1382.できない理由
「教科書はいいとして、それ以外の支援、どうすればいいんだろうな?」
アビエースが、茶器を置いて呪符屋のカウンターに両肘をついた。
ピナティフィダが宙を睨み、指でカウンターに図を描く。
少女の頭の中では何やらできあがりつつあるようだが、薬師アウェッラーナが手元を見ても、わからなかった。
考えの邪魔をせぬよう、そっと手帳を開き、先程の買物をメモする。
移動放送局プラエテルミッサは、新年の休暇明けまでアカーント市内に留まり、数回に分けて公開生放送をする予定だ。
年内は取材と並行して、自分たちの年越し用と、次の街への道中で販売する物の仕入れを行う。
これまで通った街や村では、医薬品は魔法の品も科学の品も喜ばれた。小さな村では作れない電池などの工業製品も同様だ。
……他に何を仕入れたら……ん?
「メドヴェージさんの地元って、フライパンとか作ってませんでした?」
「台所用の金物か? ちっせぇ町工場はいっぱいあったけどよ、あの火事と解放軍の攻撃で、どうなったかわかんねぇぞ?」
トラックの運転手は、運送会社で働いた経験を元に即答した。
彼も念の為、スキーヌムの前では、リストヴァー自治区の名を出さない。
「料理ができないのは、焼け出されて何もかも失くして、代わりの物が手に入らないからなんですね」
アウェッラーナの兄アビエースが言うと、メドヴェージはいつになく、淋しげな笑みを作った。
「東地区は元々バラック小屋ばっかの貧民街だ。そン中に学校や教習所、教会と病院がポツポツあって、湖岸沿いに外の大きい会社が持ってるデカい工場。工場沿いのぶっとい道路を挟んだ西に商店街と地元の町工場だ」
「街の地理と住民が料理できないことには、どのような関係があるのですか?」
スキーヌムが疑問を挟む。
メドヴェージは泣きそうな目で、カウンターに立つ世間知らずの少年を見た。
「わかんねぇか?」
「不勉強で申し訳ございません」
色白で髪と瞳も淡い色の少年が、消え入りそうな声で恐縮する。
リストヴァー自治区から来たトラック運転手は、僅かに眦を下げた。
……この子、モーフ君とは別方向で、知らないコトだらけなのね。
「バラック街の家ってのは、トタン板や段ボール、木箱やコンクリートブロックなんかで作った掘建て小屋だ。台所どころか、風呂と便所もねぇ」
「……えっ?」
メドヴェージが説明する声はやさしかった。運転手も薬師と同じ点に気付いたらしい。
元神学生のスキーヌムは、想像もつかなかったらしい。眼鏡の奥で、淡い色の瞳が動揺に揺れる。
「勿論、鍋や何かの調理道具なんざねぇし、バラックにゃ、電気ガス水道がなんもねぇから、鍋だけあっても煮炊きできねぇ」
スキーヌムは、メドヴェージの言葉を反芻するのか、表情を消して沈黙した。
「そんなだから、メシの作り方もわかんねぇ奴が大半だ」
「ご存知の方は……一人もいらっしゃらないのですか?」
「メシ屋と学校の家庭科の先生、工場の食堂の奴くれぇだな」
「パン工場とか、なかったんですか?」
パン屋の娘ピナティフィダも、考え事を中断して加わる。
「あるにはあったが、あんなモンは流れ作業だかんな。自分の持ち場のこたぁわかっても、嬢ちゃんみてぇに一人でイチから作れる奴ぁ居ねぇだろうな」
薬師アウェッラーナは、先程の思い付きを声に出した。
「アミトスチグマの慈善団体の人から、要らないお鍋とかをもらって、あっちに送って、あっちで困ってる生の小麦と交換してもらうの、どうでしょう?」
「そう言えば、報告書には、仮設住宅一棟にひとつ、竈ができたと書いてあったな」
兄のアビエースが、薬師アウェッラーナの案に同意する。
「麺類は発酵させなくていいし、作り方も一緒に送れば、少しは食べられるようになりますね」
ピナティフィダが声を弾ませると、スキーヌムの顔も明るくなった。
だが、メドヴェージの声は硬い。
「パスタのコト言ってんのか? だったら無理だな」
「何故、無理なのですか?」
スキーヌムが眉を曇らせる。メドヴェージは意外そうに片眉を上げたが、すぐ真顔に戻って答えた。
「薬師の姐ちゃん、あの放送局の廃墟で茹でた時、水がたっぷり要ったろ?」
「あっ……飲み水も、まだ足りないかもしれないんですね」
アウェッラーナが肩を落とすと、ピナティフィダがカウンターに乗せた拳を見詰めて言った。
「魔法が使えたら、湖水を飲み水に変えられるし、料理の火も燃料なしで使えるし、お鍋がなくてもパスタを茹でられるのに」
ピナティフィダは、フラクシヌス教徒だが、力なき陸の民だ。
移動放送局のトラックでは、レノ店長たちと協力し合って、ほぼ毎日、みんなの分の食事を用意してくれる。
だが、彼女には調理の技術はあっても、自力では魔法を使えない。作用力を補う【魔力の水晶】があれば、【炉】は何とかなるが、【操水】による水の浄化まではできないのだ。
力ある民と力なき民では、身ひとつで放り出された時の生存率が全く違う。
薬師アウェッラーナは、ピナティフィダが、食事の用意をする度に放送局の廃墟で火事場泥棒をして食べたパスタを思い出し、苦しみ続けた可能性に気付いた。
湖の民であるアウェッラーナには、掛ける言葉がみつからない。
「ま、でも、鍋やフライパンがありゃ、料理できる奴らが何か他の食い方、思い付くんじゃねぇか?」
「そうですよね。何もないより、選択肢が増えていいですよ」
メドヴェージが明るい声で言うと、アビエースが笑顔で肯定した。
「じゃあ、運び屋の姐ちゃんに言って、両方とハナシつけてもらおう」
カウンターに座る四人は、温香茶をチビチビ飲みながら、どんな物が必要か、手帳に書き出した。
☆あの火事……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆解放軍の攻撃……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」参照
☆どうなったか……「918.主戦場の被害」「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」参照
☆バラック街……「276.区画整理事業」「315.道の奥の広場」「539.王都の暮らし」「892.自治区の視察」参照
☆風呂と便所もねぇ……「0013.星の道義勇軍」「0031.自治区民の朝」「276.区画整理事業」参照
☆アミトスチグマの慈善団体……「1282.支援の報告会」「1283.網から漏れる」参照
☆あっちで困ってる生の小麦……「1358.積まれる善意」参照
☆パスタ/あの放送局の廃墟で茹でた時……「0123.みんなで料理」「0124.まともなメシ」参照
☆火事場泥棒……「0121.食堂の備蓄品」「0122.二度目の食堂」参照
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