1327.話せばわかる
「どうして、フラクシヌス教徒なのにキルクルス教の教会に来て、礼拝を聞くのかって」
「聞いたのかよ!」
「怖くなかった?」
「何て言ってた?」
東教区の住民がざわつく。
ネモラリス政府軍の兵士は、東西どちらの教区でも、大聖堂から来たフェレトルム司祭が説教する日にだけ礼拝に顔を出す。
来るのは決まって二人で、その組合せは毎回異なる。
クフシーンカも通訳で立ち会う際、気になって仕方がなかったが、流石にそんな質問はできなかった。菓子屋の妻の大胆さには驚くばかりだ。
彼女は、ざわめきが鎮まるのを待って、兵士の反応を語る。
「自治区に派遣された魔法使いの兵隊さんたちは、みんな若く見えるけど、半世紀の内乱前の生まれの長命人種ばかりで、少しは私たちの信仰を知ってるんですって。勿論、魔法使いだから、聖者様の教えに改宗する気はないって言ってましたけどね」
「信心する気もないのに何で、大聖堂の司祭様のお説教を聞きに来るんだ?」
一人の質問に教室中の頭が縦に揺れた。
中学の空き教室を利用した編み物教室に顔を出すのは、怪我や病気、家庭の事情や勤務先の消滅などで職にあぶれた者たちだ。
菓子屋の妻とクフシーンカも、星の標とネミュス解放軍の戦闘に巻き込まれ、店舗を破壊された。
高齢のクフシーンカは再建を諦め、仕立屋を更地にしてもらったが、菓子屋の夫婦は息子がまだ小学生なこともあり、再建を目指して、今は別の仕事に精を出す。妻が編み物教室に顔を出すのもその一環だ。
「兵隊さんたちはアーテル軍と戦ってるだけで、別に私たちの敵ってワケじゃないわ。お互いの信仰をよく知った方が、同じネモラリス人同士で余計な諍いにならなくていいから聞くんですってよ。でも、共通語がわからないとフェレトルム司祭様のお説教がわからないから、聞きに来る人は大体一緒で、当番とか色々あるから毎回は来られなくて、その時行ける人が聞いて、後でみんなに、今日はこんなお話だったよって広めてくれてるんですって」
……魔装兵がキルクルス教の礼拝に……教会内に入っていたですって?
クフシーンカは目眩がしたが、兵士の言い分も尤もだ。
受講生たちは、菓子屋の妻の得意げな報告を聞いて単純に感心する。
「へぇー、聞いてみるもんだねぇ」
「フツーに答えてくれるなんて思わなかったわ」
「私も今度、聞いてみようかな?」
「何聞くの?」
「ヒミツ」
「星の標が威張ってる時だったら、無理だったでしょうけどね」
誰かの声で、教室が水を打ったように静まり返った。
菓子屋の妻が、困り顔で教卓のクフシーンカを見る。
声の主は、星道の職人クフシーンカが口を開くより先に慌てて話を逸らした。
「だっだって、ホラ、あれよ。麻疹の治療だって、魔法じゃなきゃ今頃どうなってたかわかんないのに」
「そうだな。昔は、市民病院に担ぎ込まれて、あのセンセイに魔法でキレイさっぱり治してもらったら、星の標が一家皆殺しにしてたもんな」
「でしょ? 何の為に治してもらったんだかわかりゃしない」
苦い記憶を語る声に先程の声が勢い付く。
「フェレトルム司祭様が、星の標は異端だってハッキリ言って下さって、魔法全部が悪しき業ってワケじゃないって教えて下さったから、安心して治療を受けられるようになったのよ」
「解放軍が星の標を叩き潰すまで、司祭様たちもそう言う大事なコト、何も言えなかったもんな」
「そうよ。私も戦闘で店を潰された甲斐があったってものよ」
菓子屋の妻が静かな声でポツリと言うと、受講生たちは口を噤んだ。
国外に赴任中の外交官らの働きで、フラクシヌス教団や総合商社パルンビナ株式会社を通じて、ワクチンを緊急輸入できた。
臨時政府はリストヴァー自治区に医師団を派遣し、隣接するゼルノー市グリャージ区に仮設病院を建て、現在も治療に当たる。
まだ未接種者全員にワクチンが行き渡ったワケではないが、患者の隔離と感染リスクの高い人々への重点接種で、流行の拡大はなんとか食い止められた。
呪医の治療を受けても殺されない安心感が、患者の隠蔽を防ぎ、積極的な受診に繋がったのだ。
……兵隊さんの返事は、きっと偉い人が考えた建前なんでしょうけど。
すっかり舞い上がった菓子屋の妻に言っても仕方がない。
緑髪の運び屋フィアールカと、金髪の諜報員ラゾールニクが教えてくれた情報から、今般の情勢を鑑みれば、ネモラリス臨時政府がリストヴァー自治区を手厚く保護した方が、全体の国益に適うと判断したと看做すのが自然だ。
自治区民に親切な態度を取るのも、キルクルス教の信仰を理解しようとする姿を見せるのも、住民を懐柔する手段なのだろう。
臨時政府の目的が、「世界のキルクルス教国を敵に回さず、アーテル共和国の非道ぶりを印象付けること」であったとしても、折角の融和ムードに水を差す理由にはならない。
……この先、戦況がどう変わるかわからないけれど。
国の形がどう変わろうと、そこに住まう民が総替えになることなど滅多にない。
半世紀の内乱前のように穏やかな共存生活を送れるなら、残り僅かな時間を全て協力に捧げることに躊躇はなかった。
星の標が表立った活動を控える今こそが好機だ。
「治してくれるのはイイけど、仮設病棟、どんどん増えンのが気になるのよね」
手袋を編むおばさんが、隣で靴下を編む同輩に小声で話し掛ける。
「東教区の病院はまだひとつしか再建できていないし、お医者さんも看護師さんもお薬も何もかも足りないし、仕方ないんじゃない?」
「でも、お見舞いさせてもらえないのが、こんなキツいなんてねぇ」
「移って広めたらよくないし、仕方ないんじゃない?」
「きっちり治って、家に帰してもらえるんなら、いいんだけど……」
「今は信じて待つしか、仕方ないわよ」
会話が途切れ、人々は無言で編み針を動かした。
☆政府軍の兵士は(中略)フェレトルム司祭が説教する日にだけ礼拝に顔を出す……「1287.医師団の派遣」参照
☆菓子屋の妻(中略)店舗を破壊された……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「1079.街道での司祭」参照
☆仕立屋を更地にしてもらった……「0991.古く新しい道」参照
☆菓子屋の夫婦は息子がまだ小学生……「902.捨てた家名で」「1180.役に立ちたい」参照
☆あのセンセイ……呪医セプテントリオー「551.癒しを望む者」「552.古新聞を乞う」「558.自治区での朝」「562.遠回りな連絡」「0942.異端者の教育」参照
☆魔法でキレイさっぱり治してもらったら、星の標が一家皆殺し……「0026.三十年の不満」「557.仕立屋の客人」参照
☆苦い記憶……「900.謳えこの歌を」参照
☆フェレトルム司祭様が、星の標は異端だってハッキリ言って……「1007.大聖堂の司祭」「1008.動かぬ大聖堂」参照
☆解放軍が星の標を叩き潰す……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」「916.解放軍の将軍」~「918.主戦場の被害」「919.区長との対面」~「921.一致する利害」「0937.帰れない理由」~「0939.諜報員の報告」「0942.異端者の教育」参照
☆司祭様たちもそう言う大事なコト、何も言えなかった……正そうとした西教区の司祭は星の標に消された「557.仕立屋の客人」参照
☆国外に赴任中の外交官らの働きで(中略)ワクチンを緊急輸入……「1283.網から漏れる」「1305.支援への礼状」参照
☆臨時政府はリストヴァー自治区に医師団を派遣/仮設病院を建て……「1287.医師団の派遣」参照




