0136.守備隊の兵士
魔装兵ルベルは、治安部隊から守備隊に転属させられた。
原隊がどうなったか、全く知らされない。この状況では仕方がないとは言え、やるせない思いに気持ちが沈む。
末端の一兵卒に過ぎないルベルには、報道発表以上の情報は与えられず、戦況の全体像もわからなかった。ただ、与えられた任務を遂行するだけだ。
ルベルは今、ネモラリス島南の湖上に居る。
守備隊の見張りとして、防空艦――軍用の魔道機船で空襲の哨戒任務に就く。
アーテル・ラニスタ連合軍の空襲で、ネモラリス共和国に被害が出たのは、最初の二日間だけだ。三日目からは、全てラキュス湖上で防いだ。
迎撃で、連合軍の戦力をどれだけ削げたのか。
そもそもルベルは、アーテルとラニスタの空軍が所有する戦闘機や爆撃機、輸送機の総数も知らない。
半世紀の内乱時代の残りは、まだ現役で運用中なのだろうか。
首都クレーヴェルでの待機中、ルベルたちは新聞とラジオで情報収集した。
上官は、末端の兵卒に詳しい戦況を教えてくれないが、報道発表を知ることを妨げることもなかった。
新聞では、敵機三編隊百二十七機を撃墜……などと報じられた。それが多いのか少ないのか、半世紀の内乱後生まれの若い兵士には、わからなかった。
季節外れの豪雨の中、交代で甲板に立ち、持ち場の方角を見張る。
激しい雨は、ルベルの周囲を避けて降った。
軍服に刺繍された幾つもの防禦の魔法が、ルベルたちを冷たい冬の嵐から守る。魔装兵の彼らが身に着けるのは、単なる布の戦闘服ではなく魔法の【鎧】だ。
「害意 殺気 捕食者の姿 敵を捕える蜂角鷹の眼 敵を逃さぬ蜂角鷹の眼 詳らかにせよ」
力ある言葉で呪文を唱え、知覚を拡大する。【飛翔する蜂角鷹】学派の【索敵】の術だ。
術を使えば、この激しい雨も厚い雲も、まるでないかのように見通せる。
遥か遠く、双眼鏡でも捕えられない彼方の敵機をも、捕捉可能になった。
この三十年で、ネモラリス軍の防空体制は飛躍的に向上した、と新しい上官に教えられた。
敵機を発見次第、すぐに迎撃できる。だから、絶対に見逃すな、と。
……その割に、二日間も空襲を喰らわされたのは、何か納得いかないんだよな。
初日に何とかできなかったのか、と内心では首を傾げながらも、命令には忠実に従う。
二日間の空襲で、ネーニア島北部……ネモラリス共和国領南部の市街地は、ほぼ焦土と化した。首都は殆どの地区が無事だが、ネモラリス島の最南端の地域も空襲を受けた。
空襲の前にネーニア島東部のゼルノー市は、テロと火災に見舞われた。
そこへ追い打ちを掛けられ、同市は完全に放棄された。生存者には、ラジオでネーニア島北部への避難を呼び掛けるが、政府が救助隊を差し向けることはなかった。
魔装兵ルベルは当初、治安部隊の一員として、武装蜂起した自治区民のテロを鎮圧する為に派遣された。
異状を知らせる為、隊長に現場の離脱を命じられ、指令本部へ戻った。それ以降は待機を命じられ、元の部隊の安否すら教えてもらえないのだ。
……何か、ヘンな感じなんだよな。
普通に考えれば、被害状況の調査をして、敵戦力を分析する。
そのついでに、生存者の救助もする。
生存者が力ある民なら、女子供でも、戦力になり得る。なのに、ゼルノー市を含め、空襲を受けた一帯……ラクリマリス王国との国境、クブルム山脈の裾野地域は完全に放棄されてしまった。
三十年の間に軍備を増強したのは、アーテル共和国も同じだ。
断片的に入って来る科学文明の先進国のニュースは、魔法と遜色ないか、それ以上に思うこともあった。
「敵襲ッ! 地点二二七の四、七時の方角ッ! 雨雲の上ッ!」
小さな黒点が、雨雲の上で群を成した。
ルベルの声は、【花の耳】……軍服の襟に付けた花型の通信機で、五カ所同時に伝えられる。
対応する花弁型の通信機のひとつは、この艦の艦長室、ひとつはネモラリス島の軍司令本部、残りは湖上に展開する防空艦三隻にある。
ルベルの視界は、防空艦の担当者各一人ずつと、【刮目】の術で繋がる。
見張りが見た物を、離れた位置の三人が同時に知覚できる。
ネーニア島とフナリス群島の間に布陣する艦が、応答した。
「了解。迎撃用意」
ルベルはその間も、アーテル空軍機から目を逸らさない。
戦闘機が、見張りの視野の中でどんどん大きくなる。曖昧な色の翼にキルクルス教の聖印が薄く見える。
科学文明国の軍備……レーダーでは捉え難い機種だ。
ステルス機も【索敵】の目には、はっきりと視認できる。
不意に雨雲が吹き飛んだ。ステルス機の群が、同じ角度に傾く。
一呼吸置いて、爆発した。炎と黒煙が長く尾を引き墜ちて行く。
それも雨風に流され、すぐに消える。
後には、雲に穿たれた穴だけが残った。
ルベルは兵学校で、科学文明国では通常、荒天時に航空機を飛ばさない、と教わった。
雲に視界を遮られ、目標を視認できない。
雲の下へ降りれば、乱れた気流で機体が安定しない。
相手が魔法文明国の軍なら、天候に乗じた術で撃墜される恐れもある。
厚い雲の下には、昼間でも空を飛ぶ魔物や雑妖が居るのだ。それらを防ぐ手段を何ひとつ持たない身で、嵐の中を飛ぶなど自殺行為に等しい。
【飛翔する燕】や【雪読む雷鳥】学派の術で、天候を操作できるならいざ知らず、科学文明国の戦い方としては不自然だ。
こちらは【操水】の術などで、嵐の中でも艦を安定させられる。
この嵐自体、ネモラリスの国内各地から招集した【雪読む雷鳥】学派の術者たちが起こしたものだ。
ネモラリス共和国は、印歴二一九一年二月三日、アーテル共和国から一方的な宣戦布告を受けた。
その翌日から儀式を始め、今日ようやく発動した。
普通の雨を嵐に拡大し、敵の戦力を大幅に殺げた。
艦長室には、ネーニア島の西に展開した部隊からも、戦果が報告される。
ルベルは、国民の被害を未然に防げたのは嬉しかったが、手放しでは喜べなかった。
☆アーテル・ラニスタ連合軍の空襲……「0056.最終バスの客」「0106.分析と願望と」参照
☆半世紀の内乱時代の残り……「0001.内戦の終わり」参照
☆市街地は、ほぼ焦土/ゼルノー市は、テロと火災に見舞われた
テロ……第一章 印歴二一九一年二月一日~第二章 印歴二一九一年二月二日
ゼルノー市の火災……第三章 印歴二一九一年二月三日
自治区の火災……「0054.自治区の災厄」「0055.山積みの号外」参照
☆魔装兵ルベルは当初、治安部隊の一員として(中略)隊長に現場の離脱を命じられ……「0025.軍の初動対応」参照
☆印歴二一九一年二月三日、アーテル共和国から一方的な宣戦布告……「0078.ラジオの報道」参照




