1347.アカーント市
北岸は、ミャータ市と同じ切り立った崖が続く。
防壁の手前から見た限り、アカーント市にも港がないようだ。
先導のピックアップトラックが西へ戻る。
移動放送局プラエテルミッサのトラックとワゴン車は、ネミュス解放軍ミャータ支部のトラックと別れ、アカーント支部のワゴン車について門を潜る。助手席のクルィーロは、門前で交わされた物々しい引継ぎを反芻して身震いした。
「兄ちゃん、寒ぃのか?」
「いえ、大丈夫です。メドヴェージさんこそ寒くありませんか?」
「俺ぁこいつがあるから大丈夫だ」
運転手のメドヴェージが、長居した村でもらったセーターを軽くつまんで笑う。
クルィーロは星の道義勇軍の三人が【保温】の呪印を編み込んだものだと説明されたにもかかわらず、喜んでセーターや膝掛を受け取ったのが、意外だった。
……まぁ、呪符で守られたトラックに住んでんだし、今更だよな。
それにこのご時勢、キルクルス教徒だと怪しまれなくなって、悪いことはない。
ダッシュボードに置いた充電器が、冬の薄日を浴びる。
節約の為、タブレット端末の電源は切ってある。インターネットの設備のないネモラリス共和国では、連絡が入ることなどなかった。
「本当にこんな所でよろしいのですか?」
ネミュス解放軍アカーント支部長が恐縮する相手は、呪医セプテントリオー唯一人だ。他の同乗者には見向きもしない。
湖の民の呪医は、同族の魔法戦士に微笑で応えた。
「はい。店長さんに許可を取って下さってありがとうございます」
「とんでもない。こんな場所で恐れ入ります。ご不便がございましたら、すぐ宿の手配を致しますので、何なりとお申し付け下さい」
「大丈夫です」
呪医が微笑を消すと、アカーント支部長は緑髪の部下を促し、そそくさと量販店の駐車場を走り去る。
解放軍の車が見えなくなると、移動販売店の誰からともなく溜め息が漏れた。
……元軍医って長命人種の元軍人とかにスゲー尊敬されてんだなぁ。
クルィーロは、何度目かわからない感想を胸に駐車場を見回す。
生活雑貨を扱うこの量販店は、アカーント市唯一と説明されたが、湖上封鎖による燃料高騰のせいか、駐車場には殆ど車がない。百台以上は停められるだろうに、あちらにポツリ、こちらにポツンと見えるだけだ。
「じゃ、そろそろ行くか」
葬儀屋アゴーニの声でみんなが動きだす。
アナウンサーのジョールチ、DJレーフ、店長の続きで代表者になったレノの三人で、役所と量販店の店長に挨拶しに行く。話がまとまれば、ここで放送させてもらう予定だ。
運転手のメドヴェージ、呪医セプテントリオー、薬師アウェッラーナ、アマナ、ピナティフィダ、エランティスはトラックで留守番。
他は二人組で軽く情報収集し、昼前には戻る。父と葬儀屋アゴーニ、老漁師アビエースと少年兵モーフ、クルィーロはソルニャーク隊長と行くことに決まった。
「じゃ、アマナ、いい子で留守番してるんだぞ」
「うん。お兄ちゃんも隊長さんに迷惑掛けないようにね」
「……わかってるって」
少し前までは、こうして情報収集や買出しで離れ離れになる度に泣いてばかりいたのが、嘘のような笑顔だ。父は苦笑するだけで、何も言わない。
クルィーロは妹に軽く手を振って、街へ出る者に向き直った。
「市壁の門からここに着くまでの間に商店街が見えました。それと、神殿はあちらって言う看板も」
「解放軍の話では、ここもミャータ同様、仮設住宅はないらしいな」
トラックの助手席で見たクルィーロが言うと、FMクレーヴェルのワゴン車で来たソルニャーク隊長が頷いた。
「俺とパドールリクさんが神殿の場所見に行って、あんたらは商店街を半分ずつでどうだ?」
アゴーニの提案に異論はなく、六人は元来た道をぞろぞろ引き返した。
商店街は、トラックで来た道の一本南の筋だ。
量販店の駐車場からも、アーケードが見える。
父とアゴーニは、商店街の手前に立つ案内板に従って南へ折れ、残り四人はアーケードを潜った。
たくさんの色が視界に飛び込む。
「スゲー……色って、こんないっぱいあったんだな……」
少年兵モーフが三人の気持ちを代弁した。
看板、ショーウィンドウに並ぶ布や糸の束、染料の瓶がそこかしこにあり、商店街全体が虹のかけらが詰まった箱をひっくり返したように色で溢れる。
「ここも湖の民が多数派なのだな」
ソルニャーク隊長の囁きで、クルィーロは気を引き締めた。
商店街を行き交う人々は、服の色や刺繍は色とりどりだが、髪はほぼ緑色だ。偶に緑以外の髪色も居るが、圧倒的に湖の民が多い。クルィーロたち陸の民はイヤでも目を引いた。
……まぁ、星の標が支部を作る心配はなさそうだし、いっか。
商店街は東西に伸びる。
北側の列をクルィーロと隊長、南を老漁師アビエースとモーフで回る。
……アミエーラさんが見たら喜びそうな街だな。
ずっと西のオバーボク市にも、染料の工房はたくさんあったが、あちらは呪符用が中心だった。
このアカーント市には、糸や布用のものが多いらしい。染め上がった糸の束も布も目に鮮やかで、花畑に迷い込んだ気分だ。
門外漢のクルィーロには相場がわからない。
アマナもきっと喜ぶだろうと、タブレット端末で撮って回った。
☆何度目かわからない感想……「1328.ミャータ到着」参照
※ クルィーロが知らない事情……「914.生き延びた朝」参照
☆情報収集や買出しで離れ離れになる度に泣いてばかり……「0984.簡単なお仕事」「1039.カーメンシク」「1089.誰が伝えるか」「1132.事実より強く」参照
☆オバーボク市もにも、染料の工房はたくさん……「0947.呪符泥棒再び」参照




