1319.病み上がりに
兄たちに「仕事」を禁止され、薬師アウェッラーナは、イヤと言う程休まされたが、まだ外に出してもらえない。
そうこうする内に東方面の通行止めが解除され、ようやくミャータ市から巡回診療車が来たのは、十二月目前だった。
「ジョールチさんから、こちらに来られるとお伺いしました」
ミャータ市の呪医は、村長宅の客間で臥せるアウェッラーナの枕辺にも来た。
緑髪の呪医が提げるのは【飛翔する梟】学派の徽章だ。アウェッラーナは念の為、服の中に薬師の証【思考する梟】学派の徽章を隠したまま会釈した。
「あなたはもう、充分過ぎるくらい頑張って下さいました。道中の村や、ミャータ市では何もして下さらなくて結構です」
彼女が黙っていると、術と薬を併用する【飛翔する梟】学派の呪医は、一瞬、苦しげな表情を見せたが、すぐに微笑を繕った。
「私たちは、ネミュス解放軍の先導でここまで来ました。あなた方……移動放送局のトラックにも先導がつきます」
「どう言うことですか?」
呪医が苦い笑みで答える。
「ミャータ市近辺の集落は、間に合わなかった患者さんが多かったので……」
この村と近隣の村々は、薬師アウェッラーナと移動放送局プラエテルミッサの仲間たち、それに運び屋フィアールカが連れて来た施療院の医師の尽力で、死者を出さずに済んだ。
……もっと東の村は?
「村人たちは気が立っています。頭ではわかっていても、やり場のない怒りや悲しみは、どうにもできません」
ミャータ市の呪医は、アウェッラーナと同じ緑の目を伏せた。
「ウヌク・エルハイア将軍は、ネモラリス政府が行ったワクチン政策の不備が招いた事態であって、現場で治療に当たる医療者の責任ではないと宣言して下さいました」
……それって、反政府を煽ってるだけじゃないの?
今の状況では、遺族に詰られるだけで済む保証はない。
医療者の生命を守るには、怒りの矛先を逸らさねばならなかった。
先導と言えば聞こえはいいが、要は怒りと悲しみに駆られた村人から、医療者を守る護衛だろう。それはわからないでもないが、結果的にネミュス解放軍に与する者を増やすことになるのが、やりきれなかった。
「教えて下さってありがとうございます」
「あなたも、あまり無理しないで下さいね」
緑髪の呪医と入れ替わりに村長とアナウンサーのジョールチが入って来た。
「あぁ、そのまま」
「そのままで結構ですよ」
寝台に半身を起こしたアウェッラーナが座り直そうとすると、二人揃って止められた。
……まだ腫れ物扱いなのね。
「あの、私、もう大丈夫です」
「えぇ。先程、ミャータ市のお医者さんからお伺いしました。それで、一週間以内の出発を考えているのですが……身体慣らしを始めていただいても、よろしいですか?」
「もう大丈夫ですよ。早く動きたかったくらいです」
恐る恐る申し出たジョールチに明るい顔を向ける。二人は安堵したが、村長は綻ばせた顔を引き締め、直立不動の姿勢を取った。
「薬師さん。ここと近隣三ケ村、合わせて千人近い命をお救い下さり、誠に有難うございました」
アウェッラーナは言葉もなく村長を見て、ジョールチに視線を向けた。
「入院患者が出始めてから、みなさん、何となくお気付きだったそうですが、伏せたい事情があるのだろうと、気付かないフリをして下さったのです」
国営放送のアナウンサーは、ニュースを読み上げるような調子で言った。
「政府軍が呪医や薬師を徴発するとの噂は、私共も耳にしたことがございます。市民病院などでしたらまだしも、旅のお方は何かとアレでしょう。あなた様が薬師であることは、決して他言致しません」
「村長さん……」
声が震え、言葉が続かない。
「村の者にも、隣近所の村にも、固く口止め致しました。ご安心下さい」
住まいを失った薬師は、涙交じりにどうにか礼の言葉を絞り出した。
アウェッラーナ自身が思う以上に筋力が落ち、村長宅の庭を一周しただけで膝が笑う。十日程寝込んだだけで、ここまで衰えた自分に愕然とした。
……入院した患者さんって、退院後もこんなに大変だったのね。
それでも、ある程度身体を動かさなくては、ますます動けなくなってしまう。
庭を歩くのは一日一周に留め、日中はなるべく椅子に座って、これまでの報告書を読み返し、時々客間の中を歩いて三日過ごした。
「旅の暮らしは存じませんが、あまりご無理なさらないで下さいましね」
村長の妻が、お茶を淹れながらアウェッラーナを気遣う。
「旅って言っても、トラックに乗ってるだけですから、大変なのは運転手さんだけなんです」
「でも、乗り物酔いはしますでしょ? 私なんて、一回バスに乗っただけで懲りましたもの」
「それは大変ですね。私は揺れには慣れているので大丈夫ですよ。それに、酔い止めのお薬もありますし」
「あら、頼もしい。移動放送のみなさんがわざわざお越しになって、特別な放送をして下さっただけでも大変ありがたいことですのに。子供たちのお勉強、魔獣退治や治療までしていただいて、もうどんなにお礼を申し上げても足りませんわ」
「いえ、そんな……私たちの方こそ、ご厚意に甘えてすっかり長居して……」
「いえいえそんな……今も病み上がりの身体慣らしだなんて、男の方たちは畑のお手伝いをして下さって……」
村長の妻は窓に目を向けたが、村の外にある畑までは見えなかった。
☆兄たちに「仕事」を禁止……「1284.過労で寝込む」~「1286.接種状況報告」参照
☆運び屋フィアールカが連れて来た施療院の医師……「1285.朝の押し問答」参照
☆村人たちは気が立っています……「1090.行くなの理由」「1201.喜びと心配事」参照
☆ここと近隣三ケ村、合わせて千人近い命……「1246.伝わった流行」参照
☆入院患者が出始めて……「1251.感染者を隔離」「1252.病で知る親心」「1269.かつての不幸」参照
☆政府軍が呪医や薬師を徴発するとの噂……「732.地上での予定」「782.番宣ポスター」参照
☆特別な放送をして下さった……「1049.情報に飢える」「1210.村での生放送」~「1212.動揺を鎮める」参照
☆子供たちのお勉強……「1052.校長の頼み事」「1058.ワクチン不足」「1096.教育を変える」~「1098.みつけた目標」参照
☆魔獣退治……「1190.助太刀の準備」~「1194.祓魔の矢の力」参照
☆治療
怪我……「1059.負傷者の家へ」~「1062.取り返せる事」「1126.癒せない悩み」参照
病気……「1242.蓄えた備えで」~「1248.深まる不安感」「1251.感染者を隔離」「1252.病で知る親心」「1269.かつての不幸」~「1272.買物で助ける」参照




