1341.何の為に働く
「お二人とも、お買物ですか?」
「おぉっと、忘れるとこだった」
カウンターに入ったスキーヌムが聞くと、素材屋プートニクは鉛筆を握った。呪符の注文票は、まだ真っ白だ。
運び屋フィアールカは、優雅な動作でお茶を飲む。
「私は情報収集」
スキーヌムは頷くと、お使いの袋を抱えて奥の作業部屋に入った。
呪符屋の店内が急に静かになり、魔法戦士然とした出で立ちのプートニクが、呪符の注文票に鉛筆を走らせる音だけが響く。
ロークがお茶のおかわりを淹れると、フィアールカはタブレット端末を向けた。
星光新聞アーテル版の紙面を撮った写真だ。
第二回大統領予備選の投票用紙が、期日前投票を受け付ける役所などに搬入された。配送のトラックは、アーテル陸軍の対魔獣特殊作戦群が護衛したとある。
アーテル共和国の分離独立以来、初めて実施された異例の措置だ。
並行して、有権者への選挙通知の配達も進む。
普段は、電子投票専用のURLと有権者の登録番号が印刷された選挙通知だけだが、通信途絶が続く今回はそれがない。
有権者の住所氏名と生年月日を記した選挙通知だけでなく、紙による当日投票と期日前投票の説明書、投票所の地図が入り、封筒が分厚い。
投票日が一カ月もずれ込んだ理由が何となくわかった。
……印刷して、折って封筒に詰めて、糊付けするだけでもかなり大変だよな。
記事は「魔獣駆除が進んで外出時の安全性が増した」と、投票を促す情報で締め括られた。
誰が駆除したとは、一文字も触れない。
普通に読めば、前半の流れから「アーテル政府軍の特殊部隊が駆除した」と勘違いするだろう。
アーテル共和国は半世紀の内乱を経て、両輪の国であるラキュス・ラクリマリス共和国から分離独立した。
キルクルス教を国教と定め、科学文明国となってからは、徹底して魔法使いを排除する。
政府は、アーテル地方に残留した湖の民と力ある陸の民をランテルナ島に強制移住させた。ランテルナ自治区の住民には、参政権が一切ない。
ロークは画面から視線を外した。
「これ、駆除屋さんたち……」
「忙しいから、本土の新聞なんて読むヒマないんじゃない?」
……知らない方がいいよな。
彼らはアーテル共和国の政策決定や国家運営には、全く関与できない。
だが、彼らを排除し、存在さえ認めないキルクルス教徒が選挙を安全に行う為、命懸けの危険な仕事に赴く。
その上、恰も政府軍の特殊部隊が駆除したような記事で、その働きまでなかったことにされた。
「……俺だったら、こんなの馬鹿馬鹿しくてやってられませんけど」
「その分、おカネの面ではオイシイお仕事なんじゃない?」
「尊厳を買い叩かれるような仕事なのにですか?」
「本人たちがいいんなら、別にいいんじゃない?」
ロークは、この店に呪符を買いに来る駆除屋たちの顔を思い返したが、彼らが何を思ってそんな仕事に命を懸けられるのか、皆目見当もつかなかった。
「記事ってこれだけですか?」
「他は関係なさそうなのばかりよ。何か読みたい記事あるの?」
「ネモラリス憂撃隊の動きがわかりそうなのって載ってませんでしたか?」
「例えば?」
「おい、さっきのテロがどうとかっての、星の標だけじゃねぇのかよ」
プートニクが注文票を書く手を止め、二人を交互に見た。
ロークは教えるべきか迷い、フィアールカに視線を送る。
「そうね。ネモラリス憂撃隊は、ルフス神学校の礼拝堂爆破とか、そのもっと前は、あちこちの基地から武器を盗んで、ラングースト半島のアクイロー基地を襲撃して魔獣を放ったり……まぁ色々してるわね」
「じゃあ、今、街に魔獣がうようよ居ンのもそいつらの仕業か?」
「わからないわ。犯行声明の類が出てないから」
ロークは、フィアールカの声の冷たさにひやりとした。流石にそのアクイロー基地襲撃作戦に加わり、魔獣を放つ手伝いをしたなどとは言えない。
「もし、ビルの屋上に魔獣を括ったのがそいつらなら、あんまり狩るのはヤベぇかもな」
プートニクは、相手がテロリストでも、人間と戦う気はないらしい。
彼は毎年、湖西地方で魔獣狩りをして生還できる歴戦の魔法戦士だ。戦闘能力自体は、烏合の衆のネモラリス憂撃隊よりずっと上だろう。
一口に魔法戦士と言っても、警備員オリョールはまだ外見通りに若い。旧王国時代から戦い続けるプートニクとは、経験の差があり過ぎて比較にもならない。
……でも、オリョールさんは、人殺しに慣れちゃってるからなぁ。
ネモラリス憂撃隊の作戦なら、魔法使いであっても、邪魔する者は敵と看做して攻撃するかもしれない。
彼らの攻撃で、この【鎧】の防禦を突破できるか微妙だが、ロークは両者に戦って欲しくなかった。
素材屋プートニクが苦虫を噛み潰す。
「駆除屋の連中が屋上に手ぇ出さねぇのは、それもあったのか……」
「どんな依頼を幾らで受けたか知らないので、わかりません」
即答したロークに運び屋フィアールカから声が飛ぶ。
「何かのついででいいから、それとなく聞き出しといてくれる?」
「了解」
「姐さん、ネモラリス軍がどうしてるか、わかるか?」
プートニクが向き直ると、フィアールカはすらすら答えた。
「空襲で大打撃を蒙ったし、国内の魔物や魔獣の対策にも手が回らないみたいで、アーテル本土に攻撃を仕掛ける余裕はなさそうね」
「そうか。なるべく人間とは戦いたくねぇからな。ネモラリス軍が出張ってくるようなら、教えてくんねぇか?」
「ここに伝言しとくわ」
「助かる……今日の持ち込み分で、こんだけ買えるか、とっつぁん聞いてくれ」
ロークは呪符の注文票を受け取り、作業部屋に引っ込んだ。
☆通信途絶が続く……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」参照
☆投票日が一カ月もずれ込んだ……「1293.ずれた解決策」「1294.フツーに仕事」「1318.連邦での反応」参照
☆魔獣駆除が進んで外出時の安全性が増した……「1289.諜報員の心得」参照
☆ランテルナ自治区の住民には、参政権が一切ない……「285.諜報員の負傷」「1135.島民の選挙権」「1136.民主主義国家」「1204.彼の地の恋愛」参照
☆この店に呪符を買いに来る駆除屋……「1232.白い闇の中で」「1292.修理できない」参照
☆ルフス神学校の礼拝堂爆破……「868.廃屋で留守番」「869.復讐派のテロ」参照
☆あちこちの基地から武器を盗んで……「254.無謀な報復戦」「261.身を守る魔法」「367.廃墟の拠点で」「397.ゲリラを観察」「456.ゲリラの動き」「814.憂撃隊の略奪」「838.ゲリラの離反」「910.身を以て知る」「1026.関心が異なる」参照
☆アクイロー基地を襲撃……「459.基地襲撃開始」~「466.ゲリラの帰還」参照
☆魔獣を放った……「460.魔獣と陽動隊」「461.管制塔の攻略」「465.管制室の戦い」参照
☆毎年、湖西地方で魔獣狩りをして生還……「1302.危険領域の品」「1314.初めての来店」「1315.突然のお誘い」参照
☆オリョールさんは人殺しに慣れちゃってる……「359.歴史の教科書」「464.仲間を守る為」「470.食堂での争い」「471.信用できぬ者」「512.後悔と罪悪感」「838.ゲリラの離反」参照
☆空襲で大打撃を蒙った……「756.軍内の不協和」~「759.外からの報道」参照
☆国内の魔物や魔獣の対策にも手が回らない……「635.糸口さえなく」「849.八方塞の地方」参照
☆アーテル本土に攻撃を仕掛ける余裕はなさそう……ネモラリス政府軍(魔装兵ルベルと魔哮砲)の攻撃だと知らない。
イグニカーンス基地……「814.憂撃隊の略奪」~「816.魔哮砲の威力」参照
ベラーンス基地/テールム基地……「838.ゲリラの離反」~「840.本拠地の移転」参照
フリグス基地……「0956.フリグス基地」参照
まとめ……「864.隠された勝利」参照




