1326.街道の警備兵
「店長さん、酸っぱいの平気なら、これ、どうぞ」
「あら、よろしいんですの?」
菓子屋の妻が差し出したのは、赤ん坊の拳くらいの赤い果実だ。
「お砂糖やシロップがたっぷりあれば、シロップ煮にしてパイやタルトにできるんですけどね。戦争で何もかも品薄で、星の標と解放軍の戦いで店はボロボロですし……それで、片付けが終わってから、亭主と二人、交代で山へ行くようになったんですのよ」
一息に捲し立てた甲高い声に教室内の目が集まった。
作業中の大声への批難より、驚きの表情が多い。
中学の空き教室で、特に時間の決まりはなく、出入りも各自の都合で自由だ。
クフシーンカが座る教卓に蔓草で編んだ籠が置かれた。
赤い果実は十個くらいある。
「こんなにたくさん、ホントによろしいんですの?」
「どうぞどうぞ。私も亭主も料理は達者なんですけど、お裁縫や編み物はからっきしでしょ。ここでこうして教えていただけるの、ホント大助かりなんですよ。外国の寄付で毛糸をたくさんいただきましたけど、編み物できないんじゃないのと同じですし、店長さんにはどれだけお礼を言っても言葉が足りないくらいですよ」
何人かが、菓子屋の妻の声に顔を上げ、編み物の手を止めて頷く。
八割方埋まった席は、半分以上が女性だが、怪我などで働きに出られない男性の姿も多かった。
「私はもうこの歳ですからね。こんなにたくさんいただいても、傷む前に食べきれないでしょうから、この半分……いえ、一個か二個で充分ですよ」
「種を抜いて干せば日持ちしま……あ、新鮮な方がいいと思って急いでお持ちしたんですけど、やっぱりこれ、生だと酸っぱいんで、ドライフルーツにしてからお渡ししますね」
菓子屋の妻は一方的に言って、教卓に置いた籠を引っ込めた。
「でも、奥さんがわざわざ山へ行って、命懸けで採って来られたのに、こんなにたくさんいただくのは……」
「いえいえ大丈夫ですよ。それがね、聞いて下さる? 去年の夏にみんなで山道を掘り起こして通れるようにしましたでしょ? あれだけでも随分よくなったんですけど、近頃は、政府軍の兵隊さんが山道の警備をして下さるようになってましてね。そりゃあ、私も最初は魔法使いの兵隊なんて気味悪いし怖くてヤだったんですけどね、それが実際会って話してみたら、意外とフツーのお兄さんたちだったんですのよ、これが」
……こんな調子で話し掛けられたんじゃ、魔装兵も閉口したでしょうね。
クフシーンカが苦笑する間も、菓子屋の妻の話は続く。
「私らが薪や木の実を採りに行ったら、兵隊さんが、護衛しますよってついてきてくれたんですのよ。曇りの日でも、兵隊さんが近付いただけで、雑妖なんかは恐れをなしてさーっと逃げちゃうから、思い切って道を出てホントの山の中まで行ってみたんですけどね、これがまた、ちゃんとついてきて守ってくれたんですよ。しかも、高い枝についてる実を摘んで籠に入れてくれて、日が暮れない内に帰って下さいねって、麓の広場まで送ってくれて、至れり尽くせりでホントびっくりしましたわ」
「道の外ですって?」
クフシーンカは耳を疑った。
編み物教室の受講生らも、一様に驚いた目を菓子屋の妻に向ける。
「私たちも一応、護身用に鉄パイプや何かを持って行くんですけどね、まだ実体がない魔物や雑妖には当たりませんでしょ。でも、兵隊さんの魔法は一発でやっつけちゃったのよ」
「おかみさん、怖くなかった?」
受講生から声が飛び、菓子屋の妻は机の列に向き直った。
東教区の中学校は、あの冬の大火から再建されて間もなく、机などの備品もピカピカだ。
机上には色とりどりの毛糸がある。
全く初めての者はマフラー、少し慣れて来た者は靴下や帽子に挑戦し、わからないところをクフシーンカに尋ねる編み物教室だ。
仕事にあぶれ、仮設住宅からこの職業訓練教室に通う人々が、菓子屋の妻に恐れと期待の入り混じった視線を注ぐ。
「私らが道の外で採りたいって言ったら、先に山へ分け入って、その辺を見回して、離れたとこに居るのをみつけてあっと言う間にやっつけてくれたから、ちっとも怖くなかったわ。兵隊さんが傍に居てくれるだけで雑妖は寄って来ないし、行くんなら、雪が降らない今の内がいいわよ」
もう十二月だ。
二週間も経てば、クブルム山脈では雨が雪に変わる日があるかもしれない。
……みんなが心配なのは、その魔法がこちらに向けられないか、でしょうにね。
流石に口に出せない。
「何て言うか、こう……物語のお姫様が騎士に守られるのって、こんな気分なのかと思ったわぁ」
菓子屋の妻が年甲斐もなく、夢みる乙女のようにうっとりすると、場がどっと沸いた。
大火で片膝が曲がらなくなった男性がからかう。
「今の、旦那に聞かれたらオオゴトじゃねぇか」
「大丈夫よ。私はあの人一筋だもの。それでね、私たち、魔法使いの兵隊さんもフツーの人だってわかったから、思い切って聞いてみたのよ」
「……何を?」
先程の男性が笑いを引っ込めて聞く。
編み進めようとした者たちも手を止め、教卓の横に立つおかみさんに注目した。
☆赤ん坊の拳くらいの赤い果実……「405.錆びた鎌の傷」参照
☆星の標と解放軍の戦い……「893.動きだす作戦」~「906.魔獣の犠牲者」参照
☆店はボロボロ……「918.主戦場の被害」「0940.事後処理開始」「1079.街道での司祭」参照
☆去年の夏にみんなで山道を掘り起こして通れるようにしました……「419.次の救済事業」「420.道を清めよう」「442.未来に続く道」「453.役割それぞれ」参照
☆政府軍の兵隊さんが山道の警備……「1287.医師団の派遣」参照
☆麓の広場……「552.古新聞を乞う」参照
☆あの冬の大火……「054.自治区の災厄」「055.山積みの号外」「212.自治区の様子」~「214.老いた姉と弟」参照




