1353.染料の原材料
アカーント西神殿に着いた五人は、違和感を覚えた。
「ひとつの花の御紋がありませんね?」
緑髪のセプテントリオーが最初に気付いて、見落としがないか見回す。
レノたちも目を皿のようにして神殿の通路を見回したが、岩山の紋ばかりで、湖の女神パニセア・ユニ・フローラを表すひとつの花の御紋は見当たらなかった。
「おっかしいなぁ?」
「ないねぇ?」
レノのティスが同時に首を捻る。
……まぁ、別に湖の民が女神様以外を信心しちゃいけないってコトないけど。
「どうしたんだい? 落とし物でもしたのか?」
「探すの手伝ったげよう」
通路の奥から出て来た中年男性二人が、通路のタイルに視線を這わせるピナに声を掛けた。顔を上げたピナは、胸の前で小さく手を振って愛想笑いを返す。
「ありがとうございます。落し物じゃないんで、大丈夫です」
「それにしちゃ熱心に下ばっかり見て、財布でも落としたんじゃないか?」
「ホントに大丈夫なのかい?」
黒髪の男性が心配そうに言い、茶髪の男性も「遠慮すんなよ」と足下を見回す。
「湖の民が多い街なのに女神様の御紋がないから、何でかなって見てたんです」
金髪のDJレーフが言うと、先に参拝を終えた二人は頬を緩めた。
「なぁんだ。女神様は東神殿だよ」
「こっちは染料組合の寄進で建てたから、スツラーシ様なんだ」
「どうして染料組合だと岩山の神様なんですか?」
「お嬢ちゃんたち、この街は初めてかい?」
黒髪の男性がピナに問う。
レノは妹の半歩前に出て答えた。
「はい。俺たち、移動放送局で、ネモラリス島をあちこち回ってるんです」
「へぇー、いつ放送するんだい?」
「まだ正式な日時は決まってないんですけど、十日か二週間後くらいを目途に考えてて、明日から取材を始める予定です」
放送局名と周波数を聞かれ、FMクレーヴェルのDJレーフが答えると、二人は歓声を上げた。
「オバーボクで聞きそびれたヤツだ!」
「ジョールチさん、ここに来たのか!」
「おじさんたちってオバーボクの人?」
ティスが聞くと、二人は頷いた。
「あぁ、俺たちはミクランテラ島で素材を仕入れて、オバーボクの工房で染料を作って、ここの職人に売って、交換品の布と呪符をムスカヴィートで売って、そこの真珠と白雲母をミクランテラ島へ売りに行って……ってなカンジで、まぁ、一年の三分の一くらい旅してるんだよ」
黒髪の染料職人兼行商人の答えにそんな暮らしもあるのかと感心する。
「交換用の品の他に真珠抜いた貝の干物もよく換えてもらうんだ」
「貝の干物……ですか?」
ゼルノー市にもあったが、真珠が採れるのとは全く異なる巻貝だ。
「保存食だな。そのまま食べても噛めば噛む程、味が深くなって美味いし、スープの出汁を取るのもいい」
「俺はあのスープの為にこの仕事してるようなモンだ」
「そんなに美味しいんですか?」
レノが思わず身を乗り出すと、茶髪の男性はうっとり頷いた。
「私も食べてみたーい」
「そいつぁ難しいなぁ」
ティスの物欲しそうな声に黒髪の男性が苦笑する。
「えー? どうしてー?」
「養殖業者の賄いだからな。凄く仲良くなくちゃ、分けてもらえないんだよ」
「あの人たちは貝殻も粉にして、薬の素材や肥料にして無駄を出さないんだ」
「みなさん、色々工夫なさっているのですね」
呪医の徽を引っ込めたセプテントリオーが感心すると、DJレーフが軽く手を叩いて仕切り直した。
「ハナシ戻そっか。なんで染料組合はスツラーシ様なんですか?」
「ん? あぁ、材料がアレだからな。植物と鉱物、それと、魔獣」
「そう言われてみれば、そうですね」
セプテントリオーが、何かを思い出した顔で納得する。
茶髪の男性が腕時計を見て手を振った。
「おっと、もうこんな時間だ。お嬢ちゃんたち、元気でな」
「色々教えて下さってありがとうございましたー」
「ムスカヴィートの帰り、もう一回寄ってみるよ」
「うまいコト予定が合えばいいんですけどね」
「知り合いに録音頼んどくよ」
陸の民の行商人たちと別れ、祭壇の間へ向かう。
「鉱物由来の素材は山で作業するの、色々危ないもんね」
「そうよねぇ。魔獣由来のは、もっと大変よね」
「安全第一……成程なぁ」
レノはピナとティスに頷いた。
トラックが入る大きさの【無尽袋】を作る為、赤色染料の素材に火の雄牛の角が必要だった。
ソルニャーク隊長と運び屋フィアールカの協力で何とかなったが、あの時、彼女が【光の槍】の呪符を用意していなければ、隊長たちは捕食されてしまったかもしれない。
レノは現場に居合わせなかったが、いきなり戦う羽目になったソルニャーク隊長と薬師アウェッラーナの話によると、この世に現れて間もなく、まだ存在が弱い個体だったらしい。
……そんなのでも、魔法の剣と【光の槍】でギリギリなんて。
レノは、素材を狩る者の強さを改めて噛みしめ、複雑な気持ちになった。
オバーボク市の西、ヤーブラカ市で足留めされた時、地元の魔装警官隊と警備員ジャーニトルが命懸けで鱗蜘蛛を倒した。
寄付だけではジャーニトルを雇えず、素材採取が条件になった為、警官が何人も犠牲になったと聞いた。あの時は、他人事ながら腹が立ったが、今なら、警備会社の言い分もわかる気がする。
……ずっと、全然知らない人たちの命懸けの働きのお陰で、便利な暮らしができてたんだよな。
小麦粉の大量保管で思い知らされた。【無尽袋】を作る糸一本にも、どれ程の血が流されたか、知れたものではない。
レノは、神殿の最奥に設えられた岩山の神スツラーシの祭壇に感謝の祈りと【魔力の水晶】を捧げ、魔法の繊維産業に携わるすべての者の安全を願った。
☆ミクランテラ島……「0162.アーテルの子」「489.歌い方の違い」「852.仮設の自治会」「880.得られた消息」「0947.呪符泥棒再び」野茨の環シリーズ 設定資料(https://ncode.syosetu.com/n3234db/)の「用語解説06.組合」「用語解説16.国々 チヌカルクル・ノチウ大陸」参照
☆材料がアレだからな。植物と鉱物、それと、魔獣……「855.原材料は魔獣」参照
☆鉱物由来の素材は山で作業するの、色々危ない……「1030.価値観の違い」参照
☆赤色染料の素材に火の雄牛の角が必要……「342.みんなの報告」「381.街へ往く二人」「384.懐かしむ二人」「385.生き延びる力」「422.基地情報取得」「479.千年茸の価値」参照
☆ソルニャーク隊長と運び屋フィアールカの協力……「477.キノコの群落」~「479.千年茸の価値」参照
☆ヤーブラカ市で足留め……「849.八方塞の地方」「850.鱗蜘蛛の餌場」「877.本社との交渉」参照
☆地元の魔装警官と警備員ジャーニトルが命懸けで鱗蜘蛛を倒した……「0930.戦い用の薬を」~「0936.報酬の穴埋め」参照
☆小麦粉の大量保管……「1116.買い手の視点」参照
▼ひとつの花の御紋
▼ひとつの花の略紋




