0138.嵐のお勉強会
クルィーロが点した【灯】が、玄関ホールを仄白く照らす。
光を宿したボールペンは五本。事務机と応接テーブル、受付カウンターに分散して置き、玄関全体を明るくした。
嵐に怯え、アマナがクルィーロにしがみつく。
エランティスは、少年兵モーフに教科書を見せていた。
嵐の対策やクッキーの下拵えなど、することがある間は気が紛れたが、手持無沙汰になった途端、不安が襲う。
激しい風雨の音が、更に不安を掻き立てる。
クルィーロは、少しでも気持ちを和らげようと【灯】を増やした。
エランティスはさっきまで、鞄から国語の教科書を出して読んでいた。
「お前、本……読めるのか」
「うん。本って言うか、これ、教科書」
「そうか……教科書か……」
少年兵モーフが、エランティスの手元を覗き込んで黙る。
エランティスは教科書を閉じ、少年兵に差し出した。
「読む?」
「えっ? いいのか?」
「私は別のを読むからいいよ。後で返してね」
「お、おう……」
モーフは戸惑いながらも受け取り、ソルニャーク隊長の隣に腰を下ろした。エランティスは、共通語の教科書を出して読み始める。
……そうだよな。こんな所で一生、火事場泥棒ってワケにはいかねぇもんな。
クルィーロは、今後のことに思いを巡らせる。
無事にニェフリート河を渡れたら、当面の目的地はマスリーナ市だ。
ラジオの避難所情報には、マスリーナ市の話も全く出ない。北隣の市も、このゼルノー市と状況はそう変わらないのだろう。
母の生存は、もう半ば以上諦めた。
運よく生き残れたとしても、マスリーナ市に留まるとは思えない。
無事なら出張中の父を頼ってネモラリス島へ渡るか、クルィーロたちを案じてゼルノーに戻るだろう。この状況では、後者の行動はないように思えた。
自宅も学校も、最初のテロで焼失した。テロの混乱で交通が麻痺し、道路は当局に封鎖された。兄妹が生き残れたのは、偶然に過ぎない。
それでも一応、マスリーナ港付近は見てみる。
半世紀の内乱中に作った地下室や防空壕、この放送局のように魔法で守られた建物だって、少しはあるだろう。
薬師アウェッラーナの身内は漁師で、湖上でテロと空襲をやり過ごし、今は港に避難中かもしれない。
……もし、漁師さんが無事なら、ネモラリス島へ渡してくれないか、頼んでみようかな。
マスリーナで誰にも会えず、何の手掛かりもなければ、次に近いキパリース市の避難所へ行く。
そこで母に会えればよし。少なくとも、これからの生活情報は得られるだろう。
……情報がないと、動きようがないんだよなぁ……あッ!
ここは国営放送のゼルノー支局だ。
地方局に人が居ないから、情報がないのではないか。
ここしばらくのニュースは全て、首都クレーヴェルの本局で集約した情報ばかりだ。
ゼルノー支局は空襲前に逃げたようだが、周辺の局もそうとは限らない。
マスリーナ市の空襲被害が酷く、放送局が機能していないなら、情報がないのも頷ける。
そこまでの被害なら電話も道路も使えず、役所や軍が直接確認して、首都に報告するまでかなりの時間が掛かるだろう。
科学文明国なら、衛星回線の携帯電話を使って、その場から報告できるが、ネモラリス共和国はそうではない。
魔法文明寄りの両輪の国で、そんな便利な物はなかった。
遠隔地と連絡する【花の耳】など魔法の道具もあるにはあるが、数が少ない。その上、強い魔力が必要で、誰にでも使える物ではなかった。
情報の孤島になって当然だ。
戦争が終われば、復興特需で仕事はすぐにみつかるだろう。
安定した収入があれば、住まいも何とかなるだろう。アマナを学校に行かせることもできるだろう。
ラジオでは、ネモラリス島の被害は南の一部に留まり、首都クレーヴェルの被害は軽かったようだ。
……父さんが無事なら、もっと楽だよな。
努めて、いい方に考える。
どっちを向いても不安材料しかない。
何がどうなれば、戦争が終わるのか。
前回の内戦は終結に五十年掛かった。
安全な場所があるのか。
終戦まで生き残れるのか。
今回はいつまで続くのか。
もう何度目かわからない自問自答を繰り返す。
出口のない闇に踏み込みそうになり、クルィーロは隣を見た。アマナは相変わらず、硬い表情で作業服の腕にしがみついていた。
「アマナも勉強しようか」
「どうして?」
クルィーロが声を掛けると、妹は無表情のまま質問を返した。
「んー……ちゃんとした避難所って、学校か公民館みたいだからな」
「避難所が学校だったら、お勉強もあるんだ?」
「うん、まぁ、そうだろうな。それに、住むとこみつかったら、そこの学校に通うんだし、勉強遅れてたら困るだろ?」
「ふーん……」
アマナは納得いかない風だが、鞄から算数の教科書を引っ張り出した。
そう説明したが、一番の目的は、妹に何か集中できる作業を与えることだ。
何もすることがなければ、悲しみと不安に心が押し潰されてしまう。それらから気を逸らす為の何かが必要だった。
アマナが教科書と筆記具を持って、エランティスの隣に座った。ミスプリントの裏で、練習問題を始める。
エランティスは、アマナの手許をちょっと見ただけで、すぐに共通語の教科書に視線を戻した。
少年兵モーフは、ソルニャーク隊長に質問しながら、国語の教科書をたどたどしく音読する。
メドヴェージがコピー用紙とボールペンをモーフの前に置いた。
「それ読み終わったら、書く稽古もしろよ」
少年兵は教科書から目を離さず、こくりと頷いた。
クルィーロも、アウェッラーナに書いてもらった呪文のメモに目を通す。
しっかり憶えて、イザと言う時に備えたい。
「クルィーロ、ちょっといいか?」
レノが、クルィーロの手許を覗いて言った。




