1308.水のはらから
参拝者の行列が進み、いよいよ神殿の入口が近付く。
……いきなりじゃヤベーよな。
ロークの報告書で読んだスキーヌムの過去が脳裡を過る。
クルィーロはレノと視線を交わした。
レノも同じ思いなのか、スキーヌムの頭越しに緊張した顔で小さく顎を引く。はぐれないよう、元神学生の少年と繋いだ手に力が籠もるのがわかった。
「スキーヌム君、もうすぐ神殿の入口だよ」
「は、はい」
物思いに耽る少年が顔を上げ、レノを見る。
「入口には台座があって……【魔力の水晶】が山盛りになってるんだ」
少年が息を呑む。
レノは繋いだ手を離し、スキーヌムの肩を抱いた。
「大丈夫?」
「は、はい」
その短い返事さえ震える。
「呪符屋さんで毎日、お会計の時に受け渡し……してるよね?」
レノが聞くと、スキーヌムは小さく頷いた。
列は少しずつ進む。
クルィーロはスキーヌムの顔色を見ながら説明する。
「力ある民は台座から一粒取って、手に握って魔力を籠めて奥の祭壇に捧げる」
「力なき民の方は……」
「新品を入口で寄付するか、誰かに魔力を籠めてもらって、祭壇に捧げるんだ」
「王都は全体が魔法陣で、水路を通ったり、神殿の敷地に居るだけでも少しずつ青琩に魔力が注がれるから、無理そうだったらそんな頑張って持たなくていいんだけど……」
レノが、周囲に不審がられないよう、スキーヌムを「魔力に自信がない子」扱いで説明する。
「お気遣いありがとうございます。僕は……もう逃げません」
「そんな、逃げるとかそう言うんじゃなくて」
クルィーロは半歩後ろに移動して囁いた。
「大丈夫です」
答えた声は震えるが、顔を上げて前を見る。
レノが、戸惑った目をクルィーロに向けた。
魔法使いのクルィーロは、ひとつ息を吸って腹に力を入れ、努めて何でもないように言った。
「辛かったら無理しなくていい。
我ら すべて ひとしい 水の同胞。水の縁が幸いと結びつきますように。
パニセア・ユニ・フローラ様は、ラキュス湖の畔に住むこの世の生き物を誰も除け者になんてしない」
「……キルクルス教徒もですか?」
「この世の生き物はみんな、水なしじゃ生きてゆけない。その人の信仰が何だろうと女神様はそんな細かいコト気にしないよ」
「だって女神様が青琩になった時は、フラクシヌス教もキルクルス教もなかったんだから、信仰なんて知ったこっちゃないよ」
レノが付け足した一言で、スキーヌムは目から鱗が落ちたと言いたげな顔で、両側の二人を交互に見上げた。
「本当に何者でも受け容れて下さるのですね?」
「どこの誰でも、魔力があろうがなかろうが、信仰が何でもそんなの関係ない」
レノが力強く応える。
スキーヌムの顔が明るくなった。
「僕……大丈夫です」
「よし! じゃ、一緒に行こう」
クルィーロはスキーヌムの背を軽く叩いて促した。
幅広の石段を数段上がると、参拝客の隙間から石の台座が見えた。
広い入口の数カ所に設けられ、それぞれに人集りができる。
人々は台座に据えられた大きな石皿に一礼し、山積みになった【魔力の水晶】を一粒取って奥へ向かう。参拝客は圧倒的に力ある民が多く、【水晶】を台座に奉納する力なき民の手は少なかった。
クルィーロたちの番が近付く。
スキーヌムの表情が消え、台座へ向かう足が鈍くなる。
「無理して頑張らなくていいからね」
レノが囁き、少年の細い肩に手を置いた。その手をするりと抜け、大きな一歩で台座の前に出た。
石皿の下は、一回り大きな受け皿で、上から転がった【水晶】を受け止める。
スキーヌムは下の皿に手を伸ばした。
「坊や、お参りは初めて?」
「は、はい」
傍らのおばさんに声を掛けられ、スキーヌムの手が止まる。
「上から取るのよ。下のは、後で係の人が欠けてないか見て戻すからね」
「は、はい。ありがとうございます」
おばさんはひとつ取って、さっさと白い柱が並ぶ奥へ向かった。
台座の石皿は、スキーヌムの目の高さにある。
石皿に盛られた【魔力の水晶】は、大きい物でも空豆くらいの大きさだ。
小学生くらいの男の子が、父親らしき男性に抱きあげられて、大豆くらいの大きさの一粒を掴む。
力ある民の参拝客は、大人も子供も、自分の手でひとつずつ持ってゆく。
クルィーロは、スキーヌムの隣に立ってひとつ取った。空っぽだった【水晶】が魔力を宿して淡く輝く。
「下の奴は落ちた時に欠けちゃったかもしれないから、上のを取るんだ」
「はい」
スキーヌムは、クルィーロの説明に頷いて、石皿に手を伸ばした。
「あッ!」
震える指が触れ、数粒が落ちた。
レノが宙で掴み、そっと下の皿に置く。
「す、すみません」
「大丈夫大丈夫。受け皿あるし、気楽にやろう」
スキーヌムは引っ込めた右手を左手で支え、今度は大豆くらいの【水晶】を上手く取れた。
掌で握り込んで、大きく息を吐く。
「じゃ、行こっか」
クルィーロは極力軽く言って、スキーヌムの背をそっと押した。
元神学生が淡い笑顔を返して歩きだす。
樹木やひとつの花などの浮き彫りが施された柱の間を通り、神殿内に足を踏み入れた。
幅の広い通路が往路と復路に区切られ、神官や警備員らの誘導があちこちから聞こえる。
祈りの詞より同行者との他愛ないお喋りの方が多く、賑やかだ。
前を行く人々の表情は見えないが、帰る人々はみんな晴れ晴れと明るい。
スキーヌムが物珍しげに見回し、壁の浮き彫りに目を留める。
「神話の場面だよ」
「しんわ……」
「古い時代のコトは口伝えだから、地方によって伝承がちょっとずつ違うんだ」
「えっ?」
「俺も、地元のしか知らなかったんだけど、クレーヴェルの人に教えてもらってびっくりしたよ」
元キルクルス教の神学生は、レノの話に言葉も出ないらしい。
「だから、神殿によってこの彫刻が微妙に違ってて、そう言う違いを楽しむ為にあちこちの神殿を巡礼する人も居るんだってさ」
……ヒマなお金持ち限定だけどな。
クルィーロは内心こっそり付け加えた。
☆いきなりじゃヤベーよな/ロークの報告書で読んだスキーヌムの過去……「810.魔女を焼く炎」「811.教団と星の標」参照
☆クレーヴェルの人に教えてもらって……「671.読み聞かせる」「672.南の国の古語」参照




