1362.情報を与える
クブルム山脈の木々が、すっかり葉を落とした。裾野に広がる常緑樹が裸木の山を縁取る。
魔装兵ルベルたちは【鎧】の各種防禦の術で守られてわからないが、ラキュス湖から吹く風は、すっかり冷たくなったらしい。
ネーニア島西部に位置する北ザカート市は、瓦礫の撤去をほぼ終えた。
更地に低層の廃ビルが点在する景色は、以前よりも寒々として見える。
ラズートチク少尉と工兵班長ウートラが、拠点のひとつとして使う廃ビルに戻った。アーテル本土の調査から持ち帰ったのは、現地の新聞と雑誌の束だ。
「尋問する。ルベル、記録を頼む」
「了解」
魔装兵ルベルは、新聞一部と雑誌を一冊だけ持った少尉について行く。
パジョーモク議員はガラスのない窓から、真新しいアスファルトの黒が目にしみる更地を眺めていた。【制約】の術で、ラズートチク少尉の許可がない限り、この部屋とトイレ以外の場所には行けない。
ルフス光跡教会で捕えた時の夏服で、着の身着のままだが、力なき民の議員が寒がる様子はなかった。
暖房器具はないが、部屋に掛けられた【耐寒】の術で、室温は低くない。
部屋に入るなり、ラズートチク少尉が力ある言葉で命じる。
パジョーモク議員は全く抵抗できず、窓辺から部屋の中央に置かれた椅子まで歩かされた。顔は屈辱に歪むが、自らの意思では声を発することすらできない。
少尉は新聞を手渡して、術の強制から解放した。
「パジョーモク議員。座って、ゆっくりお読み下さい」
魔装兵ルベルは部屋の隅に三脚を据え、少尉がにこやかに話し掛けるところから動画を撮り始める。タブレット端末の画面には、パジョーモク議員の困惑と疑念に満ちた顔が映し出された。
「これは……?」
「数日前の湖南経済新聞です」
この距離なら、映り込んだ題字でそれとわかる。アーテル版だ。
一面トップは大統領予備選の結果で、本選に進む三人の候補者の雁首写真と略歴の表、得票率の円グラフが一際目を引く。
パジョーモク議員は立ったまま、貪るように読み耽った。
「どなたか、お知り合いでも載っていましたか?」
ラズートチク少尉が、一面を読み終えた頃合いを見計らって声を掛ける。
パジョーモク議員は湖南語の声に頷き、久し振りの紙面から顔を上げた。
術で強制するまでもなく、話し始める。
「あの……本当にザーイエッツさんが落選したんですか?」
「湖南経済が嘘を書くとでも?」
「い、いえ、あんまりにも意外だったので」
「ザーイエッツと言う人物は、当選して当然なのですか?」
ネモラリス共和国の国会議員は、再び新聞に視線を向けた。
「こんな……イロモノやポッと出の新人に負ける候補では……」
「パジョーモク議員、ネモラリス人のあなたが何故、アーテルの政治家に詳しいのですか?」
「それはまぁ、その……以前から付き合いがありましたので……」
隠れキルクルス教徒の国会議員は、高飛びしたアーテル共和国からネモラリス領内に連れ戻され、この廃ビルで軟禁生活を送って数カ月経つ。
開き直ったのか、命乞いのつもりなのか、すっかり口が軽くなった。
少尉が視線で説明を促す。
「ザーイエッツ氏は、星道の碑党の党員です」
「せいどうのいしぶみとう……とは?」
ラズートチク少尉は、何も知らないフリで聞き返した。
「星道の職人……聖典の奥義を修めた敬虔なキルクルス教徒で、高い技術を有する職人の政治団体です。構成員は基本的に職人ですが、紹介があれば、一般人も賛助会員として加入できます」
「技術集団……支持基盤がしっかりした候補だったのですか?」
魔装兵ルベルは、パジョーモク議員がしっかり頷く様子を動画に収めた。
「星道の碑党の擁立候補が殺害されたので、代わりに出馬したのですよ」
「アーテルでは、そんな急に出馬できるものなのですか?」
「まだ届け出期間中でしたから……党内には、ポデレス大統領のアーテル党との合流を主張する声もあって、調整に手間取ったそうですが、結局、時間がなかったので公認なしではありますが、出馬はできたそうです」
「どなたから聞かれました?」
「ご本人です」
パジョーモク議員はするりと答えた。
「そのザーイエッツ候補がどのような人物か、詳しくお聞かせ願えませんか」
ラズートチク少尉は全く動じる気配もなく、淡々と問いを発する。
「星道の碑党の看板とも言える大物政治家です。党首の名を知らなくても、彼の名を知らぬ者はないと言われる程の有名人です」
「凄まじい知名度ですね」
ラズートチク少尉が感心してみせる。
「党首の経験こそありませんが、長年、幹部を務めましたし、財界でも金属加工業組合や、経済同友会の会頭の経験があって、顔が広いのですよ」
「何の職人なのですか?」
「金属加工……鍛冶職人です。対魔獣特殊作戦群が使用する武器を鍛造するそうです」
「アーテルは独立後、科学文明国となった筈ですが、昔ながらの剣を作るのですか?」
「そうです。刀鍛冶の傍ら、機械部品の会社を興して、復興特需に上手く乗ったお陰で、事業が急成長したそうです」
ザーイエッツ候補の経歴を語る顔は、心なしか嬉しそうだ。
「技術も確かで、何かの……小説とのコラボレーションとやらで、実演動画を公開してからは、若者の間でも人気に火が点いたそうです」
「政財界だけでなく、幅広い年齢層に影響力を持つ人物なのですね。ところで、これをどう思われますか?」
ラズートチク少尉は、アーテル共和国内で調達した写真週刊誌を開き、隠れキルクルス教徒の議員に向けた。
「そんな馬鹿な……」
パジョーモク議員の手から新聞が落ち、足下を覆う。
タブレット端末の画面には、血の気の引いた顔が映った。




