1336.魚屋が来ない
ミャータ市到着から二日目。
移動放送局プラエテルミッサの一行は、朝食の席で「ここでは放送せず、情報収集に専念する」と再確認した。
朝食後、公民館の駐車場から数組に分かれて街に散る。
パン屋の三人とアナウンサーのジョールチ、パドールリクとアマナ父子、運転手のメドヴェージと葬儀屋アゴーニは、トラックの荷台で留守番だ。
呪医セプテントリオーは、白衣を着ずに荷台を降りた。薬師アウェッラーナに倣い【青き片翼】学派の徽章は上着の中に隠した。
交換品の干物を詰めた買物袋を両手に提げ、目利きできるアウェッラーナと連れ立って行く。
「それでは、行って参ります」
目的地は、昨日、神殿に行く途中で見掛けた薬の素材屋だ。
「昨日はもう薄暗くてわかりませんでしたけど、思ったより多いんですね」
「そのようですね。外観からは、店舗と民家の区別がつき難いですが……」
アウェッラーナが見回し、セプテントリオーも改めて、控えめな看板に目を凝らす。街のそこかしこで、昨日は気付かなかった小さな看板を幾つもみつけ、商売をする気を疑いたくなった。
「卸が中心で、あんまり小売りしないから、看板が小さいのかもしれませんね」
「そう言うものなのですか?」
「一般の人はまず買いませんし、地元の病院や薬局だけなら、顔見知りばかりでしょうから、もしかすると、看板を出さない業者さんもあるかもしれません」
薬師アウェッラーナの推測に成程と頷く。
湖の民二人は、公民館から一番近い素材屋の戸を叩いた。
しばらく待ったが、反応はない。
「あのー、ごめん下さーい。旅の者ですが、お薬の素材を少し売っていただけませんかー」
アウェッラーナが声を掛けると、やっと足音が聞こえた。
年配の男性が顔を出し、同族の他所者を無遠慮に値踏みする。
「あんたら、どっから来た?」
「ゼルノー市です。クルブニーカが近いので、製薬関連のアルバイトなどをしたことがありまして、薬素材の行商を少々」
「売りに来たのか? ウチは買わんぞ」
外見が少女のアウェッラーナを遮って、中年男性のセプテントリオーを睨む。父娘だと思われたかもしれない。
「いえ、我々があなたから仕入れて、他所へ売りに行くのです」
「交換品は何だ?」
「魚の干物です」
セプテントリオーが袋の口を開けると、男性の目の色が変わった。
「こりゃまた……何か月振りだ?」
「お魚、そんな久し振りなんですか?」
アウェッラーナが何も知らないフリをする。
「あぁ……アレが流行ってから、いつもカーメンシクの方から来てた魚屋が来られなくなったからな。あんたら、ゼルノー市の方から来たってこたぁ、通行止めは全部終わったってコトだよな?」
「夏頃から途中の村で足留めされて、あんまり西の方はわからないんです」
「ここらは目の前が湖でも、岸が崖で港がないから、魚は他所から買わにゃならんのだ」
「ミャータには【漁る伽藍鳥】学派の人って居ないんですか?」
「居ないから魚屋を待ってんだよ」
バカを見る目を向けられたが、ぐっと堪えて愛想笑いを繕う。
……通行止めが解除されたのに魚屋が来ない?
魚屋自身が麻疹で倒れたのか、取引先の漁師がそうなのか。生の魚なら、トラックの燃料不足も考えられる。
流行が終息し、交通が再開しても、生活が元通りになるには、まだ時間が掛かるらしい。
昨夜、ジョールチから聞いたミャータ市周辺の惨状を思い出し、呪医の胸は痛んだ。
アウェッラーナが気を取り直して聞く。
「お薬の素材、どんなのがありますか?」
「何カ月も出してもらえなかったもんでな、大したモンはねぇが」
自宅で素材屋を営む男性は、言い訳めいたことを呟きながら奥に引っ込んだ。すぐに浅い木箱を抱えて戻る。
……大したものがないと言うより、完全に「売れ残り」ではないか。
乾燥させた薬草がほんの数種類、申し訳程度にあるだけだ。
「まぁ何せ、何カ月も閉じ込められてる内に冬ンなっちまったからよ」
「何カ月も? 食糧はどうなさったのです?」
セプテントリオーが驚くと、同族の男性は力なく笑った。
「完全に市壁を閉じたのは、その内の一カ月くらいだけだ。俺は基本、仲間と組んで山へ採りに行くから、誰か一人でも欠けたらお手上げでな」
「手前の森で採らないんですか?」
アウェッラーナが首を傾げる。
年配の男性は、色が抜けつつある緑髪の頭を掻き、中学生くらいの少女に悲しい目で応えた。
「他所者のお嬢ちゃんは知らんだろうが、ここらじゃ、喧嘩しねぇようにってんで、先祖代々採る場所の割当てが決まってんだよ」
「そうだったんですか。おじさん、強いんですね。山へ採りに行けるなんて……これ、干物十匹で分けてもらえますか?」
「何の薬になるか、知ってて言ってんのか?」
男性が凄んでみせたが、アウェッラーナは臆せず答えた。
「骨折を治す飲み薬の素材ですよね。でも、小さいし、ここ傷んでますし、他の素材をお持ちじゃないんで、これだけではちょっと……」
アウェッラーナは、木箱に一本だけ残った赤い葉の薬草を取った。
「ウチは六人家族なんだ。十二匹にしてくれよ」
「喧嘩にならないように、六匹でいいですね?」
アウェッラーナが薬草を置こうとすると、男性は木箱を引っ込めて叫んだ。
「わかった! わかったよ! 十匹で!」
交渉が成立したと見て、セプテントリオーは十匹数えながら木箱に入れた。
素材屋の家を離れ、薬師アウェッラーナがポツリと言う。
「これは品質がアレですけど……マリーノヴィ・ツヴェートって、ホントはこんな干物なんかで売ってもらえる素材じゃないんですよ」
「えっ?」
呪医セプテントリオーは思わず振り向いた。
「宝石や【魔力の水晶】たくさんじゃなくて、食べ物であんなに目の色変えるってコトは、この街、食糧事情が厳しいみたいですね」
「昨夜の定食屋さんは……手に入れる伝手があるから、営業できたと?」
「多分。でも、まだ力尽くで奪う程、飢えてるワケじゃなさそうですけど」
「ジョールチさんが放送しないと決めたのは、その辺もあるかもしれませんね」
二人は干物の袋をしっかり持ち直し、次の素材屋へ向かった。
☆徽章は上着の中に隠す……「1093.不安への備え」参照
☆昨日、神殿に行く途中で見掛けた薬の素材屋……「1329.医療政策失敗」参照
☆アレが流行って……「1090.行くなの理由」「1126.癒せない悩み」「1202.無防備な大人」参照
☆ミャータ市周辺の惨状……「1324.荒廃した集落」「1325.消滅した集落」参照
☆ジョールチさんが放送しないと決めた……「1328.ミャータ到着」参照




