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すべて ひとしい ひとつの花  作者: 髙津 央
第七章 印歴二一九一年二月七日

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0141.山小屋の一夜◇

 どのくらい眠ったのか、アミエーラはふと目が覚めた。

 寒さのせいではない。

 何かの気配で目が覚めたのだ。


 雨音はまだ続いていた。

 小屋の中を見回す。

 真っ暗で何も見えない。雑妖も視えない。


 気配を感じる方へ視線を巡らせる。

 朽ちた屋根の隙間から、無数の目がアミエーラを見下ろす。

 雨の夜に光る眼はこの世の獣のものではない。獣である筈がなかった。

 もし、獣なら、その顔や身体に対して目が大き過ぎる。


 びしゃり……ぬしゃり……

 びしゃり……ぬしゃり……


 雨音に混じり、重い音が小屋の周囲を回る。


 アミエーラは、どうやって身を守ればいいか考えた。

 物理的には、錆びた鎌くらいしか武器になりそうな物がない。外へ逃げるのは危険だ。

 幸い、今はまだ、小屋の結界を突破されそうな様子はない。


 ……大丈夫。【魔除け】があるから……【魔除け】があるから、大丈夫よ。


 アミエーラは、服越しに【魔力の水晶】を入れた袋を握りしめた。聖者キルクルスではなく、魔法に(すが)る。


 「真名(まな)は忘れちゃいけないし、他の誰にも知られちゃいけないんだよ」

 幼いあの日、石碑の前で祖母に言われた言葉が甦る。


 ……私はイフェイオン。イフェイオン・ユニフローラム・ステルラ・カエルラ。


 アミエーラは、心の中で自分の真名を唱えた。

 闇の中で、改めて家族を思う。

 この真名を付けたのは、母方の祖母だ。

 物心つく前に亡くなった母は覚えていない。

 父は力なき民で、敬虔なキルクルス教徒だ。この辺りの習慣として、真名と呼称を付けることに反対しなかっただけでも、大きな譲歩だったのだろう。


 呼称のアミエーラは「宿り木」と言う意味だ。どこからか種子が運ばれ、大樹の枝に根付く異質な常緑樹。祖母はどんな思いで、孫娘の呼称を「宿り木(アミエーラ)」と名付けたのか。


 ……お祖母ちゃん。


 なんでもない日々の暮らしでは、聖者キルクルスへの信仰が心の支えだった。

 この山の中で魔物や雑妖に(おびや)かされる今、アミエーラを守るのは、小屋と護符の【魔除け】の魔法だ。


 聖者への信仰は、今、目の前にある脅威からは守ってくれない。

 今まで見ないフリをしてきたことに、イヤでも向き合わされる。


 闇の中、自分と魔物が対峙する。


 ……私は魔女……魔女のイフェイオン・ユニフローラム・ステルラ・カエルラ。力なき民なんかじゃない!



 小鳥の(さえず)りが聞こえる。

 気が付くと、辺りは明るくなっていた。雨音も止んだ。

 アミエーラは身を硬くして戸口へ視線を向けた。閉まったままで何も居ない。あの音も聞こえない。

 恐る恐る視線を上げる。屋根の隙間にも、何も居なかった。


 ホッとして立ち上がる。

 空き瓶には、三分の一くらい雨水が溜まった。しっかり蓋をしてリュックの横に置く。


 戸口を細く開け、アミエーラは息を呑んだ。

 ぬかるんだ土が乱れている。

 泥に刻まれたのは、人でも獣でもない足跡だ。小屋を囲んで幾重にも重なり、何周もする。

 雲の切れ間から朝の光が射し、水溜まりが輝いた。


 ……夢じゃ……なかった。


 震えながら外へ出た。作業場は日当たりがよく、雑妖は居ない。

 足跡で乱れた所以外は、濡れ落ち葉が地に貼り付き、霜が降りていた。白く輝く霜を踏み、急いで裏へ回って用を足して小屋に戻る。


 こんな所に長居はできない。

 朝食を口に押し込み、瓶の雨水を少し飲んで荷物を担ぐ。


 ……これ、小屋もこんなだし、もう誰も要らないよね?


 アミエーラは、半ば自分に言い聞かせると、壁に掛かった鎌を一本取り、小屋を後にした。錆びた鎌でも素手よりはマシだ。

☆小屋の中……「0134.山道に降る雨」参照

☆真名……「0012.真名での遺言」「0015.形勢逆転の時」参照

☆幼いあの日、石碑の前……「0102.時を越える物」参照

☆空き瓶には、三分の一くらい水が溜まった……「0134.山道に降る雨」参照


★第七章 あらすじ

 あれから一週間が過ぎた。

 地元民ロークたち十人は、放棄された国営ラジオの支局で最後のニュース原稿を発見した。

 アミエーラは一人、雨の山道を行く。魔装兵ルベルは、防空艦で哨戒の任務に就いた。


 ※ 登場人物紹介の一行目は呼称。

 用語と地名は「野茨の環シリーズ 設定資料」でご確認ください。

 【思考する梟】などの術の系統の説明は、「野茨の環シリーズ 設定資料」の「用語解説07.学派」にあります。



★登場人物紹介


 ◆湖の民の薬師(くすし) アウェッラーナ 呼称は「(ハシバミ)」の意。

 湖の民。フラクシヌス教徒。髪と瞳は緑色。

 隔世遺伝で一族では唯一の長命人種。外見は十五~十六歳の少女(半世紀の内乱中に生まれ、実年齢は五十八歳)

 父と姉、兄、甥姪など、身内で支え合って暮らす。実家はネーニア島中部の国境付近の街、ゼルノー市ジェリェーゾ区で漁業を営む。

 ゼルノー市ミエーチ区にあるアガート病院に勤務する薬師(くすし)

 魔法使い。使える術の系統は、【思考する(フクロウ)】【青き片翼(かたよく)】【(すなど)伽藍鳥(ペリカン)】【霊性の(ハト)

 真名(まな)は「ビィエーラヤ・オレーホヴカ・リスノーイ・アレーフ」


 ◆パン屋の青年 レノ

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。十九歳。濃い茶色の髪の青年。

 ネーニア島のゼルノー市スカラー区にあるパン屋「椿屋」の長男。

 両親と妹二人の五人家族。パン屋の修行中。

 レノは、髪の色と足が速いことからついた呼称。「馴鹿(トナカイ)」の意。


 ◆ピナティフィダ(愛称 ピナ) 呼称は生まれた季節に咲く花の名。

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。中学生。二年三組。濃い茶色の髪。

 レノの妹、エランティスの姉。しっかりしたお姉さん。


 ◆エランティス(愛称 ティス) 呼称は生まれた季節に咲く花の名。

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。小学生。五年二組。濃い茶色の髪。

 レノとピナティフィダの妹。アマナの同級生。大人しい性格。


 ◆工員 クルィーロ 呼称は「翼」の意。

 力ある陸の民。フラクシヌス教徒。工場勤務の青年。二十歳。金髪。

 パン屋の息子レノの幼馴染で親友。ゼルノー市スカラー区在住。

 両親と妹のアマナとの四人家族。隔世遺伝で、家族の中で一人だけ魔力がある。

 魔法使いだが修行を怠り、使える術の系統は【霊性の(ハト)】が少しだけ。

 機械に興味があるので、ゼルノー市グリャージ区のジョールトイ機械工業の音響機器工場に就職。


 ◆アマナ 呼称は生まれた季節に咲く花の名。

 力なき陸の民。フラクシヌス教徒。クルィーロの妹。金髪。

 小学生。五年二組。エランティスの同級生。ゼルノー市スカラー区在住。


 ◆少年 ローク 呼称は「角」の意。

 力なき陸の民。商業高校の男子生徒。十七歳。ディアファネス家の一人息子。

 ゼルノー市セリェブロー区在住。家族とは相容れなくなり、家出する。

 祖父たち自治区外の隠れ教徒と自治区の過激派が結託して、テロを計画していることを知りながら、漫然と放置してしまった。

 保身に走り、後悔しがち。


 ◆お針子 アミエーラ 呼称は「宿り木(ヤドリギ)」の意。

 陸の民。キルクルス教徒。十九歳の女性。金髪。青い瞳。仕立屋のお針子。

 工員の父親と二人暮らし。祖父母と母と弟妹は病死。弟妹はいずれも幼い頃に亡くなり、人数も憶えていない。泥棒が同情するレベルの赤貧。

 魔力はあるが、魔法が使えない。

 母方の祖母が力ある民。隔世遺伝で魔力を持つが、魔法を教わっておらず何もできない。


 ◆仕立屋の店長 クフシーンカ

 力なき陸の民。キルクルス教徒。一人暮らしの老婆。気前がいい。

 リストヴァー自治区の団地地区で、仕立屋を経営している。

 アミエーラの祖母の親友。ずっとお互いに助け合ってきた。


 ◆フリザンテーマ 呼称は「菊」の意。

 力ある陸の民。フラクシヌス教徒。アミエーラの祖母。クフシーンカの幼馴染で親友。

 力なき陸の民でキルクルス教徒の夫と結婚。内戦終了後はリストヴァー自治区に移住した。

 自治区では、魔法使いであることを隠す為、知り合いのいないバラック地帯で生活した。


 ◆カリンドゥラ

 力ある陸の民。長命人種。

 アミエーラの祖母フリザンテーマの姉。仕立屋の店長クフシーンカの幼馴染。

 無事なら現在も、ネモラリス島に住んでいる筈。


 ◆少年兵 モーフ 呼称は「(コケ)」の意。

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の少年兵。十五~十六歳くらい。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。

 アミエーラの近所のおばさんの息子。祖母と母、足が不自由な姉とモーフの四人家族。

 父は、かなり前に工場の事故で亡くなった。

 以前は工場などで下働きをしていた。自分の年齢さえはっきりしない。

 貧しい暮らしに嫌気が差し、家出してキルクルス教徒の団体「星の道義勇軍」に入った。


 ◆隊長 ソルニャーク 呼称は「雑草」の意。

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍・第三小隊の隊長。モーフたちの上官。おっさん。

 知識人。冷静な判断力を持つ。

 キルクルス教徒だが、狂信はしていない。自爆攻撃には否定的。

 陸の民らしい大地と同じ色の髪に、彫の深い精悍な顔立ち。空を映す湖のような瞳は、強い意志と知性の光を宿す。


 ◆元トラック運転手 メドヴェージ 呼称は「熊」の意。

 力なき陸の民。キルクルス教徒。星の道義勇軍の一兵士。おっさん。

 リストヴァー自治区のバラック地帯出身。

 以前はトラック運転手として、自治区と隣接するゼルノー市グリャージ区の工場を往復していた。

 仕事で大怪我をして、ゼルノー市ジェリェーゾ区にある中央市民病院に入院したことがある。


 ◆魔装兵ルベル 呼称は「赤」の意。髪の色からそう呼ばれる。

 力ある陸の民の男性。フラクシヌス教徒。兵学校を卒業して数年の若い兵。

 ネモラリス政府軍の魔装兵。【飛翔する蜂角鷹(ハチクマ)】学派の術を修め、偵察などを主な任務とする。

 ネーニア治安部隊の隊員だったが、テロ鎮圧作戦中に戦争が始まり、急遽、水軍の守備隊に転属させられる。軍用魔道機船に乗り組み、見張りとして空襲の警戒にあたる。

 軍服は魔法の鎧。

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野茨の環シリーズ 設定資料
シリーズ共通設定の用語解説から「すべて ひとしい ひとつの花」関連の部分を抜粋。
用語解説01.基本☆人種など、この世界の基本
用語解説02.魔物魔物の種類など
用語解説05.魔法☆この世界での魔法の仕組みなど
用語解説06.組合魔法使いの互助組織の説明
用語解説07.学派【思考する梟】など、術の系統の説明
用語解説15.呪歌魔法の歌の仕組みなど
用語解説11.呪符呪符の説明など
用語解説10.薬品魔法薬の説明など
用語解説08.道具道具の説明など
用語解説09.武具武具の説明など
用語解説12.地方 ラキュス湖☆ラキュス湖周辺の地理など
用語解説13.地方 ラキュス湖南 印暦2191年☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の地図と説明
用語解説19.地方 ラキュス湖南 都市☆「すべて ひとしい ひとつの花」時代の都市と説明
地名の確認はここが便利
用語解説14.地方 ラキュス湖南 地理☆湖南地方の宗教や科学技術など
用語解説18.国々 アルトン・ガザ大陸☆アルトン・ガザ大陸の歴史など
用語解説20.宗教 フラクシヌス教ラキュス湖地方の土着宗教の説明。
用語解説21.宗教 キルクルス教世界中で信仰されるキルクルス教の説明。
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