1313.檻から出ても
自分で思った以上に疲れたらしい。昨日は宿の寝床に入るなり、寝てしまった。
スキーヌムはよく眠れなかったのか、まだ顔に疲れが残る。だが、宿の食堂で朝食を残さず食べた。多分、大丈夫だろう。
プートニクの素材屋に行くと、すっかり旅装を整えて待ち構えていた。
「おはようございます」
「よぉ。じゃ、早速行こう」
素材屋は、呪文入りのマントで大柄な身をすっぽり覆い、背負い袋を左肩に掛けて歩きだした。
アウェッラーナが薬師候補生からもらって、クルィーロが使ったマントよりずっと刺繍が多い。
多分、マントの下は【鎧】だろう。
……やっぱ、魔法戦士は魔力が強くないと勤まらないよなぁ。
クルィーロは話を振ってみた。
「呪符屋の店長さんとは、長い付き合いなんですか?」
「そうだな。かれこれ……二百何十年だったかな? 三百年は行ってないと思うんだが……細かいのは忘れたな。旧王国時代からだ」
「そんな大昔から……」
スキーヌムが絶句する。
「旧王国時代は、呪符屋のとっつぁんが呪符を納品に来てた。共和制になって、俺が素材屋始めたら、呪符の材料、買いに来てくれるようになったんだ」
「納品?」
レノが聞くと、素材屋プートニクは懐かしげに答えた。
「俺は騎士団で武器の出納官吏だったんだ。まぁ、魔獣が多い時は現場に出るけど、役所勤めはどうにも肌に合わなくてな。共和制になってすぐ辞めたんだ」
スキーヌムが驚いた顔でプートニクを見上げる。
「俺がランテルナ島に渡るのは初めてなんだ。案内よろしくな」
「は、はい!」
気安く肩を叩かれたが、スキーヌムはガチガチに緊張して声を裏返らせた。
レノが聞く。
「しばらくはアーテルで魔獣狩りですよね? 宿とかどうするんですか?」
「島にいい宿あったら教えてくんねぇか? 仲介料出すぞ」
「う~ん、俺たち日帰りが多いんで、宿はあんまり……スキーヌム君の方が詳しいんじゃないか?」
「えっ? い、いえ、すみません。僕は……一箇所しか知りません」
スキーヌムの顔から血の気が引く。
「野宿よりマシなら何でもいいんだが、そこは野宿より酷ぇのか?」
プートニクの声がからかいを含む。見ると、顔も半笑いだが、俯いたスキーヌムは気付かないのか、歩調が鈍る。
「……僕が去年から宿泊中の所です。店長さんに教えていただきました」
「俺が同じとこ泊まったら、何かマズいコトでもあんのか?」
「い、いえ、そんな……今日、急に行っても空きがあるかわからないので……」
「何も今すぐ完璧な答えを寄越せなんざ言ってねぇ。もうちょい気楽にやれよ」
半笑いで言われたが、スキーヌムはますます萎縮してしまった。
クルィーロは、どうしたものかとレノを見たが、幼馴染は小さく肩を竦めて首を振った。
……神学校って、何か間違えたら怒られるとこだったのか?
完璧を求められ、それに応えようと一瞬も気を抜けないのでは、さぞかし窮屈な暮らしだったに違いない。
ロークの手引きで実家と神学校を捨てて、もうすぐ一年になるが、まだ元神学生スキーヌムの心は檻から逃れられないらしい。
……自由の身なんだから、好きに生きればいいのに。
小説家としての活動でアーテルを変えたいなら、運び屋フィアールカに手数料を払って、ラニスタ共和国に引越してもいいだろう。
契約した出版社の支社があるなら、会社に頼めば住む所を紹介してくれる筈だ。売れっ子作家を蔑ろにするとは思えない。
運び屋フィアールカの本業は「アーテル本土で産まれた力ある民を魔法文明圏に逃がす」事業だ。亡命先で生きてゆけるよう、魔法の勉強や仕事の斡旋など、神官だった頃の人脈を活用した伝手が色々あるらしい。
……生き方は、ひとつじゃないのにな。
だが、心がまだ檻の中なら、よく知らない他人のクルィーロが何を言っても、スキーヌムには届かないだろう。
アルバイトで宿屋暮らし。
不安定な身の上で、先々の不安がある中で無数の可能性を教えれば、却って苦しめてしまうかもしれない。多種多様で、その道の先にどんな幸せと危険が待ち受けるか見通せない。
選択の判断材料が乏しい「無限の可能性」は、方位記号のない漠然とした地図のようなものだ。見れば、迷子になる可能性を増やすだろう。今のスキーヌムにとって、希望ではなく、不安を増すだけの危険物でしかない。
……それに、力ある民ったって、まだ魔力の制御方法を練習する気になれないんなら、魔法使いとして生きる道ってナシだよな。
リストヴァー自治区出身のアミエーラは、力ある民であることを受け容れ、魔力の制御方法を学び始めた。
報告書によると、針子の経験を活かし、クロエーニィエ店長のような魔法の縫製職人を目指して【編む葦切】学派を修めるか、大伯母カリンドゥラのような呪歌の歌い手を目指して【歌う鷦鷯】学派を修めるか思案中らしい。
アミエーラの悩みは、スキーヌムの何歩も先にある。
魔法使いになるか、ならないか。
なるなら、専門的な学派を学ぶか、クルィーロのように【霊性の鳩】学派で日常の用を為すだけでよしとするか。
魔法使いにならないなら、既に小説家として働いて収入は充分だろう。
出版社との仕事が、インターネット経由の遣り取りだけでできるなら、住む所はアーテルやラニスタに限らない。
キルクルス教の信仰からどうしても離れられないなら、思い切って大聖堂のあるバンクシア共和国や、両輪の国でも比較的キルクルス教徒が多いルニフェラ共和国などに引越してもいいだろう。
……まぁ、何するにしても、まずはスキーヌム君が、自分の魔力と折り合いを付けるとこからだよな。
アミエーラのように「キルクルス教徒だが、力ある民だとわかった」苦悩を乗り越えられた者と話す機会でもあればいいが、クルィーロにはどうすればいいかわからなかった。
※ 武器の出納官吏……現実の出納官吏は、簡単に言うと「現金の入出金や保管を担当する役人」です。
この話の魔法文明圏では、物々交換で経済を動かす国が多いので、物品の種類別で出納官吏が居ます。攻撃用の呪符は危険な上に高価。プートニクが強いのは、つまりそう言うことです。
☆僕が去年から宿泊中の所……「844.地下街の年越」「845.思い出の手袋」参照
☆ロークの手引きで実家と神学校を捨てて、もうすぐ一年……「841.あの島に渡る」~「847.引受けた依頼」参照
☆契約した出版社の支社がある……「1312.こっそり通信」参照
☆アミエーラは、自分が力ある民であることを受け容れ、魔力の制御方法を学び始めた……「871.魔法の修行中」「872.流れを感じる」参照
☆アミエーラのように「キルクルス教徒だが、力ある民だとわかった」苦悩を乗り越えられた者……「592.これからの事」参照




