1360.多くの離反者
「今の代表者のリゴル氏は、そんな、その……会話が成立しないお方だったのですか」
ウェンツス司祭が呆然と呟き、今回リストヴァー自治区に届けられた救援物資の目録に視線を落とした。
このままでは食べられない小麦の山は、調理の技術どころか調理器具や燃料も持たない多くの自治区民にとって、頭痛の種だ。
害虫やネズミの食害、カビなどから守らなければならないが、設備の整った食品倉庫はあの冬の大火で焼失した。多くの企業が本社を首都クレーヴェルに置き、ネミュス解放軍のクーデター以降、連絡が取れず、倉庫の再建どころではない。
「私も、一方の言い分だけを鵜呑みにして、人物の評価をするのはよくないと思いましたが、その後、リゴル代表と直接お会いする機会を与えられたのです」
フェレトルム司祭が、大聖堂に居た当時を振り返る顔は暗い。
手隙の折りにインターネットで慈善団体“星界の使者”について検索したところ、スタッフの不満が大量にヒットした。
掲示板やSNSでは、賛助者や一般人、リゴル代表の通販会社の利用者も入り乱れて議論百出、既に収拾が付かない有様だった。
主な議論は、新代表リゴル社長が星界の使者公式サイトに掲載した「新しい活動方針」についてだ。
「新しい方針……ですか?」
クフシーンカが先日、ファイルから引っ張り出した新代表就任の挨拶状では、一言も触れていなかった。東教区のウェンツス司祭と老いた尼僧も初耳らしく、目顔で続きを促す。
「リゴル氏が打ち出した新方針は、これまでの中立を捨てるものでした。紛争の早期終結の為には介入をも辞さないと……」
「介入? 民間の慈善団体が、軍や武装勢力相手に何をすると言うのです?」
ウェンツス司祭が会議机に両手をついて身を乗り出す。
「勿論、武器を手に戦うワケではありません。これまでは、紛争地域の住民全体の為に医療支援などを展開しました。それを勝ち目がありそうな側の難民キャンプなどに対象を絞り、内容も食糧支援に変更したのです」
リストヴァー自治区の三人は、思わず顔を見合わせた。
俄かには信じられない話だ。
フェレトルム司祭も同じ思いなのか、説明の声が苦しげだ。
「紛争が終結して地域が安定すれば、難民が帰還できるとの考えなのだそうですが、大半の難民はどちらの側にも与せず、戦闘に巻き込まれただけです。紛争当事者の一方に肩入れするなどと……」
「それでは、武装勢力が救援物資を狙って襲撃するのではありませんか?」
ウェンツス司祭の懸念は、星界の使者幹部やスタッフ、賛助者たちも異口同音に唱えた。
数年前に終結したが、ディケア共和国の内戦では、現実のものとなったと言う。
「星界の使者は、キルクルス教系の慈善団体ですが、前代表の頃は、難民の信仰を問わず、中立、公平に医療支援を行いました」
「それが広く知られたお陰で、攻撃を受けずに済んだとテンペラートル医師からお伺いしたことがあります」
前代表は、リストヴァー自治区の視察に訪れたことがある。
ウェンツス司祭らは住民の公衆衛生教育について、医師であるテンペラートルから助言を受けた。
フェレトルム司祭は、髪が薄くなった頭を抱えて俯き、会議机に重い言葉を置いた。
「私に相談して下さったご婦人の仲介で、リゴル氏と非公式にお会いする機会を与えられました」
司祭としてではなく、私服姿で待合わせ場所のカフェに赴いた。新代表リゴル氏は、先に来て老婦人が予約した個室で待っていた。
簡単な挨拶に続いて幹部の老婦人が水を向け、フェレトルム司祭は新方針の問題点と危険性を説いた。
「なぁんだ、そんなコトで呼び出したんですか」
ラフな恰好の社長は、タブレット端末を置いて鼻を鳴らした。
「大聖堂の司祭様ともあろうお方が、大局を見て判断できないなんて、がっかりですよ」
「聖者様の知の灯は、普く世界を照らすものです。信仰や思想信条が異なることを理由に排除するのは……」
「司祭様、現実を見て下さいよ。異教徒なんか切り捨てて、さっさと紛争を終わらせた方が、より多くの人を助けられるンですよ。どうしてそれがわからないんですか?」
若き天才経営者は、もどかしそうに大聖堂のエリート司祭を見た。
「そんなことをすれば、却って憎悪の根が深くなってしまいます」
「そんなの根絶やしにすれば無問題ですよ」
「それに、これまでは中立だったからこそ、比較的安全に現地で支援活動を行えたのです。スタッフの安全の為にも考え……」
「国連軍とかに守ってもらいますから、大丈夫ですよ」
二時間余り話し合ったが、こんな調子で徒労に終わった。
別れ際、幹部の老婦人に何度も詫びを言われ、フェレトルム司祭は自分の不甲斐なさに胃が痛んだ。
「ディケア共和国の内戦は、国連の軍事介入で沈静化しましたが、周辺国を含めて見ると、却ってフラクシヌス教徒の憎悪を煽ったように思えてなりません」
「私共の半世紀の内乱も一応、国連の介入で終わりましたが、ご覧の通り、今再び、戦争になりましたからね」
クフシーンカが言うと、聖職者の三人は同時に溜め息を吐いた。
「方針が変わって間もなく、恐れていた事態が生じました。物資の輸送機や、トラックが各武装勢力の攻撃を受け、略奪されるようになったのです」
現地に派遣されたスタッフが数十人単位で命を奪われたが、新代表リゴル氏は、現地の政府軍や国連軍の警備が甘かったからだと責任転嫁を繰り返した。
元の方針に戻しても、武装勢力との信頼関係が崩れ去った以上、襲撃は止まらないだろう。
……以前は、専門家でないと扱えないお薬やワクチンばかりで、病院の機能が充実すれば自分たちも助かるから、どこからも襲われなかったのでしょうにね。
リゴル氏について行けないスタッフが大量に辞め、幹部もほぼ入れ替わった。
慈善団体“星界の使者”は、名称は同じでも全く別モノに変わってしまったのだ。
「こう申し上げては、語弊があるかもしれませんが、私は、紛争地域の実像を確め、リゴル氏とは別の方法で、お困りの方々を助けたいと思って参ったのです」
クフシーンカは、フェレトルム司祭が危険を顧みず、星の標に意見したことや、ネモラリス政府軍の魔装兵の駐留と呪医の派遣に反対しなかった理由が、ようやくわかった。
☆このままでは食べられない小麦の山……「1358.積まれる善意」参照
☆あの冬の大火……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照
☆ネミュス解放軍のクーデター……「599.政権奪取勃発」~「602.国外に届く声」参照
※ 本社移転なども行われた……パドールリクの勤務先「687.都の疑心暗鬼」「779.ギアツィント」「780.会社のその後」、移転の告知広告「745.ドングリ剥き」、湖南経済の支社「750.魔装兵の休日」参照
☆新代表就任の挨拶状……「1321.前後での変化」「1357.変化した団体」参照
☆ディケア共和国の内戦……「696.情報を集める」「721.リャビーナ市」「727.ディケアの港」「728.空港での決心」「751.亡命した学者」「0938.彼らの目論見」参照
☆周辺国を含めて見ると、却ってフラクシヌス教徒の憎悪を煽った……「751.亡命した学者」参照
☆半世紀の内乱も一応、国連の介入で終わりました……「0001.半世紀の内乱」参照
☆星の標に意見……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」参照
☆魔装兵の駐留……「1287.医師団の派遣」「1327.話せばわかる」参照
☆呪医の派遣……「1286.接種状況報告」~「1288.吉凶表裏一体」参照




