1339.熟練工の喩え
運び屋フィアールカは、緑髪をさらりと掻き上げて香草茶を啜った。
「その僅かな変化を計測するセンサがなくて、コンピュータが誤差を修正できないからよ」
「バルバツム連邦とか、凄く科学技術が進んでるのに……それでもムリなんですか?」
「作ろうと思ったら、研究、開発に莫大な経費が掛かるからよ。研究成果を製品化するにもおカネが掛かるし、単価が安い部品作るのにそこまでしちゃ赤字が出るから、できるけどしないって言った方が正確かしらね」
ロークは成程と頷きかけたが、別の疑問が口を吐いて出た。
「町工場の職人さんは、どうしてできるんですか?」
「指の神経って言うセンサがついてるからよ」
「指……?」
驚きで次の言葉が消え失せる。
おちょくられたのかと思ったが、彼女の目に笑いはなかった。
「熟練の職人さんは、髪の毛を指でつまむだけで、太さの違いを言い当てられるそうよ」
「えぇッ……機械はそれ、何か別の手段でどうにかできないんですか?」
「それで逆に工場の気温と湿度を一定に保とうとするでしょ」
「あぁ、素材を安定化させる方向で……できないんですか?」
「今度は正確な温度センサはあっても、温度や湿度を完全に一定化できる空調設備がないの。工場の建屋を断熱仕様に建替えるのはキツいでしょ」
商業高校の教科書の一節が脳裡を掠めた。
「製品が“安い部品”だとコストの回収に何年掛かるかわかりませんね」
「そうそう。だからね、デキる人には凄く簡単で、どうやって実行してるか言語化できないコトって、デキない人にとっては、魔法よりワケわかんないものなのよ」
ロークは、スキーヌムに対する教え方を批難されたと気付いて黙った。
言語化不能な部分を伝える努力を負担せよと言われたらしいが、何故、ロークがスキーヌムの為にそこまでしなければならないのか、理不尽な気がした。
……そりゃ、ランテルナ島に連れ出した責任はあるけど、ついて来たのスキーヌム君なのに。
「私は簡単に【操水】できるけど、あなたは“水に巡らせた魔力の流れ”を感知することもできないでしょ」
「……力なき民ですから」
ロークはうっすら屈辱を感じたが、表情を変えずに頷いた。
「作用力を補う【魔力の水晶】を握っても、魔力の流れを読めない人には、【操水】みたいな術は使えないの。【魔除け】や【癒しの風】みたいに魔力を制御しなくていい術は使えるけど、」
「そんな違いがあったんですか」
初めて知った驚きと、過去に使った術の感覚が繋がった。
あの感覚は、魔力の流れではなかったのかと悲しくなる。
スキーヌムは、まだお使いから戻らない。
店長は素材の到着を待つ間、サンドイッチをつまんで、やや遅い昼食中だが、食事が終わるまでに戻るか心配になってきた。
「そうよ。でも、私には魔力の流れを感知する感覚を言語化できないし、仮に説明できたとしても、あなたには感知能力がないから、実際どんな感覚なのか、一生理解できないわ」
「そりゃまぁ、そうですけど……」
……じゃあ、どうしろって?
「私は、力なき民のあなたに身を守る魔法の品を渡しても、【操水】を使えなんて言ったコトないでしょ」
「えぇ……いつもありがとうございます」
「お互い様だから、私もいつも助かってるわ。ありがとね」
にっこり笑って言われたが、釈然としない。
呪符屋の戸が勢いよく開き、大柄な男性が入って来た。素材屋プートニクだ。
「よぉ、また素材買ってくれや。獲れたてで新鮮だぞ」
店長を呼びに行く背に声が掛かる。
「眼鏡の坊主はどうした?」
「お使いに出ています。ご用ですか?」
「いや、元気にしてるかと思ってな」
「昨日と同じですよ」
ロークは苦笑を返して作業部屋に入った。
ゲンティウス店長が、齧りかけのサンドイッチを置いて店に出る。フィアールカに会釈して、プートニクの前に立った。
「こりゃどうも。わざわざご足労いただだきまして恐れ入ります」
「今日は平敷の消化液と、双頭狼の眉毛と消し炭、補色蜥蜴の鱗だ」
プートニクが、大きな袋を無造作に渡した。
店長は愛想良くお礼を言って奥へ引っ込む。
ロークは茶器と一緒に鉛筆と呪符の注文票をカウンターに置いた。
「俺は急がねぇから、こっちの姐さんの分、先に出してやれ」
「買物じゃありませんから、お構いなく」
フィアールカが微笑を向けると、プートニクは頷いてロークを見た。
「この姐さんが、運び屋か?」
「はい」
「あら、私の噂してたの?」
フィアールカは微笑を崩さなかったが、目から笑いが消えた。
「すみません。話の成り行きでちょっと……」
「いいわ。別に秘密にしてるワケじゃないから。こちらは新しい駆除屋さん?」
「王都で素材屋してるモンだ。アーテルに原材料がいっぱい居るって小耳に挟んだもんでな。調達に来たんだ」
長命人種の魔法使い二人が互いを値踏みする。
ロークは沈黙が気マズくなり、プートニクに声を掛けた。
「本土の屋上、ひとつも罠がなかったんですね」
「あぁ。魔獣が居座ってるだけで、キルクルス教徒にとっちゃ罠以上の脅威ンなるからじゃねぇか?」
黒髪の偉丈夫が答えると、緑髪の運び屋は椅子ごと向き直った。
☆スキーヌムに対する教え方……「1064.職場内の訓練」「1068.居たい場所は」「1224.分担して収集」「1225.ラジオの情報」参照
☆ランテルナ島に連れ出した責任……「841.あの島に渡る」~「847.引受けた依頼」参照
☆魔力の流れ……「0111.給湯室の収穫」「0169.得られる知識」「0179.橋を渡る車輌」「228.有志の隠れ家」「454.力の循環効率」参照
☆魔力の流れを感知する感覚……言語化できないので実演「266.初めての授業」「872.流れを感じる」参照
☆過去に使った術の感覚……「1082.自力で癒す傷」参照




