1351.井戸の底から
「ファーキル君は、情報収集の為にできるだけ色んな人と繋がるようにしてるけど、フツーの人は、そうじゃないらしいんだ」
「他のみんなは、どうしてるの?」
話に夢中で、アマナの香草茶は全く減らずに冷めてしまった。
「直接知ってる友達とか、趣味の仲間、同じ芸能人のファンとか、政治的な考え方が近い人や、星の標みたいに信仰で繋がった人とか……色々あるけど、似た者同士で繋がりがちだな」
「あー……」
クルィーロが説明すると、みんなから何とも言えない声が漏れた。
似た者同士は、何かに対する嗜好だけでなく、物事への認識でもそうだ。
見ず知らずの専門家の言葉より、何も知らない仲間の言葉を信じやすい。
クルィーロは、フィアールカたちの手伝いでSNSの情報や世論を収集する時、それをイヤと言う程、思い知らされた。
「人は、信じたいものを信じ、その考えを補強する材料を集め、同じ考えの者を集めて結束する。インターネットで遠隔地の者とも容易く繋がりを持てるならば、その傾向は一層、強化されるだろうな」
ソルニャーク隊長が言うと、報告書を熟読した大人たちが深く頷いた。
国営放送アナウンサーのジョールチが、眼鏡を外して言う。
「私は、眼鏡を外すと端の席に居るアゴーニさんの顔もわかりません」
「そんな目ぇ悪かったのかい」
「えぇ。眼鏡なしでは、自分の足下もよく見えません。霊視力はそうでもないので、物はぼやけるのに雑妖だけハッキリ視えるのですよ」
驚くアゴーニに静かな声で続ける。
「初夏にロドデンドロンが咲きますよね」
「ん? あぁ、あの真っ赤な奴な」
葬儀屋アゴーニが頷く。
ありふれた常緑低木だ。季節が巡るとたくさんの花を一斉に咲かせ、樹木全体が鮮やかな紅に包まれる。
「眼鏡なしでは、あれが火事に見えることがあります」
「火みたいに真っ赤だもんね」
やっとわかる話題が出て、エランティスが嬉しそうに頷く。
近所の公園や小学校にもたくさん植えてあった。そう言われてみれば、民家の庭先に一本だけある小さな株が風にそよぐ様子は、遠目には焚火のように見えた。
改めて思い起こすと、古くから炎に喩えられるのも頷けた。
「冷静に観察すれば、煙や焦げ臭さがないので、火事ではないとわかりますが、通りの角を曲がって不意に出食わすとギョッとします」
「あんたでもそんなコトあんのかい?」
メドヴェージが意外そうに眉を上げた。
クルィーロも同感だ。
いつも冷静沈着なジョールチが、何故こんなコトを言うのか気になった。
「私の中ではその瞬間、満開のロドデンドロンは“植物”ではなく“燃え盛る炎”と認識されます。煙や臭いがないことに気付くか、眼鏡を掛けるか、よく見える距離に近付くまで、それは私の中では真実なのです」
ピナティフィダが首を傾げる。
「勘違いなのに……ですか?」
「客観的事実と、主観的な……内的真実は別個のものです」
「ないてきしんじつ……?」
「例えば、霊視力のある我々には、この世の肉体を持たない魔物や雑妖の存在は、現実にそこにある脅威と認識されますが、半視力が多数派を占めるアルトン・ガザ大陸北部の国々では、迷信扱いされてしまうそうです」
「えぇッ?」
「食べられちゃうのに?」
みんなの驚きの声が重なり、アマナが眉を顰めて聞いた。
「単なる行方不明事件として片付けられ、目撃者の証言は嘘吐き呼ばわりなのだそうです」
「あぁ、そう言えば、報告書に書いてありましたね」
父がポンと膝を打った。
「はい。半視力が多数派を占める国々では、実体を持たない魔物の存在は認識されず、捕食と言う重大な被害も、なかったことにされてしまうのです」
「えぇー……」
子供たちが困惑の声を上げた。
レノも苦虫を噛み潰したような顔でジョールチを見る。
「霊質が視えない彼らの内的真実と、視える我々のそれや、客観的事実は、食い違って当然なのです」
真実と事実――
みんなは宙を見詰めて黙り込んだ。
キルクルス教徒の三人も含めて、この場には今、霊視力を持つ者しか居ない。
「同じ視点を持つ人々だけで集まれば、価値観の共有が簡単で、趣味の集まりなどならば、楽しいものになるでしょう。しかし」
ジョールチは言葉を切って眼鏡を掛け直した。
DJレーフが頷く。
「それも度が過ぎれば、他の視点があることを忘れさせて、排他的な考えに凝り固まっちまうってコトなんだな」
「そうです。政治的な信条や、信仰などは特にそうです。古くから、世界中のあらゆる国や地域で、多くの血が流されてきました」
「同程度の知識と同じ視点を持つ者が集まれば、研究などは深く掘り下げられそうですが、深みに嵌り過ぎると、周りが見えなくなってしまうと言うことなのですね?」
呪医セプテントリオーが疲れた声で確認すると、ジョールチは目顔で肯定した。
何かを突き詰めて掘り下げるにはいいが、時々はその探求の穴から出て、意識的に世の空気を吸わないことには、研究の意義や必要性を人々に理解されなくなってしまう。
無理解が分断を生み、「危険な研究をする怪しげな人々」のレッテルを貼られてしまえば、予算の獲得どころか、研究そのものが世論の反対で潰されてしまいかねない。
研究者自身も、研究成果が一般的な倫理の枠外にまで突き進んだことに気付けなくなる危険を孕む。
「研究分野だけでなく、政治や信仰など、ひとつの価値観を共有する者だけで集まると、視点がひとつに絞られがちです」
「さっきの“井戸の底”って、そうやって他の視点や価値観を忘れたとか、受け容れられなくなった状態ってコトなんですね?」
ピナティフィダが、恐ろしげに香草茶のカップを握る。
DJレーフは明るい声で軽やかに言った。
「少なくとも俺たちは、外国も含めて色んな場所に行って、大勢の“違う人たち”と会って、色んな考え方があるモンなんだっての、見て来ただろ?」
「うん!」
少年兵モーフが力強く同意した。
老漁師アビエースが、モーフを眩しげに見る。クルィーロは、価値観が大きく変わった家族と別れてきた彼に掛ける言葉がみつからなかった。
「これからも、そう言うのを放送で伝えてけばいいだけだ」
レーフの言葉で、アビエースの頬が僅かに緩んだ。
井戸の底から、遠くなった空を見上げるのではなく、井戸の外に広がる世界を忘れず、その存在を人々に思い出させる為に。
「要するに、いつも通りってコトですね」
薬師アウェッラーナの一言で、みんなの肩から力が抜けたのがわかった。
☆ファーキル君は、情報収集の為にできるだけ色んな人と繋がるようにしてる……「0188.真実を伝える」参照
☆フィアールカたちの手伝いでSNSの情報や世論を収集……「1156.掴ませる情報」「1157.国会に届く歌」参照
☆人は、信じたいものを信じ、その考えを補強する材料を集め、同じ考えの者を集めて結束する……「1073.立ち止まろう」参照
☆アルトン・ガザ大陸北部の国々では、迷信扱い/目撃者の証言は嘘吐き呼ばわり……「432.人集めの仕組」「560.分断の皺寄せ」参照
☆価値観が大きく変わった家族と別れてきた彼……「826.あれからの道」「827.分かたれた道」参照




