1323.小出しの情報
かなり厚着して行ったが、ラキュス湖から吹き上がる冬の風が老身に凍みる。
ネモラリス共和国の大使館に一歩足を踏み入れると、その暖かさに肩の力が抜けた。アミトスチグマ王国駐在員がすっかり慣れた手つきで、膝を庇って歩く老議員を介助する。
インターネット関連の情報は今回、イーニー大使らと大きな差がなかった。
「何せ、アーテル側が通信途絶で、情報が入ってきませんからね」
「それで、同志が命懸けで撮影した現地の様子をお持ちしました」
ラクエウス議員は鞄から大判封筒を出し、イーニー大使の前に置いた。
「駐在武官殿に魔獣の種類などを同定していただこうと思ったのですが……」
今日も、応接間に姿を現したのはイーニー大使一人だ。封筒から薄い報告書を取り出す手を止め、ラクエウス議員を見詰める。
今回の報告書は、持参する部分をラゾールニクが選んだ。
魔獣から身を守り得る同志たちがアーテル本土の各都市に【跳躍】し、大量に撮影した中から厳選して、A4十枚にまとめた。
この写真の大半は、魔獣の一部や、動きの速さについてゆけず、ブレて正体がわからないものだ。
二割くらいは全体が鮮明で、撮影者の腕が悪いワケではないと証明するのだと説明された。
魔獣の同定依頼名目で駐在武官と会う為だ。
「武官殿がお留守でしたら、近々もう一度お尋ねして、改めてお教えいただいてもよろしいですかな?」
「いつなら在庁とは……私では、お約束致し兼ねますが……」
「夜には戻られるのですよね? 電話の取次ぎをしていただけるのでしたら、何とかなると思います」
イーニー大使は困った顔で小さく息を吐いた。
「近頃、夜間も戻らない日が多いのです。恐らく、軍の指示なのでしょうが」
「ふむ。大使閣下……外務省にも言えない極秘任務なのですな?」
ラクエウス議員の一言で、イーニー大使の顔色が変わった。
どうやら、今のボヤきは、本当に口を滑らせたものらしい。
老いた亡命議員は、気付かぬフリで言う。
「では、ご伝言だけでもお願いできませんか? アーテル本土の現地情報は、軍も欲しておいででしょう」
鞄から朝刊を三部取り出し、封筒の脇へ置く。
星光新聞アーテル版だ。
日付はバラバラで、いずれも、ネモラリス政府軍にとって重要な情報が載る。
クラピーフニク議員が中心になって仕掛けた怪文書作戦の翌日、アーテル政府が衛星移動体通信の機器を入手した翌日、アーテル大統領予備選の実施を正式決定した翌日。それぞれの詳報と、ポデレス大統領への批判が展開された号だ。
「何せ、現地はインターネットが繋がらないせいで、新聞が品薄だそうです」
「そうでしょうね」
「物々交換もできないそうで、これだけしか買えなかったとのことです」
「いただいてよろしいのですか?」
イーニー大使が、一面トップを飾る怪文書の記事から目を上げ、ラクエウス議員の顔色を窺う。
「写しを取ったので、原本はもういいとのことです」
「貴重な情報を有難うございます。同志の方にもよろしくお伝え下さい」
大使は新聞を畳んで脇に退け、卓上に置いたタブレット端末をつついた。
「アーテルの通信途絶が始まった頃から、気になる動きをするアカウントに気付いたのですが、先生方の方で何か掴んでおられませんか?」
向けられた画面はSNS。
昨日、クラピーフニク議員に見せられたプラモデル制作のアカウントだ。
「この模型が……?」
「模型そのものは、バルバツム連邦で市販されるありふれた物だそうです」
「と、言うコトは、スメールチ国連大使が何か掴んだのですかな?」
老議員はどう切り出したものか、内心、途方に暮れつつあったところだ。渡りに船だが、素知らぬ風で食いついてみせた。
……流石、バルバツム連邦への赴任歴が長いだけのことはある。
「このアカウントは普段、ご覧のように戦車や戦闘機など、兵器の模型を組立てる作業写真を公開しております」
「ふむ。樹脂の塊が、着色ひとつでここまで本物そっくりになるとはな……」
技術力の高さに感心してみせる。
「それで、軍関連のニュース……例えば、どこそこの空軍が航空祭を実施したなどと言う、模型作りの参考になりそうな記事を度々拡散するのですが、その中にですね、時々異質なものを混ぜるのですよ」
「話が見えんのですが、どう異質なのですかな?」
……大使らの仕業で、こちらの同志に潰されぬようにとの牽制やも知れんが。
どの程度の情報を開示したものか、互いに計るような沈黙があった。
「アーテルの大統領選挙や、星の標が国際テロ組織であると明記された記事を拡散するのですよ」
「脈絡もなく……ですかな?」
イーニー大使が頷くと、噂話を聞きつけたかのようにポータルサイトから記事を拡散した。
その直前は〈ジオラマも作りたいけど、置くとこないしなー〉と言う他愛もないボヤきだ。
外交官の指が、記事のリンクをつつく。
大統領予備選、投票用紙のみに決定 アーテル共和国
ラクエウス議員は見出しに首を捻った。
「投票用紙以外で、選挙の何をどうすると言うのかね?」
「今回は電子投票を諦めた……と言う記事のようですね」
イーニー大使が本文の一部を拡大して見せる。
老議員の視線に合わせてスクロールさせ、コメント欄まで下りた。ほんの二時間ばかり前の配信記事に先日と似たようなコメントが多数ある。
外交官と老議員は顔を見合わせた。
☆アーテル側が通信途絶……「1218.通信網の破壊」~「1222.水底を流れる」「1223.繋がらない日」~「1225.ラジオの情報」「1260.配布する真実」~「1262.沈みゆく泥船」参照
☆駐在武官……「627.大使との面談」「628.獅子身中の虫」「823.明かさない国」参照
☆今日も、応接間に姿を現したのはイーニー大使一人……「1117.一対一の対話」「1118.攻めの守りで」参照
☆怪文書作戦……「1260.配布する真実」「1266.五里霧中の国」参照
☆アーテル政府が衛星移動体通信の機器を入手……「1267.伝わったこと」参照
☆アーテル大統領予備選の実施を正式決定……「1293.ずれた解決策」参照
☆クラピーフニク議員に見せられたプラモデル制作のアカウント……「1321.前後での変化」「1322.若者への浸透」参照
☆スメールチ国連大使/バルバツム連邦への赴任歴が長い……「1195.外交官の連携」「1196.大使らの働き」「1229.名もなき肯定」「1305.支援への礼状」参照




