1338.記録の古代神
「プートニクさんって、どんな人なんですか?」
ロークは、魔獣の消し炭の粉末を水知樹の樹液で溶きながら聞いた。呪符屋の店長が【慰撫囲】の魔法陣が描かれた布を作業台に広げ、首を傾げる。
「どんなって……どうよ?」
「一人でアーテル本土に渡って魔獣狩りするみたいなコト言ってましたけど」
「心配いらねぇ。あの御仁は【飛翔する鷹】で、素材は自分で調達してんだ」
「そんなに強いんですか?」
店長は頷いて、防禦の呪文がびっしり刺繍された革手袋を着ける。仕入れたばかりの素材を【慰撫囲】の袋から出し、何だかよくわからない赤黒い塊を魔法陣の中心に据えた。
ロークは、この店で働き始めて一年近く経つが、店長がそんな危険な素材を扱うのを初めて見た。
店長は、広口のガラス瓶に水知樹の樹液とロークの知らない液体を注ぎ入れ、ガラス棒で混ぜる。どちらも無色透明で、特に変化は見られない。
力ある言葉で何事か唱え、赤黒い塊を指差すと、真っ二つに割れた。何度も同じ処理を繰り返し、胡桃くらいの大きさの塊十数個に分ける。
店長が袖で額の汗を拭い、ロークに顔を向けた。
「強ぇなんてモンじゃねぇ。あの御仁は湖西地方へ出向いて、自分で仕留めて来なさるんだ」
「えぇッ? ……それも、一人でですか?」
思わず呪符用黒インクを調合する手が止まる。
「そりゃ流石に無理だ。郭公の店長とスクートゥムの知り合い何人かで組んで行くらしい」
「えっ? クロエーニィエさんもですか?」
「何びっくりしてんだ? あの人も元騎士だぞ?」
「えぇ、それは聞きましたけど、騎士の頃使ってた剣、ファーキル君に譲ってたんで、てっきり、もう戦わないんだとばっかり……」
「遺跡で凄ぇ剣拾ったらしいが、どんな代物かは俺も聞いてねぇ」
店長は布の魔法陣に乳鉢を置き、赤黒いカケラをすり潰し始めた。
ロークも作業を再開する。できた分はきっちり蓋を閉めて片付け、次の素材を乳鉢ですり潰す。
原材料は、昨日、魔獣駆除業者がアーテル本土で狩ってきた地蟲だ。
見張り役の業者が持ち込み、有りもしない武勇伝を語った。彼は【化粧】の首飾りで顔を変えたロークに見られたことなど知る由もない。
「あの……“プートニク”って、本とか記録の神様の名前ですよね?」
フラクシヌス教徒は、神名を呼称にするのを不遜とは思わないのだろうか。
「あぁ。フィルム式のカメラが発明されて間ナシの頃、出版社の依頼で湖西地方の写真、大量に撮りまくってな。それからそう呼ばれてんだ」
「何の写真ですか?」
二人とも、手を止めずに話す。
古代神のプートニクは、主神フラクシヌスらと協力して旱魃の龍と戦い、その記録を持って出身地の南方へ去った。
そのせいか、ラキュス湖の畔には信者が少ない。リンフ山脈の向こうでは、神格化されることなく、救国の英雄として祀られると言う。
「風景、植物、地上の遺跡、スヴェート河、森、魔獣……何でもだ」
「何でも」
「魔獣は、スクートゥム王国の騎士団や駆除屋から聞き取った棲息地や生態、それに実際、戦ってわかった弱点やなんかも記録して伝えた」
「凄いですね」
「あぁ。凄ぇ御仁だ。騎士の頃に知った他の魔物や魔獣のこともいっぱい書いたから、出版社がまとめて魔獣図鑑出して、今も内容の更新を続けてる」
「図鑑用の筆名なんですか?」
呼称の“プートニク”は「旅人」を意味する。
「出版社の奴が勝手に付けたモンだけどな」
「そうだったんですか。じゃあ、一人で本土に行っても大丈夫ですね」
「どうだかなぁ。あっちじゃ、化けモンより人間の方が油断なんねぇ」
ロークが見た限り、そんなコトはなさそうに思えたが、湖の民や力ある陸の民にとってもそうとは限らない。
……今度行く時は、本土のキルクルス教徒が魔獣駆除業者にどんな態度するか、気を付けて見よう。
昼過ぎ、ロークの店番中、運び屋フィアールカが訪れた。
「あら、今日はあのコじゃないのね」
「お使いに出てます。ご用ですか?」
「別に。最近、急にお茶の淹れ方が上手くなったから」
「俺じゃダメですか?」
「そんなコトないわ」
フィアールカは笑ってカウンター席の一番奥に座った。
「どうして急に上手くなったのかしらね」
「レノ店長が教えてくれたそうですよ」
「あのコ、パン屋さんなのにそんなコトまで上手いのね」
感心しながら鞄を探り、タブレット端末を出してつつく。
ロークは教え方の下手さを詰られたように感じたが、平静を保って香草茶を用意する。
「こう言うのって、あんまりにもフツー過ぎて逆に説明難しいんですよね」
「簡単過ぎて何も考えなくてもできるから、説明の言葉がみつからないって言うの?」
「えぇ、まぁ、そんなカンジですね」
「意外とそんな言語化し難い技術の方が、究めるの難しかったりするのよ」
「そうなんですか?」
カウンターに茶器を置くと、フィアールカは端末から顔を上げて頷いた。
「例えば、町工場の熟練工の技術。旋盤工の正確無比な精密作業は、科学文明国にあるコンピュータ制御の機械でも真似できないし、継承も難しいそうよ」
「えぇっ? 何か、機械の方が精確そうな気がするんですけど?」
半信半疑で聞くと、運び屋は予想済みだったらしく、すらすら答える。
「その日の温度や湿度なんかで、素材が膨張したり伸縮したりするでしょ」
「寒い日にジャムの瓶が開かなくなるアレですね」
「そう。彼らは素材の微細な変化を読み取って、成果物の品質を寸分の狂いもなく同じに仕上げるの。でも、機械にはまだそこまでできない」
「どうしてですか?」
ロークはカウンターに置いた拳に力が入った。
☆プートニクさんって、どんな人……「1301.王都の素材屋」~「1304.もらえるもの」「1313.檻から出ても」~「1317.情報交換の場」参照
☆一人でアーテル本土に渡って魔獣狩りする……「1317.情報交換の場」参照
☆何だかよくわからない赤黒い塊……「1302.危険領域の品」参照
☆あの人も元騎士……「414.修行の厳しさ」「423.食堂の獅子屋」「424.旧知との再会」「447.元騎士の身体」参照
☆騎士の頃使ってた剣、ファーキル君に譲ってた……「443.正答なき問い」「851.対抗する武器」参照
☆遺跡で凄ぇ剣拾った……「1314.初めての来店」参照
☆見張り役の業者……「1292.修理できない」参照
☆“プートニク”って、本とか記録の神様の名前/古代神のプートニク……「671.読み聞かせる」参照
☆ロークが見た限り、そんなコトはなさそう……「1290.工場街の調査」~「1296.虚実織り交ぜ」参照
☆レノ店長が教えてくれた……「1297.やさしい説明」参照




