1359.ワンマン経営
「新しい代表には、古参のスタッフも非常にお困りでした」
「一体、何があったのですか?」
ウェンツス司祭が、バンクシア人のフェレトルム司祭に先を促すと、大聖堂から派遣された司祭は、共通語で滔々と捲し立てた。
「年配の信者から、相談を受けたことがあるのです。そのお方は、私が生まれる以前から、星界の使者で国際ボランティアとして活動してこられたのですが……」
慈善団体“星界の使者”の前代表は、バルバツム連邦在住の医師だった。
テンペラートル氏は、医師としての専門知識に基づき、世界の紛争地域や貧困地域への医療支援を活動の柱に据えた。
主な活動は、医師の派遣ではなく、現地医療者の育成と研修、現地の病院への医薬品、ワクチン、医療機器など医療資源の無償提供、地域住民への公衆衛生教育の実施、仮設トイレや衛生用品の寄付などだ。
テンペラートルの下、星界の使者のボランティアたちは、現地の医療の質と公衆衛生を向上させることで、死亡率を下げようと努力した。
……仮設トイレ……そう言えば、東地区に届けて下さってたわ。
クフシーンカは、三十年近く前のリストヴァー自治区成立直後の混乱期を思い出した。
当時、バラック街に食糧などではなく、それらの物資が届けられたことに困惑したが、ようやく納得できた。
「前代表のテンペラートル氏が事故で亡くなられて、一時は団体の存続が危ぶまれました。そこで手を上げたのが、多額の資金援助をしてきたリゴル氏でした」
次の代表者に収まったリゴル氏は、インターネット通販の会社社長で、一代で財を成した立志伝中の人だ。
ワンマン経営で会社を急成長させ、その手法を慈善団体“星界の使者”の運営にも取り入れた。「これまで散々資金援助してきたのだから」が彼の言い分だ。
「それは……不満が出ましたでしょう?」
「えぇ。古参の幹部やスタッフは、急激な方針転換に反対しました」
老いた尼僧が眉間の皺を深くすると、若手のフェレトルム司祭は苦々しく声を吐き出した。
星界の使者は、キルクルス教系の慈善団体だ。
幹部やスタッフ、賛助者は世界中に散らばる。
大聖堂があるバンクシア共和国にも、多数のスタッフや賛助者が居る。キルクルス教団も、星界の使者の活動や代表者の交代を把握していた。
「フェレトルム司祭様、若いあなたのご意見をお伺いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
若いエリート司祭は、代表者の交代から丁度一年が経つ頃、高齢の信者に声を掛けられた。
当時まだ二十代で、司祭に叙任されたばかりの彼は、祖母と孫程も年齢差のある信者の深刻な様子に身構えた。
「私にお答えできることでしたら、よろしいのですが……」
「いえ、そんな難しいお話ではございません。ただ、最近の若い方の感覚を知りたいだけなので」
「感覚……ですか?」
孫との関係で悩みがあるのだと思い、肩の力が少し抜けた。
「自分の提案が受け容れてもらえなかった時、その理由が“若いから、そもそも耳を傾けてもらえなかった”とか“若いから、軽んじられた”と思われますか?」
「その時の状況によると思いますが、個人的には内容に不備や問題点があったからだと思います。若さ故にと言われれば、それに気付けないことこそが、そうなのかもしれませんが……」
老婦人の表情が和らいだ。
フェレトルム司祭は、更に考えを述べる。
「そもそも耳を傾けてもらえなかったとしても、その時は忙しかったなど、複数の要因があるのではないかと」
「そうですわね。ウチの孫も同じことを申しておりました」
「お孫さん、も……?」
思わず疑問が漏れた。
「司祭様は、星界の使者の新しい会長さん、ご存知かしら?」
「新しい方に代わられたとはお伺いしましたが……」
「リゴルさんは、まだ三十前の若い方なのですよ。中学生の頃に今の会社を興した天才なのだそうですが、少し強引なところがございましてね」
敬虔なキルクルス教徒で、毎年、教団と複数の慈善団体に多額の寄付を行う。
また、自社ホームページにも星界の使者公式サイトのリンクを貼り、創立以来、聖者の生誕祭が行われる十二月には、売上の五パーセントを寄付する大安売りも実施する。
生誕祭セールは毎年の恒例行事として、キルクルス教徒が多数派を占める共通語圏の消費者にすっかり定着した。
その信者は、慈善団体“星界の使者”の設立当初から参画する幹部の一人だと明かして続けた。
「大変熱心なお方でなのですけれど、医療支援よりもまず、飢え死にしない方が先決で、栄養が行き渡れば、病気にも抵抗力がつくものだとおっしゃいましてね」
新代表のリゴル社長は、幹部や古参スタッフの反対を押し切り、現地での医療者育成と公衆衛生教育を打切った。また、仮設トイレの寄付を縮小し、医療資源は、医師の処方なしで使える大衆薬と栄養剤に切替えた。
「紛争地域では、お医者さんの人数も病院も足りないし、病院が遠い地域のみなさんや、貧しい方々にとっては、自分で使えるお薬の方がいいとおっしゃって」
「それも一理あるとは思いますが、しかし、それでは……」
「えぇ。私共の支援対象は、戦争や貧困で満足に教育を受けられない地域の方々なのです。お薬の箱をご覧になっても、表示が読めませんでしょう?」
「現地語が共通語でなければ、もっと難しいでしょう」
フェレトルム司祭が同意すると、老婦人はもどかしそうに続けた。
「そうでございましょう? 日常語の読み書きも覚束ない方々には、医学関係の難しい単語はもっと厳しいと思いますの。お医者様や薬剤師さんの支援なしで、症状に合うお薬を選んで、正しく使うのはそもそも無理なのです」
「そうですよね。飲む回数もわからないでしょう」
「私共、幹事会のみんなで何度も、教育もなしにお薬だけバラ撒くのはおやめ下さい、と申し上げたのですが、リゴルさんは聞き入れて下さいませんでした」
老婦人ら幹部は、「若いからって馬鹿にするな!」と激昂する新代表リゴルを宥めすかしながら、その危険性を説いたが、全く会話が噛み合わない。
押し問答の末、幹部や古参のスタッフたちは、老害呼ばわりされて会議室から追い出されてしまった。
フェレトルム司祭も医学に関しては素人だが、それでも、その危険性は瞬時に幾つも挙げられる。
「市販薬でも、一度にたくさん飲めば危ないですし、眠くなる成分が含まれた物を飲んで、休まずに活動すると事故に繋がります。アレルギー体質の方が闇雲にお薬を飲むのは……」
「そうでしょう? 私共も、薬害の危険を申し上げたのですが、リゴルさんは聞き入れて下さいませんでした」
老婦人は、若い司祭の同意を得て勢い付いた。
「公衆衛生教育も、『水道がない地域で教えても時間の無駄だ』と切捨てられてしまいましたの」
「えぇッ? 井戸や川がある場所なら、多少は……」
「司祭様もそう思われますでしょう? 私共も、公衆衛生教育の重要性を訴えたのですが、リゴルさんは聞き入れて下さいませんでした」
老婦人は悲しげに肩を落とした。
……リストヴァー自治区の東教区は、一般家庭に水道も清潔な井戸もないから、手を洗う習慣は根付かなかったけれど。
社員寮を備えた大きな工場など、水道が使える場所では、職場の安全衛生管理の一環として、手洗いと入浴が徹底された。
☆三十年近く前のリストヴァー自治区成立直後の混乱期……「0026.三十年の不満」参照
☆東教区は、一般家庭に水道も清潔な井戸もないから、手を洗う習慣は根付かなかった……「0059.仕立屋の店長」「505.三十年の隔絶」参照




