1363.反応を調べる
「そんなに意外ですか?」
ラズートチク少尉が問うたが、パジョーモク議員は反応しなかった。
ルベルの位置からは雑誌のページが見えず、何の記事かわからない。
気になって目を凝らすと、派手な色のフォントが躍る表紙の中で、下品な見出しをみつけた。見える範囲に政治関係らしき見出しは、これしかない。
本紙独占スクープ!
大物政治家 闇夜の密会! 戦局より性局?
……もしかして、これ?
ルベルは首を捻った。果たして、世慣れた大物政治家が、選挙期間中の大事な時期にこんな不用意な行動をするものなのか。
「ザーイエッツ氏は、若い女性とこんなことをする人物ではありません」
「敬虔な信徒……高潔な人物なのですか?」
少尉が、ようやく絞り出された声に平板な声で質問を返す。
「何度か接待を受けたことがありますが、彼は、その……」
パジョーモク議員は言い難そうに視線を落とした。
床に落ちた湖南経済新聞から、庇う言葉を探すような沈黙が続く。
「……年上がお好みで、こんな小娘と何事か致す筈がありません。何かの間違いでしょう」
顔を上げた議員は、きっぱり断言した。あまりにも自信に満ちた顔で、流石のラズートチク少尉も僅かに唇を引き攣らせる。
……言い切ったよ、この人!
「外国人であるあなたですら、ご存知なのでしたら、アーテルの国民は……」
「流石にそこまではどうでしょう? しかし、党や財界の重立った方々は、みなさんご承知の筈です」
……「そんな馬鹿な」ってそっちなのか。
魔装兵ルベルは、場違いな方向性で感心した自分に困惑した。
「マスコミも、政治担当が長い記者なら、みんな知っていそうなものです」
パジョーモク議員が、我が事のように声を震わせる。
ラズートチク少尉は、何の感情もない声で質問した。
「何者かが、カネを掴ませてデッチ上げた記事だとおっしゃるのですか?」
「恐らく、そうでしょう」
隠れキルクルス教徒の国会議員は、憤りに声を震わせて肯定した。
どうやら、魔獣に罪をなすりつけて消す機会を得られなかったから、古典的な印象操作を行ったようだ。
魔装兵ルベルは、政治に関してずぶの素人だが、その程度の想像はつく。
後で「あれは誤報でした」と記事を取り消したところで、落選は落選だ。
……戦争中なのに同じ国民同士で足を引っ張り合うのもアレだけど、こんな印象操作にあっさり引っ掛かる国民もどうなんだ?
アーテル共和国では、ほぼ全ての大人が、タブレット端末などの情報機器を所有し、子供も含めて日々膨大な情報に接する。その量は、インターネットの設備がないネモラリス共和国の民とは全く比較にもならなかった。
アル・ジャディ将軍が嘆いたのは、両国民の情報格差だった筈だ。
半世紀の内乱から独立して成立したネモラリス共和国は、両輪の国とは言え、魔法文明にやや重きを置き、科学文明をあまり発展させなかった。
インターネットの設備を導入せず、すっかり時流の波に乗り遅れた。国民が触れる情報が少なく、国外に発信できる情報も、インターネットを導入した国々と比べればなきに等しい。
工作に使われたのは、そんなネモラリスでも可能な手段だ。
稚拙なガセネタが、大量の票を動かしたとは信じ難かった。
……子供の頃からいっぱい情報に触れてるから、真偽の見極めも上手くなってるんじゃないのか?
物識りな読書家が思い浮かび、ルベルは内心、首を傾げた。
パジョーモク議員は、二位通過のヒュムヌス候補は、アーテルで有名な歌手だとしか知らないと言う。彼が属する安らぎの光党は泡沫政党で、歯牙にも掛けなかったようだ。
三位で予備選を通過した無所属新人のミェーフ候補の存在は、この記事で初めて知ったと言う。
「ご協力、ありがとうございました」
魔装兵ルベルは、その言葉を合図に録画を停止した。
ラズートチク少尉が、上着のポケットからビスケットの小袋を出し、議員の手から下品な写真週刊誌を取り上げた。
「新聞は、退屈しのぎにどうぞ」
空いた手に菓子の袋を握らせて背を向ける。振り返らず、三脚付きのタブレット端末を抱えたルベルを従えて部屋を出た。
その足で、少し離れた別の廃ビルに向かう。
「新聞、読ませるんですね」
「夕飯時にでも、他の記事の反応を見たい」
「了解」
瓦礫が片付いた北ザカート市は、アスファルトだけで仮復旧した車道が、灰色の更地をくっきり黒く仕切る。【魔除け】の敷石や石柱はないが、冬の薄日を遮るものが殆どない為、雑妖は全く視えなかった。
最近は、魔哮砲への給餌を東岸の医療産業都市クルブニーカで行うが、そちらもかなり瓦礫が減った。比例して餌の雑妖も減り、魔装兵ルベルは、そこが終われば次はどこへ連れて行けばいいのかと複雑だ。
空襲被害からの復旧・復興が進めば、避難した住民や事業所が戻り、国民の暮らしも再建できる。
だが、魔哮砲を一般国民の目に晒すワケにはゆかない。
アーテル領では、ネモラリス憂撃隊が召喚した魔獣が蔓延り、魔哮砲が食われる惧れがある。
濃紺の大蛇の件を見た限り、消化されず生きたまま吐き出されるが、魔力は奪われてしまう。
アーテル本土の廃墟などでは、ランテルナ島の魔獣駆除業者や、アーテル陸軍対魔獣特殊作戦群の部隊などが巡回し、万が一発見されると厄介だ。
やや離れた廃ビルに着くと、工兵班長ウートラが居た。
ラズートチク少尉は星光新聞を受け取り、政策秘書シストスを軟禁した部屋に上がる。ウートラ班長は、復旧作業を手伝うと告げて出て行った。
シストスは、木箱の上で毛布を被って小さくなっていた。
「寒いですか?」
ラズートチク少尉がやさしく声を懸けたが、膝を抱えて動かない。ルベルは先に与えられた指示通り、部屋の隅から動画を撮り始めた。
こちらの廃ビルも原形を留め、建物全体を守る術は有効だ。政府軍の魔装兵や魔獣駆除業者が滞在し、魔力の供給に不足はない。夏服でも寒さを感じない筈だ。
「退屈でしょうから、新聞をお持ちしましたよ」
少尉が広げてみせると、シストスはようやく顔を上げた。毛布の隙間から乱れた金髪が覗く。ラズートチク少尉は、ラクリマリス人の政策秘書には術で強制せず、やさしく声を掛けた。
「星光新聞です」
「なんですか? それ? イヤミですか?」
「興味があると思ってルフスで買ってきましたが、要りませんでしたか」
少尉が新聞を畳もうとした途端、シストスは毛布を跳ねのけて飛びついた。無精髭が伸びた顔の中で、目だけが異様に輝く。
「一日分だけですが、ごゆっくりどうぞ」
ラズートチク少尉が新聞から手を離す。シストスは新聞を掴んで木箱に駆け戻り、頭から毛布を被った。
上官に目顔で促され、ルベルはタブレット端末を片付けた。




