1386.ルブラの要望
パドールリクは手帳を捲って視線を走らせ、呪符屋のカウンターに立つロークに顔を向けた。力の籠もった眼差しを受け止め、思わず背筋が伸びる。
「アカーント市は魔法の繊維産業、オバーボク市は魔法の道具制作や、その素材関連の産業が盛んです」
ロークは、頭に地図を描いて頷いた。
「元々両市の間には緊密な関係があります。オバーボクの染料でアカーントの職人が糸を染め、その魔法の糸でオバーボクの職人が【無尽袋】を作るなどです」
「調達先は、近郊の農家だけではないのですか?」
何故かスキーヌムが食いつく。
「そうです。ムスカヴィート市やリャビーナ市とも取引がありますが、昔から持ちつ持たれつ付合いのある取引先とは、値上がりが厳しくても、なかなか縁を切れないんですよ」
「品質の件もあるし、状況が落ち着きゃ供給も戻るだろうからな」
ゲンティウス店長が作業部屋をチラリと見た。
今は、魔獣由来の素材が奥の倉庫に入りきらず、作業部屋にも積み上がる。アーテル本土での仕事を請けた魔獣駆除業者や、個人的に活動した素材屋プートニクが狩ってきたものだ。
だが、その他の素材は、ネモラリス共和国の産地がアーテル軍の空襲や、疫病で打撃を受け、ラクリマリス領の産地も腥風樹の毒素に汚染され、供給が減少した。逆に、需要は戦争のせいで増え、価格が高止まりして在庫が心許ない。
……あ、そっか。店長さんも、他所の素材生産とか、国際取引の相場が気になるんだ。
ならば、先程の包みは、お釣りと言うより情報料だろう。
「オバーボクでは、ミクランテラ島を介して、湖北地方からの輸入を増やす動きがあるようです」
「旦那、そんなコトまで調べ上げたんですか?」
呪符屋の店主がカウンターに身を乗り出す。
「えぇ。アカーント市で取材した際、オバーボクの行商人たちからも話を聞けましたので、私とレーフさんがオバーボクまで行って、裏取りしました」
……やっぱ、社会人経験が豊富な人って、スゴイよなぁ。
開戦後、ロークも様々な局面で情報収集を行ったが、所詮は高校生だ。
商取引でどんな情報が必要か具体的に思い付かず、欠けた情報の存在に気付けない。ロークがパドールリクと同じ情報収集をしたら、アカーント市内で行商人から聞いた情報だけをまとめて、報告書を作ってしまっただろう。
「で、どうだったんです?」
「オバーボク側は、かなり意欲的で、物々交換の交易品をあれこれ見繕う動きが活発でした」
ミクランテラ島は、湖北七王国のひとつであるルブラ王国領だ。湖北七王国は鎖国政策を採り、元がひとつの国だった七王国間にしか国交がない。
魔法使いの国際組織「霊性の翼団」の本部を置くミクランテラ島だけが、唯ひとつ、世界に開かれた窓口だ。
「少し前にルブラ王国がインターネットに興味を示し、交換品に衛星移動体通信のカタログを要求したそうです」
「何です? その、えーせー……何とかってのは?」
「衛星移動体通信……周回衛星と直接、データの遣り取りができる小型の衛星通信アンテナと、送受信機、電話とかパソコンとか通信機器と接続するモデムとケーブル、それから小型の発電機を組合わせたシステム一式のことです」
元神学生のスキーヌムがすらすら説明した。
湖の民二人は魔法には詳しいが、インターネットや機械類には疎いらしく、専門用語だらけの話に圧倒されて呆然とする。
ロークは湖底ケーブルの切断後、ファーキルがまとめた報告書で、どんなものか知った。だが、予備知識のない魔法使いにも理解可能な説明の仕方までは、わからない。
店長に困惑の視線を向けられ、困ってパドールリクを見た。
彼は理解した顔で頷く。
「息子から教わったのですが、それがあれば、湖底ケーブルや大規模な通信衛星アンテナ基地がない場所でも、インターネットに接続できて、電話も使えるのだそうですよ」
「へぇー……」
店長は感心してみせたが、声と顔は半分以上が困惑で埋まる。
パドールリクは構わず続けた。
「小型の物は、人間がその一式を全て背負って運べる大きさ重さで、大型の物でも、乗用車に積める程度だそうです」
日之本帝国など、最先端の科学文明国は、大規模災害による通信途絶への備えとして、軍、警察、消防、役所、一定以上の規模の病院や、各地域の学校にまで配備してあると言う。
「あぁ、本土の連中が血眼になって掻き集めてるアレですかい。ちょっと前にラジオで言ってましたよ」
店長がポンと手を打ち、顔を明るくする。
その臨時ニュースは、ロークも耳にした。
アナウンサーが読み上げた数値を訳もわからぬままメモして、運び屋フィアールカに伝えた。ファーキルの報告書によると、あの数字は、通信速度を表すものだと言う。
衛星移動体通信の通信速度は、湖底ケーブル経由の大容量高速通信に慣れた身には、まどろっこしい遅さらしい。
……インターネットの導入が初めてのとこなら、それでも充分なんだろうな。
「ルブラ王国側は、次の定期便でカタログを持って来てくれればいいと言ったようですが、オバーボク側は臨時便を出して、説明会を行ったそうです」
「ん? じゃあルブラ王国も、もうすぐインターネットが使えるようになるんですかい?」
「それが、そうでもないそうなんですよ」
「やっぱり、本土の連中が散々買い漁って品薄だからですかい?」
「何故、ルブラ王国はインターネットに接続したがるのですか?」
店長とスキーヌムの声が重なった。
……交換品の新聞で外部の情報は手に入るから、インターネットがどんなものか知っててもおかしくないけど、何で、湖底ケーブルが切れた今?
ロークも気になり、パドールリクの答えを待った。
☆アーテル軍の空襲……「0192.医療産業都市」「757.防空網の突破」参照
☆疫病で打撃……「1324.荒廃した集落」「1325.消滅した集落」「1336.魚屋が来ない」「1337.声なき困窮者」参照
☆ラクリマリス領の産地も腥風樹の毒素に汚染……「862.今冬の出来事」参照
☆オバーボクでは、ミクランテラ島を介して、湖北地方からの輸入……「852.仮設の自治会」「0947.呪符泥棒再び」「1030.価値観の違い」参照
☆オバーボクの行商人たち……「1353.染料の原材料」「1366.可視化の効能」参照
☆魔法使いの国際組織「霊性の翼団」の本部を置くミクランテラ島……「0162.アーテルの子」「248.継続か廃止か」「395.魔獣側の事情」「489.歌い方の違い」参照
☆湖北七王国は鎖国政策……「1208.崖下の撮影会」参照
☆交換品に衛星移動体通信のカタログを要求……「1368.素材等の需要」参照
☆湖底ケーブルの切断……「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆ちょっと前にラジオで/臨時ニュース……「1225.ラジオの情報」参照
☆交換品の新聞で外部の情報は手に入る……「852.仮設の自治会」参照




