1344.投票所周辺で
投票日の翌日深夜、アーテル共和国大統領選挙、第二回予備選の結果が出た。
更にその翌朝、アミトスチグマ王国の支援者マリャーナ宅で報告会を開催。ラゾールニクとクラウストラが、出席者に現地の新聞を配る。
「まとめは後でご用意します。まず、投票率が著しく低い件について」
プロジェクターに接続したパソコンから、純白の壁に資料を投影する。
最初に表示されたのは、血痕や衣服の切れ端が散らばるアスファルトの道路だ。
クラウストラが、隅の席に座ってノートパソコンを操作し、表示を切替える。次の写真は公民館の看板だ。脇にA4用紙に印刷された「投票所」の貼り紙がある。
ラゾールニクが壁の前に立ち、指示棒で公民館前の道路を指し示した。小さく写り込んだものをよく見ると、先の写真と同じ色の布の切れ端だ。
「投票時間は午前七時から午後七時まで。写真は、イグニカーンス市内で午前六時四十六分頃撮影。開場前に着いた人が魔獣に捕食されていました」
「アーテル人が捕食されるのを眺めておったのかね?」
ラクエウス議員が白い眉を顰める。
「俺が現場を通り掛かった時には上半身食べ終わって、救助がどうのって段階、終わってましたからね」
「駆除しなかったのかね?」
「投票所の人が通報したみたいで、お巡りさん来ましたし、地元民のフリしてるのに人前で戦えませんよ」
キルクルス教徒の老議員は表情を険しくしたが、魔法使いの報告者は苦笑するだけで、どこ吹く風だ。クラウストラが無言で頷いて、次の写真に切替えた。
今日、会議室として提供された部屋には、家主のマリャーナ、両輪の軸党のアサコール党首、モルコーヴ議員、秦皮の枝党のクラピーフニク議員、リストヴァー自治区選出のラクエウス議員、それにファーキルを加えた六人が集まり、二人の現地報告に耳を傾ける。
プロジェクターを使用する為、窓は遮光カーテンで閉ざされ、外の様子はわからない。
今朝、ファーキルが与えられた部屋の窓から見た限り、どんよりとした曇天だった。壁の画像から目を逸らしても、気が晴れることはなかっただろう。
次の写真も、道で何かを引きずったらしい血痕だ。
クラウストラは次々と画像を切替えた。どれもこれも、血飛沫が付着した建物の外壁や、人の一部が散乱した歩道などばかりで、モルコーヴ議員の顔色がどんどん悪くなってゆく。
「魔獣の種類はなんですか?」
若手のクラピーフニク議員が、画像から目を逸らしながら聞く。
「捕食現場を見たのは双頭狼だけです」
「これ全部、投票所ですよね」
「そうですね」
諜報員ラゾールニクに肯定され、六人の表情が揃う。
中学生のファーキルでも、簡単に想像がつくことだ。
……誰かが召喚した魔獣を支配して、襲わせたんだろうな。
会議机には現地の新聞数紙と、当選確定の号外を広げてあるが、先程ざっと目を通した限り、捕食に関する記事は一本もなかった。じっくり見れば、ベタ記事の見落としに気付くかもしれないが、それでは、これだけの被害に対して扱いが小さ過ぎる。
「報道規制で、人の口に戸を建てられるものでしょうか?」
総合商社役員のマリャーナが首を傾げる。
アーテル政府の中央機関や、資金に余裕のある大企業などは、衛星移動体通信の機器を入手し、細々とインターネットに接続できるようになった。だが、一般人らは相変わらず、通信途絶の影響を受ける。
「大規模な拡散は防げるかもしれませんけど、ロークさんたちの報告では、その分、口コミが凄くなったそうですからね」
ファーキルはロークの報告書を思い出し、半ば独り言のように言った。
ロークとクラウストラが、ルフスで行った現地調査のついでにレフレクシオ司祭の情報を流した。
その後、別の同志が他の調査でアーテル入りしたところ、複数の都市で同様の噂の広がりを確認できたと言う。
ラゾールニクが、情報担当の少年に頷いて続ける。
「それに、目的が投票の妨害なら、投票所の近所の人たちに知れ渡れば充分ですからね」
「仕事でも私用でも、人の移動はありますし、みなさんの関心が高いことなら、広まるのは早いでしょう」
マリャーナが当然だとばかりに言う。
やや気を取り直したモルコーヴ議員が、新聞に目を向けたまま聞いた。
「魔獣は全て駆除できたんですの?」
「現地の同志が調査中です。俺が目撃した双頭狼は、駆けつけたお巡りさんを三人食い殺して、軍の特殊部隊が仕留めましたけど、他は数や種類も含めて結果待ちです」
「これは全て、投票所の開場前の写真なのですか?」
アサコール党首が、壁に投影された画像に目を遣って、すぐ紙面に戻した。
「いえ、時間帯はバラバラですが、午前中が中心です」
「夕方や夜……魔獣の活動が活発になる時間帯のものはないのですか?」
「昼過ぎまではありしたが、当局が洗浄したので、遅い時間に行った人たちは見てないかもしれませんね。まぁ、こんだけ派手に食い散らかせば、近所の人は悲鳴を聞いたでしょう」
「知れ渡りますよね」
当日の投票率は、十七.二パーセント。期日前投票を足しても三十パーセントにも満たない。
アサコール党首が、星光新聞アーテル版の一面を指差す。
投票率の経年グラフだ。折れ線グラフは、大統領選挙の第一回予備選、第二回予備選、本選と国政選挙の計四本がひとまとめに載る。
記事本文は、過去最低を記録した投票率について、複数の角度から分析する。だが、投票所付近で人が捕食された事件には、全く触れない。
「報道規制……」
「でしょうね」
誰からともなく溜め息と呟きが漏れた。
「元々戦争で大統領選への関心が薄かったところにコレだから、当然っちゃ当然ですけどね」
ラゾールニクは、唇を笑みの形に歪めた。
第二回予備選では、候補者が三人にまで絞られる。
通過したのは、現職のポデレス、ファンが多いアーティストのヒュムヌス、そして、無所属最年少候補のミェーフだった。
☆ロークとクラウストラが、ルフスで行った現地調査……「1290.工場街の調査」~「1293.ずれた解決策」参照
☆レフレクシオ司祭の情報を流した……「1294.フツーに仕事」~「1296.虚実織り交ぜ」参照
☆アーテル政府の中央機関や、資金に余裕のある大企業などは、衛星移動体通信の機器を入手……「1225.ラジオの情報」「1257.不備と不手際」「1293.ずれた解決策」参照
※ 期日前投票は六.三パーセント……「1343.低調な投票率」参照
☆過去最低を記録した投票率……「1162.足りない信任」「1164.信任者の実数」参照
☆ファンが多いアーティストのヒュムヌス……「1139.安らぎの光党」「1160.難しい線引き」「1164.信任者の実数」「1198.拡散効果検証」「1213.確認に費やす」参照
☆無所属最年少候補のミェーフ……「1138.国外の視点で」参照




