1369.狩って食う者
少年兵モーフは、老漁師アビエース、アマナたちの父ちゃんパドールリクと三人で、東の商店街に来た。こっちは、アカーント市に着いて割とすぐ行った西の商店街と違って、凄く地味だ。
……俺も、あっち行っときゃよかったかな。
後悔がチラっと掠める。
昨日、魔法使いの工員クルィーロと一緒に行った糸屋の工房を思い出し、もう一回、諦めた。
糸屋の店長は、クルィーロが先週の湖南経済新聞と何かの一覧表を渡すと大喜びして、何でも協力するとまで言ってのけた。
金髪の魔法使いが、見学させてもらえないか聞くと、ふたつ返事で承知して、すぐ店の奥へ通した。
「見学したがってるの、俺じゃなくて妹たちなんですけど」
「あら、そうなの? 今日は……一緒じゃないのね」
緑髪のおばさんは、モーフをチラ見して微妙な顔になった。そんな目で見られても、見たこともない色の数に圧倒され、口もきけない。
「妹とその友達、みんな力なき民の小学生と中学生で、お手伝いとかはムリなんです。ホントに見せていただくだけで恐縮なんですけど」
「いいのよ。それより、見学したコトを他所で放送してくれたら、弟子入り希望の人が増えるかもしれないし」
……ちゃっかりしてやがんなぁ。
棚やガラスケースにきっちり収まる色の種類を憶えるだけでも、気が遠くなりそうだ。
一本だけ持って来た客に「同じ色の品が欲しい」などと言われても、モーフにはみつけられる自信がなかった。
赤系統だけでも二十種類以上ある。今は順番に並べてあるからいいが、ひっくり返したら元に戻せる気がしない。棚からそっと距離を取った。
……これ全部、憶える気がある奴って、なかなか居ねぇよな。
糸屋の店長がカウンターの奥の扉を開けると、何とも言えない匂いが漂った。初めて嗅ぐ匂いで、臭くはないが、いい匂いとも言い難い。
ピナと同じ髪色の女の人が、見たこともない大釜を棒でかき混ぜる。袖まくりをした腕は汗だくだ。アカーント市は湖の民ばかりで、この街で初めて土色の髪を見た気がする。
「明日、見学の人たちが来るから、よろしくね」
「はーい」
糸屋のおばさんの声に振り向いた顔は汗まみれだが、明るい笑顔だ。ピナより少し年上らしい。見るからにキツそうな作業なのに、笑って働ける彼女が眩しくて、少年兵モーフは思わず目を逸らした。
クルィーロが糸屋のおばさんと何か話をしたが、右から左へ抜けてしまい、モーフの頭には何も残らなかった。
「モーフ君も見学させてもらう?」
「い、いや、俺はいいっス! 取材手伝うっス!」
何故、断ってしまったのか。自分でもわからない。
そんなこんなで、今日は漁師の爺さんと、商売に詳しいアマナたちの父ちゃんと三人で、地味な方の商店街に居る。
肉屋の保冷棚は空っぽだが、乾物の棚には商品が隙間なく並ぶ。複雑な模様と力ある言葉が書かれた布の袋だ。膨らみの大きさは色々で、中身は全く見えない。
モーフは、あの村の学校で少し勉強できたお陰で、力ある言葉なのはわかるようになったが、何と書いてあるかまではわからなかった。
棚に並ぶ袋は、子供の拳くらいから大人の腿くらいまで様々な大きさがあり、膨らみの形も、平べったいものから丸々したものまで色々だ。
「いらっしゃい。どれしましょう?」
店主らしきおっさんが出て来た。湖の民が首から提げた徽章は、モーフが知らない鳥の形だ。
小太りなおっさんの前掛けには、クルィーロがもらったマントよりぎっしり呪文や呪印が刺繍してあった。
「初めまして。あの……背の毒って……食べられるんですか?」
パドールリクが一番大きい袋を指差す。よく見ると、袋の口紐に値札が括りつけてあった。袋を示す大人の指が小さく震える。
「毒があるのは背中の蛇のとこだけですからね。上手いこと狩れば、腿肉は食べられるんですよ」
「存在の核を壊さずにお肉を持って帰れるなんて、その狩人さん、スゴイ腕前ですね」
パドールリクが感心し、漁師の爺さんも頷く。
どうやら、セノドクとやらは、化け物の名称らしい。
……えっ? バケモノって食えンの?
人を獲って食う化け物を人間が狩って食うなどとは、初耳だ。
クルィーロそっくりのおっちゃんがそんな冗談を言うとは思えず、初対面の肉屋がお愛想で話を合わせるとも思えない。
「ここらの狩人はみんな、できて当たり前なんですよ」
「そうなんですか?」
「染料の素材を採るのが仕事だからですよ」
緑髪の肉屋が金髪の他所者に語る顔はどこか誇らしげだ。
漁師の爺さんが、売り物の値段をせっせと手帳に控える。
「どうやって獲ってんだ?」
「坊や、気になるかい? でも、狩人さんたちの秘密だからなぁ」
「肉屋のおっちゃんも知らねぇの?」
「そりゃそうさ。肉屋は、狩人さんたちが持って来たお肉から、別の魔物が涌かないようにするのが仕事なんだから」
「ふーん。でも、そっちも何かスゲーなぁ」
モーフは感心したが、何故かパドールリクは泣きそうな顔だ。
漁師の爺さんが手帳を閉じて言う。
「我々は、移動放送局の手伝いの者なんです」
「買物じゃないんですかい?」
「はい。この街での放送の日取りが決まりましたので、お知らせの貼り紙をさ」
「貼ったら、どうなるんです?」
肉屋は皆まで言わせず口を挟み、モーフが手提げ袋から出した手書きのポスターを胡散臭そうに見た。
「放送の中で協力店として、少し宣伝させ」
「わかりました。今、売り物ないんで、ココ貼っときますね」
店主はモーフの手からポスターを取ると、テープで手際よく、保冷ケースに貼り付けた。
「生肉は羊を扱うんですけどね。仕入先の農家が病気で村ごとアレして……」
「それは……お気の毒様です。何かお力になれるとよろしいのですが」
気を取り直したパドールリクが声を掛けたが、肉屋は弱々しい微笑を返しただけで、何も言わなかった。
☆アカーント市に着いて割とすぐ行った西の商店街……「1347.アカーント市」参照
☆モーフは、あの村の学校で少し勉強できた……「1054.束の間の授業」参照
☆クルィーロがもらったマント……「446.職人とマント」参照
☆背の毒……「1129.追われる連中」参照
☆お肉から、別の魔物が涌かないようにするのが仕事/パドールリクは泣きそうな顔……「716.保存と保護は」~「718.肉屋のお仕事」参照




