1372.ノチリア企業
「既にご承知かと存知ますが、私はリャビーナ市民楽団に所属しております」
白髪のピアノ奏者スニェーグは、漁師の爺さんと葬儀屋のおっさんの案内で、催事用簡易テントの長机の席に腰を落ち着けた。
簡単に自己紹介すると、上着のポケットから小さく折り畳んだ紙を出して広げる。
手書きの略地図だ。
住所らしき文字もある。
「ここは、私たちがよく公演する公民館です。最近は楽団にも観客にも余裕がなくなりまして、回数は減りましたが、活動そのものは続けております」
慈善コンサートで「すべて ひとしい ひとつの花」を演奏して歌詞を募集し、仮設住宅へ逃れたネーニア島民への募金活動もするのだと言う。
少年兵モーフは、近所のねーちゃんアミエーラの歌の師匠が、この楽団の人なのを思い出した。
ピアノの爺さんは、コンサートの予定がない時期はあちこちの店で演奏してカネを稼ぎながら、情報収集するのだと言う。
「リャビーナ港の貿易区画をご覧ください。この辺りにオースト倉庫株式会社があります」
長い指が、地図の星印を指し示した。
……ここが、あの。
リャビーナ市で密かに根を下ろした隠れキルクルス教徒のアジトだ。
高校生のロークが、上手いコトして社長宅に侵入し、礼拝堂も確認したと言う。
「オースト倉庫は最近、スペラ貿易株式会社との取引を増やしました」
「スペラ貿易……どこの企業ですか?」
ラジオのおっちゃんジョールチが、ピアノの爺さんに聞く声が険しい。
少年兵モーフは、よくない噂のある会社なのかと身構えて、白髪の爺さんの答えを待った。
「ノチリア共和国の貿易商社です」
「のちりあ……?」
モーフは、初めて耳にした国名を口の中で小さく繰り返した。
クルィーロがタブレット端末をつついて、長机の真ん中に置く。駐車場のテントに集まったみんなは、色とりどりの頭を寄せて、小さな画面を覗き込んだ。
湖東地方の内陸国だ。
北はディケア共和国、南はジゴペタルム共和国と境を接する。ただ、南は険しい山脈が幾つも連なり、力なき民が行き来するのは難しそうに見えた。
「ノチリア共和国は、元々主神派のフラクシヌス教徒の多い両輪の国でしたが、ラキュス・ラクリマリス共和国が半世紀の内乱で荒れた時代にキルクルス教徒が勢力を拡大し、現在は国をほぼ二分する程になりました」
「内戦などはなかったのですか?」
「今は落ち着きましたが、かなり住み分けが進みました」
ピアノの爺さんは、ソルニャーク隊長の心配を半分肯定した。
「じゃあ、その会社も、キルクルス教徒の会社?」
アマナがイヤそうに聞くと、ピアノの爺さんは困った顔で頷いた。
「スペラ貿易は、ディケア共和国やジゴペタルム共和国の工業製品、それからノチリア共和国の農産物などをオースト倉庫に預けるようになりました」
「農産物……ですか? 確か、オースト倉庫は食品倉庫を所有していなかったと記憶しておりますが」
パドールリクが首を傾げると、ピアノの爺さんより先にアマナが口を挟んだ。
「お父さん、ナマモノじゃないのは普通の戸棚に仕舞えるけど、ダメなの?」
「ただ仕舞うだけじゃなくて、害虫や黴、植物の病気を防ぐ設備が要るからね」
「害虫や病気を防ぐ設備って?」
「貯蔵中に農薬処理する設備だよ。倉庫の部屋全体を燻蒸するのとか色々だな。元々ネモラリス島にない病気や害虫が持ち込まれたら、大変だろ?」
「あー……」
アマナの納得する声と、初めて知った者たちの声が低く重なった。
ピアノの爺さんが、端末の隣に紙の地図を並べて言う。
「ラクリマリス政府の湖上封鎖以降、リャビーナ港とレーチカ港のコンテナ取扱量が大幅に増えました」
「それで、設備投資を……?」
ラジオのおっちゃんが聞くと、ピアノの爺さんは、雪のように白い頭を縦に動かした。
「同時に人員も拡充しました。主にネーニア島から焼け出された力なき民をパートタイマーやアルバイトとして大量雇用したのです」
「そんなに儲かってるんですか?」
レノ店長が、ピナと同じ色の目を丸くする。
「臨時政府が実施する緊急雇用促進事業の補助金も活用するようですが、事業を拡大して、業績を伸ばしているのも確かです」
力ある民なら、仕事がなくても最悪、【魔力の水晶】への魔力充填や湖水の塩抜き、水汲みなど、ちょっとした用事の代行でその日の食事にはありつける。
だが、力なき民にはそれができないばかりか、力ある民ならば少額で済む光熱費や、身を守る呪符代の負担も嵩む。家事労働も、魔法なら数秒で済むことに数十分から数時間を要し、なかなか働きに出られない者が多い。
フラクシヌス教団や慈善団体などは、仮設住宅を中心に様々な生活支援を行う。
行政も、財源が許す限り、可能な支援策を打ち出すが、戦争が長引くに従って税収が落ち込み、先細ってゆく。
「オースト倉庫は、湖上封鎖の貿易危機を口実に湖東地方……特にキルクルス教徒の多い企業との取引を増やしたのですね?」
「恐らく、そうでしょう」
少年兵モーフは、ラジオのおっちゃんとピアノの爺さんの深刻な声に言葉もなく聞き入る。
「以前読んだ報告書には、オースト倉庫は、雇用した力なき民にそれとなく、キルクルス教の教義を摺り込むと書いてありましたが、その辺りの動きはいかがですか?」
ソルニャーク隊長が聞くと、魔法使いの爺さんは小さく肩を竦めた。
「相変わらず、真意を巧妙に隠して、マニュアルなどの文章に織り込んで教化するようですが、目立った動きはありませんね」
「解放軍の対抗措置なども?」
「はい。監視は続けてますが、直接どうこうする動きはありません」
「ちょっと悔しいけど、ホントに空襲で焼け出された人を助けてるんですね」
ピナがしょんぼり下を向く。
……クソッ! 俺が大金持ちだったら、困ってる連中みんなまとめて助けられンのに。
モーフは、落ち込むピナを励ます言葉も出ない己の無力が歯痒かった。
星の道義勇軍の少年兵として、戦闘の訓練は積んだが、それだけだ。カネの稼ぎ方や、本当にみんなの助けになるコトは、何も教えてもらえなかった。
☆近所のねーちゃんアミエーラの歌の師匠……オラトリックス「804.歌う心の準備」「805.巡回する薬師」参照
☆高校生のロークが、上手いコトして社長宅に侵入……「694.質問を考える」~「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」参照
☆礼拝堂も確認……「722.社長宅の教会」~「724.利用するもの」参照
☆ノチリア共和国は(中略)かなり住み分けが進みました……「1086.政治の一手段」~「1088.短絡的皮算用」参照
☆焼け出された力なき民をパートタイマーやアルバイトとして大量雇用/雇用した力なき民にそれとなく、キルクルス教の教義を摺り込む……「873.防げない情報」参照
☆仮設住宅を中心に様々な生活支援……「278.支援者の家へ」参照
▼信仰の分布図




