる。
トラックの斜め後ろにも簡易テントがあり、生演奏の実現に奔走したカフェの店長と商工会議所の会頭、編み物の達人と楽器運びのプロが待機する。
モーフは、楽器運びのプロなんて初めて聞いたが、軽くする魔法が凄ぇ上手い連中らしい。
小さいピアノを貸してくれたのは、編み物の達人と言う婆さんだ。こんな時までせっせと編んで、手を休めない。
人々が身じろぎひとつせずに聴き入る中、最後の和音が年末の空へ吸い込まれて消えた。
夢から醒めたように拍手が始まる。最初は小さく疎らだった拍手が次第に大きくなり、雷のように冬の空気を震わせた。
「只今お聞きいただきましたのは『神々の祝日の聖歌メドレー』です。演奏は、リャビーナ市民楽団のピアノ奏者スニェーグさんでした」
ラジオのおっちゃんジョールチが、演奏前にも言った説明を繰り返すと、静まりかけた拍手がまた大きくなった。達人も、編みかけの何かを置いて手を叩く。
ピアノの爺さんが椅子から立って、客席に深々とお辞儀する。観衆は、演奏者を褒め称える歓声と、後で手が腫れ上がるに違いない拍手を浴びせた。
……やっぱ、プロってスゲーな。
ラジオのおっちゃんが、何事もなかったかのようにいつもの調子で、経済ニュースを読み始めた。
途端に客席が静まり返る。
爺さんは、その隙に荷台へ上がって休憩に入った。
アカーント市民が、付合いが濃い三都市の物価情報や、主要素材の国際相場に聞き入る。先程とは打って変わって必死の形相だ。
……平和になんなきゃ、どうにもなんねぇんだな。
少年兵モーフは急に現実を突きつけられ、あたたまった心が冷え込んだ。
☆村が幾つも壊滅……「1324.荒廃した集落」「1325.消滅した集落」参照
☆ミャータ市も麻疹でボロボロ……「1336.魚屋が来ない」「1337.声なき困窮者」参照
☆アカーント市では、予防接種が無料……「1355.施策の違いで」参照
☆あのカフェで見たグランドピアノ……「1370.カフェの演奏」参照
☆神々の祝日の聖歌メドレー……「295.潜伏する議員」「310.古い曲の記憶」参照




