1379.閉塞感の外へ
「それじゃあ、アウェッラーナさん、アビエースさん、メドヴェージさん、ピナをよろしくお願いします」
レノ店長が妹の肩に両手を置いて、大人三人の前に立たせる。中学生の少女は、小さな手荷物ひとつを持って、兄と同じ色の頭をぺこりと下げた。
「よろしくお願いします」
「ピナティフィダさんはしっかりしてますから、大丈夫ですよ。私の方こそ、出先でのお手伝い、よろしくお願いします」
薬師アウェラーナは微笑んで、パン屋の少女の手を取った。
エランティスが、複雑な顔で姉を見上げ、兄の袖を握る。
「ティスちゃん、お土産買ってくるからね」
ピナティフィダが振り向いて声を掛けると、小学生の妹は、泣きそうな顔の口許にだけ笑みを作って頷いた。
少し離れた所で、少年兵モーフが羨ましげにメドヴェージを見て、小石を蹴った。メドヴェージは何か言おうとしたようだが、苦笑して唇を引き結ぶ。
彼は唯一の大型免許所持者として、いつも移動放送局プラエテルミッサに残り、滅多にイベントトラックを離れることがない。
子供たちもそうだが、今回は話し合いの結果、年長のピナティフィダを連れてゆくことに決まった。
アカーント市の門まで見送りに来た者たちは、この後、商店街でラジオの公開生放送の告知と情報収集をして、量販店の駐車場に戻る。
「いってきまーす」
ピナティフィダが手を振ると、パン屋の兄妹と葬儀屋アゴーニ、DJレーフが振り返した。少年兵モーフだけが下を向く。
「しょうがねぇ野郎だな」
メドヴェージが苦笑し、ピナティフィダもつられて苦笑したが、何も言わなかった。
市壁の門を一歩出て、アウェッラーナはピナティフィダ、兄のアビエースはメドヴェージと手を繋ぎ、同時に呪文を唱える。
「鵬程を越え、此地から彼地へ駆ける。
大逵を手繰り、折り重ね、一足に跳ぶ。この身を其処に」
目眩に似た浮遊感の直後に風景が一変する。
ネモラリス島の北東に位置するアカーント市から、遙か南西の湖上に浮かぶランテルナ島まで【跳躍】の術なら一瞬だ。
カルダフストヴォー市の西門を出てすぐの所には、旧ラキュス・ラクリマリス共和国時代の港の廃墟がある。
半世紀の内乱後、分離・独立したアーテル共和国は、キルクルス教を国教と定めた科学文明国だ。ラキュス湖の魔物から身を守る手段を捨てた為、港湾設備は何ひとつ再建されずに捨て置かれた。
現在は、ランテルナ自治区で暮らす魔法使いたちが、壊れた岸壁から釣糸を垂らす。
「ランテルナ島、もう何か月振りかわかんないくらい、久し振りです」
「そうだなぁ。運び屋の姐ちゃんに王都へ連れてってもらって以来か」
ピナティフィダが声を弾ませ、メドヴェージも、カルダフストヴォー市の南に聳える巨大な南ヴィエートフィ大橋の威容に目を細める。
「ロークさんって今、地下の呪符屋さんで働いてるんですよね?」
「そうだよ。仲良しだったのかい?」
アビエースが聞くと、少女は首を横に振った。
「一緒に旅する間は、特に親しかったワケじゃないんですけど、たくさん助けていただきました」
「そうか。このご時世で、悪くない縁がある人の元気な顔を見られるのは、いいことだね」
アウェッラーナの兄アビエースが、湖の民らしいことを言うと、陸の民の少女は微笑を返した。
「こっちはホントに何ともなかったんだな」
「そうですね。ロークさんの報告書で、無事なのは知ってましたけど、実際見ると、安心感が全然違いますね」
西門を通ったメドヴェージが明るい声を出し、あの頃と変わらないカルダフストヴォー市の街並みを見回す。
ピナティフィダも喜びを抑えきれない声で続いた。
……戦争や疫病でボロボロのとこにずっと居たんじゃ、気が滅入るわよね。
薬師アウェッラーナは、二人のこんな笑顔を見たのが久し振りだと気付き、気分転換の必要性を失念したのが申し訳なくなった。
クルィーロが、買出しや情報収集の同行者にレノ店長を選ぶのは、幼馴染をあの閉塞感に満ちた空気の外へ連れ出したかったからだと気付く。
……モーフ君はイザとなったら戦えるけど、アマナちゃんとエランティスちゃんは……王都か夏の都なら大丈夫かな?
アミトスチグマ王国の夏の都なら、アミエーラとファーキルに会える。
誰が連れてゆくのが一番いいか。
二人ともしっかりした子とは言え、仲のいい子供たちを一度に連れてゆくのは難しいだろう。戻ってからみんなと相談することにして、地下街への階段を下りた。
煉瓦敷きの通路には、店の看板とたくさんの商品が溢れ、その間を大勢の客がすり抜けてゆく。
昼食営業の仕込みが始まり、肉の焼ける匂いや、香辛料の風味が地下街チェルノクニージニクの空気に満ちる。
「お昼、獅子屋さんにしましょうか」
「おっいいなぁ。あそこのメシ、美味かったもんなぁ」
アビエースが提案すると、メドヴェージは一も二もなく同意して、頬を緩めた。
久し振りに地下街チェルノクニージニクを訪れた二人は、山積みの商品に瞳を輝かせて品定めする。
今回の目的は、ロークと会って情報交換、交易品の調達、それから魔法薬の調合で、一泊二日の予定だ。
交易品は、アカーント市を離れ、ムスカヴィート市へ向かう道中の村で商売……と言うより、現地の物資不足を補う為に調達する。ネモラリス共和国では手に入り難くなってきた工業製品や生活雑貨がいいだろう。
ランテルナ島は、アーテル本土とも取引がある為、遠く離れたキルクルス教圏の国々からの輸入品も多い。
流石にそれらの国々の品をネモラリス共和国内で売るのはマズい。二人は原産国表示を確認して、注意深く選んだ。
ステニア共和国製の小型ラジオ四台と、電池のパックを三種類四パックずつ、容量の小さい【無尽袋】に入れて、呪符屋へ向かった。




