1377.電脳界の傭兵
密命を受けた武官らは、在外公館に駐在する外交官にも、任務の存在すら教えなかった。
アーテル共和国が電脳空間で繰り広げるプロパガンダに対する反撃は、現在も極秘裏に行われる。
電脳空間に於ける情報戦では、多数の傭兵を雇った。
ネモラリス政府軍の駐在武官たちも当然、同志ら同様の調査を行っただろう。
カネで動く者たちは、雇い主がネモラリス共和国政府軍とは知らぬまま、活動させられるのだ。
「SNSで工作する五人の選定が、どう行われたかも大凡見当がつきます」
「そんなコトまでわかるのかね?」
ラクエウス議員には、いつ、どこで知り合い、どのような口実で“仕事”を持ち掛け、報酬の支払いを行うのか、全く想像もつかない。
若手のクラピーフニク議員は、タブレット端末をつついて老議員に向けた。
「インターネット通販の会社がギフト券を発行しています」
「傭兵への報酬は、現金ではなく、商品券で支払うと言うのかね?」
「そうです」
「科学文明国ならば、捜査に魔法の道具を使わぬからか。郵送でも、どこかに置いての受け渡しでも、身元が割れる心配がないのだな?」
若手議員は、首を横に振った。
「ギフト券の番号を伝えるだけで済みますから、僕が知る限りの魔法や、魔法の道具を使用しても、カネの流れを掴めないでしょうね」
「メールには番号を書かないで、どこかへ見に行くように指示したりとか、用心するでしょうね」
プロバイダに令状を提示した正式な司法捜査ならば、電子メールやSNSの書込みなども、内容が開示されるのだと言う。
通信記録だけを見てもそれとわからないよう、用心するとすれば、電脳空間ではなく、どこか実在の場所に写真かメモの類を置き、物体は後で回収して証拠隠滅を図るだろう。
老議員は、全く想像もつかなかった。どう質問すればいいかすらわからず、呆然と若者たちを見詰めるしかない。
ファーキル少年が、パソコンの画面を切替えた。
「ギフト券の説明のページです」
誰かに商品券を贈りたい者は、まず、取扱店か通販サイトで券を購入する。何らかの方法で、受取人にその券を渡すか、券の番号を伝える。
受取人が、通販サイトの自分の登録画面でその番号を入力すれば、額面分の買物ができるようになる。
クラピーフニク議員は、いつの間に勉強したのか、画面上の図を示しながら説明してくれた。
「通販サイトで買うと、登録情報や、決済に使った信用情報で、身元が割れる可能性があります」
「ふむ……インターネットでは、他人になりすますのが難しいのだな?」
「匿名でアカウントを取って、他人の情報を盗んで決済って言うのも、よくある犯罪ですけど、科学文明国の警察は大抵、それ系の検挙に力を入れてるんで、逮捕されるかもしれません」
「それよりも【化粧】の首飾りなどを使って顔を変え、現地のお店で現金を払う方が足がつき難いでしょうね」
若者ふたりが犯罪の手口を平然と語る。ラクエウス議員は言葉も出なかった。
「行く度に顔を変えれば、防犯カメラに映ったところで、科学文明圏の国々では見破れません」
「……それでは、魔法文明圏の悪人がやりたい放題せんかね?」
クラピーフニク議員は、老議員の懸念に頷いた。
「先日、日之本帝国が【鵠しき燭台】を導入したとのニュースを見ました」
日之本帝国は、チヌカルクル・ノチウ大陸東端の先に浮かぶ島国で、科学の先端技術を有する。
「では、バルバツム連邦も?」
「いえ、バンクシア共和国とバルバツム連邦は、科学捜査一辺倒ですね」
「何故だね? それでは魔法使いの犯罪者は、野放しではないのかね?」
「犯罪被害者の団体が、政府に導入を要求する運動を展開しますが、キルクルス教系の人権団体の反対が強くて、実現は遠いようです」
クラピーフニク議員が冷めきった温香茶を啜ると、ファーキル少年は、自らが構築したサイト「旅の記録」を開いた。
表示されたのは、バルバツム連邦で生まれ育ったが、何らかのきっかけで自身が「隔世遺伝の力ある民」であると知った者たちの不安や恐怖が綴られたページだ。
同国内での魔道犯罪の認知件数は少ないが、そもそも科学捜査では、魔法を悪用した犯行を特定できない。建物にも【跳躍】などを防ぐ結界がない。その気になれば容易に侵入でき、また、一瞬で遠方へ逃れられる。
聖地を擁するバンクシア共和国と、聖者信仰が盛んなバルバツム連邦では、キルクルス教の教義と相俟って、魔法使いや魔力を持つ者が、犯罪者と同一視されるに到った。
実際は、悪意を抱く少数の者が犯行を重ねるだけだ。
刃物を持つ者すべてが他人を殺傷することがないのと同様、魔法使いの大半はその力を悪用しない。それでも、ただそこに居るだけで白眼視される。
買物をしようにも偏見や蔑視で、入店を断れることさえあった。
〈会社を辞めて、親戚や知り合いが居ない遠くへ引越しました。
誰とも会わなくていいネットのギグワークでギリギリ生きてます〉
〈自分も、ルニフェラ共和国に引越しを考えてます〉
〈他人の視線が怖くなって一歩も出られなくなりました。
通販とネットスーパーでどうにか暮らしてます〉
〈家族にコイツ早く死なねぇかなって目で見られんのマジ辛い。
実際、俺のせいで親も近所で肩身狭くて、もう消えてしまいたい〉
「対策の足を引っ張る人たちの活動が盛んなせいで、警察や司法当局が魔道犯罪を取締まれなくて、それがまた犯行を楽にして、差別や偏見を呼んで、宗教系団体が活動に確信を持つ原因になってって悪循環が起きてるそうですよ」
ファーキル少年が、まとめた膨大な情報を前にして溜め息を吐く。
ラクエウス議員は驚いた。
「星の標以外にも、そんな団体があるのかね?」
「リゴル氏が代表になってからの星界の使者がそうです」
クラピーフニク議員の声を受け、ファーキル少年が表示を切替えた。
☆アーテル共和国が電脳空間で繰り広げるプロパガンダ……「864.隠された勝利」「1128.情報発信開始」「1215.目的の再確認」「1346.安定には遠く」参照
☆犯罪被害者の団体/キルクルス教系の人権団体の反対……「0183.ただ真実の為」「434.矛盾と閉塞感」「1108.深夜の訪問者」~「1110.証拠を託す者」参照
☆サイト「旅の記録」……「448.サイトの構築」「586.気になる噂話」「591.生の声を発信」参照
☆自身が「隔世遺伝の力ある民」であると知った者たち……「590.プロパガンダ」「753.生贄か英雄か」「795.謎の覆面作家」「809.変質した信仰」~「812.SNSの反響」参照
☆ルニフェラ共和国……「431.統計が示す姿」「1195.外交官の連携」参照




