1383.味が変わる訳
呪符屋の扉が開き、話し合いがピタリと止む。
店番のスキーヌムが黒髪の少女に声を掛けた。
「いらっしゃいませ。どんな呪符がご入り用ですか?」
「クラウストラです。ロークさんは?」
高校生くらいの少女は、長い黒髪を三ツ編にして、その結び目に大輪の青薔薇と蕾を模った髪飾りを付け、コートの下に湖水色のワンピースを纏う。全体に上品で隙のない雰囲気だが、どの服にも呪文や呪印は見えなかった。
スキーヌムは、蛇に睨まれた蛙のように動かない。
「あんたが報告書に書いてあった百面相の姐ちゃんか」
「あなたは?」
クラウストラが、カウンター席に座る陸の民の中年男性に訝る目を向ける。
「俺か? 移動放送局プラエテルミッサの運転手だ」
「メドヴェージさん……ですね?」
少女の視線がメドヴェージに移ると、スキーヌムは棚の方を向いて大きく息を吐いた。
……そんな怖いコには見えないんだけど?
ロークの報告書によると、ルフス光跡教会に侵入した双頭狼にトドメを刺したのは、彼女だ。
使用した術は【光の槍】らしい。クラウストラが【急降下する鷲】学派を修めた魔法戦士なのか、他の学派だが、必要に迫られて戦う力を身に着けたのか不明だ。
武力を持つ魔法使いが、危険人物とは限らない。
力なき民にも、詐欺師や人殺しは存在する。
毒ある行いを実行するか否かは、人柄の問題だ。
ロークが、スキーヌムに報告書の内容をどこまで明かしたか、アウェッラーナは知らない。だが、同年代くらいの少女にこんなにも怯えた目を向けるのは、失礼に思えた。
アウェッラーナの兄アビエースが、店番とクラウストラの間で目を泳がせる。
スキーヌムは、まだ彼女の質問に答えないばかりか、背中を向けてしまった。
メドヴェージがニヤリと笑う。
「よく知ってンなぁ。俺ぁいつの間にそんな有名人になってたんだ?」
「ロークさんが、みなさんと旅してた時のコト、時々話して下さるんですよ」
「へぇー。嬢ちゃん、あの坊主としょっちゅう出掛けてんのか?」
「そうですね。フィアールカさんに頼まれて、ちょくちょく情報収集に」
運転手は大袈裟にがっかりしてみせる。
「なぁんだ。色気のねぇハナシだな」
「ヤダー、私たち、そんな仲じゃありませんよー」
クラウストラが苦笑する。照れ隠しの表情は、外見通りの女子高生に見えた。
「お? じゃあ、どんなんだ?」
「みなさんと同じ、一緒に平和を目指す仲間ですよー」
アウェッラーナは、店の奥にある作業部屋に目を向けた。
ロークとゲンティウス店長の姿は、カウンター席からは見えない。声に気付いて出てきてくれるかと思ったが、作業に夢中で聞こえないのか、手が離せないのか、動く気配はなかった。
スキーヌムは、メドヴェージが場を繋いでくれたコトにも気付かないらしく、店の備品のように動かない。
「ロークさんって、お使いに行ったんですかー?」
とうとう、クラウストラが大声で聞いた。
スキーヌムではなく、奥のゲンティウス店長に問いを投げたのだ。
……何かあったにしても、お店番なんだから、取次ぎはちゃんとしないと。
店のコトに口を挟むのもどうかと思い、薬師アウェッラーナは出掛かったお小言を飲み込んだ。
ピナティフィダとメドヴェージも顔を見合わせ、小さく溜め息を吐く。
「すみませーん、今ちょっと手が離せなくてー、急ぎですかー?」
「大丈夫ー。ちょっと待たせてもらうからー」
本人の答えで、クラウストラはメドヴェージの隣に腰を落ち着けた。
カウンター席が全て埋まり、泣きそうな目で振り向いたスキーヌムが、五対一の人数を前にのろのろとお茶の仕度を始める。
「あれっ? 私、呪符買わないのに淹れてくれるんですか?」
「店長からそのように言われております」
「坊主、そんなイヤそうなツラしてやんなよ。上等のお茶っ葉でもマズくなンだろうがよ」
メドヴェージがニヤニヤ茶化す。
「淹れる時の表情で、お茶の味が変化するのですか?」
真顔で聞かれ、メドヴェージがアウェッラーナに困惑の顔を向ける。
アウェッラーナは一瞬、スキーヌムが淹れたお茶の味が蘇り、口の中が苦くなった気がしたが、表情を消して言葉を選んだ。
「そうですね。技術も大事ですけど、イヤそうに淹れられたら、飲む側もイヤな気持ちになりますから」
「イヤならそんな無理しなくていいですよぉ。お茶が勿体ないですから」
クラウストラが顔の前でヒラヒラ手を振る。
……味、知ってたらいい口実よね。
「どうして、そんなにイヤなんですか?」
ピナティフィダが大胆に切り込んだ。
薬師アウェッラーナは意外な声に驚いて、パン屋の娘を見た。メドヴェージとクラウストラも、ピナティフィダを見詰める。
質問者の視線を受け、店番の少年が早口で捲し立てた。
「この人のせいで、ロークさんはルフス光跡教会で魔獣に襲われて、大怪我をさせられたのですよ? 薬師さんもご覧になられましたよね? あなたがいらっしゃらなければ、い、今頃、どう……」
後は涙で言葉にならない。
「あれは面積が広いから大きく見えただけで、傷自体は浅かったって何回同じコト言わせたら気が済むんですか?」
カウンターに顔を出したロークの声が刺々しい。スキーヌムは袖で顔を覆って俯いた。
ピナティフィダが気マズそうにアウェッラーナを見る。
「いつもこんな調子で、フィアールカさんの用事の足引っ張るんで、放っといていいですよ」
「えぇッ?」
クラウストラ以外の四人が、ロークに驚きを浴びせた。
☆ルフス光跡教会に侵入した双頭狼にトドメを刺したのは、彼女だ……「1076.復讐の果てに」「1077.涸れ果てた涙」参照
☆スキーヌムが淹れたお茶の味……三歩進んで二歩戻る「0995.貼り紙の依頼」「1068.居たい場所は」「1225.ラジオの情報」参照
☆ロークさんはルフス光跡教会で魔獣に襲われて、大怪我……「1076.復讐の果てに」「1081.隠れ家で待つ」「1082.自力で癒す傷」参照
☆薬師さんもご覧になられました……「1095.本格的な治療」参照
☆フィアールカさんの用事の足引っ張る……「1102.定着した目的」参照




