1305.支援への礼状
ファーキルは、クラウドファンディングの画面を言葉もなく見詰めた。
……ホントにこんな……寄付が来るなんて。
ネモラリス共和国向けの麻疹ワクチン購入費用を募るものだ。
駐ルニフェラ共和国大使ザミルザーニィが、王都ラクリマリスのクリューチ神官に名義を借りて作成した。
湖南語と共通語で書かれた文章は、区切りの部分で写真が挟まり、酷い状況を視覚に訴える。
空襲を受けて焦土と化したネーニア島東部と西部の都市、復旧工事の様子、校舎の瓦礫が残る校庭で授業を受ける子供たち、半壊した病院、麻疹患者の肌など、改めて見ると目を覆いたくなる惨状ばかりだ。
追記部分では、ワクチン接種第一陣の実行を報告する。
証拠として、大量に並んだワクチンの箱とトポリ港やギアツィント港での荷降ろしの写真が添えてあった。
末尾で締め括る感謝の言葉は、フラクシヌス教団のクリューチ神官、ネモラリス共和国のスメールチ国連大使だ。
湖上に雲立ち雨注ぎ、大地を潤す。
木々は緑に麦実り、地を巡る河は湖へと還る。
すべて ひとしい ひとつの水よ。
身の内に水抱く者みな、日の輪の下にすべて ひとしい 水の同胞。
水の命、水の加護、水が結ぶ全ての縁。
我らすべて ひとしい ひとつの水の子。
水の縁巡り、守り給え、幸い給え。
みなさまの真心の籠ったご支援によって、無辜の民がこれ以上、病で命を奪われずに済みます。
どこの国の子でも、魔法使いの子であっても、子供は子供です。
幼い彼らが、この魔哮砲戦争にどんな責任があると言うのでしょう。
罪のない人々がせめて病で苦しむことなきよう、ご支援賜りました皆様にラキュス湖と同じ深さの感謝を捧げます。
我ら すべて ひとしい 水の同胞。
水の縁が幸いと結びつきますように。
◆
ワクチン接種に関しまして、篤いご支援を賜り、誠にありがとうございます。
アーテル共和国による一方的な宣戦布告と空襲によって、我が国は突然、平和を破られ、戦争状態に陥りました。
市街地への無差別爆撃によって医療体制が大きく損なわれ、平和な時であればどうと言うことのない病気で、弱い人々が命を奪われております。
アーテル軍は、市街地への大規模爆撃で無差別大量虐殺を行っただけでなく、医療を奪うことによって、今もなお、ネモラリス国民を苦しめ続け、死に追いやっているのです。
幼子、妊婦、障碍や基礎疾患を持つ方、お年寄り――爆撃でも、疫病でも、まず最初に命を奪われるのは、こうした弱い人々なのです。
それは、魔法使いが多く居住する我が国であっても、変わりありません。
直接の寄付だけでなく、このページの拡散など、このことに理解を示し、実際の行動に移して下さった多くの方々に深く感謝致しております。
アーテル共和国は、半世紀の内乱終結時にラキュス・ラクリマリス共和国より分離・独立して以来、我が国とは国交がございません。また、宣戦布告後は国連を脱退してしまいました。
しかし、私共は、引き続き国際社会と協調し、平和を訴えて参ります。
平和とは「ただ何となく戦争がない状態」ではございません。
また、当事者の一方のみの努力によって成るものでもありません。
早期に平和な日々を迎えられますよう、一層の努力に努めて参ります。
引き続き、温かなご支援を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
スメールチ国連大使は、アーテル共和国がネモラリス共和国に対して一方的な攻撃を行い、弱者を虐殺した上、平和の為の話し合いにも応じないと印象付けたいのだろう。
……まぁ、実際そうだしなぁ。
ラキュス湖周辺地域で国教をキルクルス教と定めた国は、アーテル、ラニスタ、ディケアの三カ国のみだ。三カ国ともインターネットが普及し、これまではアーテル共和国にとって有利な情報を一方的に世界中へ垂れ流してきた。
キルクルス教徒が暮らす国は、湖東地方に多いが、ネモラリス共和国との接点は少ない。
この情報が拡散すれば、少しはネモラリス共和国に対する風当たりが弱まるかもしれなかった。
……麻疹の件は大丈夫そうなカンジだけど、問題はこっちなんだよな。
ファーキルはクラウドファンディングのページを閉じ、ボランティア団体のページを開いた。
貧困家庭の子供たちを支援する「みんなの食堂」、一人親家庭の育児を支援する「大樹の枝」、夏の都に本部を置くパニセア・ユニ・フローラ信徒会「ラキュスの岸辺」だ。
いずれも、魔哮砲戦争開戦のずっと以前からアミトスチグマ王国で活動する団体だが、ネモラリス難民の流入によって支援対象が急増した為、苦境に陥った。
……外国人だからって切り捨てないで、助けてくれようとしてくれたから、大変なんだよな。
アサコール党首らネモラリス亡命議員から状況を聞き、ファーキルは何とも苦いものが胸に澱んだ。
決して、ボランティア団体やアミトスチグマ政府が悪いワケではない。
……何で、戦争に直接関係ないやさしい人たちが、こんな苦しい思いしなきゃいけないんだ?
理不尽さと共に昨日、夕飯後に行われた会議を思い返す。
「パテンス市の信徒会の方々は、何もおっしゃいませんでしたので、失念しておりました。アミトスチグマの皆様のご厚意にすっかり甘えてしまいまして、恐れ入ります」
両輪の軸党のモルコーヴ議員が項垂れる。
アサコール党首は、苦い顔に無理やり微笑を作って報告した。
「まずは、支援対象の把握と言うコトで、ジュバーメン議員とパテンス市議の有志の方々が、調査に乗り出して下さいました」
難民キャンプに身を寄せず、親戚や友人知人を頼ってアミトスチグマ王国の市街地で暮らす人々の基礎情報を収集するだけでも数か月を要する。
どこにどの程度の人数が居て、年齢、性別、魔力の有無、出身地、家族構成などの属性、経済や健康の状態、住居と就労・就学の状況、ネモラリス共和国への帰還の意思、アミトスチグマ王国への定住の意向、必要な支援の種類や程度など、多岐に亘る項目を集計するのも大変な作業だ。
多くのネモラリス人は、インターネットに触れたことがない。
必要な質問事項を絞り込み、調査票を紙に印刷して、配布しなければ、統計情報として充分な回答は得られないだろう。
アンケート調査の実施を周知するだけでも、かなりの日数と予算を必要とする。
「全員から回答を得るのは不可能ですが、まずは避難者の概要を把握する所から始めたいと思っております」
支援者のマリャーナは、アサコール党首の説明に苦い顔を向け、タブレット端末に視線を落とした。
☆クラウドファンディング/ネモラリス共和国向けの麻疹ワクチン購入費用を募る……「1267.伝わったこと」参照
☆王都ラクリマリスのクリューチ神官に名義を借りて作成……「1265.お役所の障壁」「1267.伝わったこと」参照
☆国連を脱退……「0078.ラジオの報道」「0168.図書館で勉強」「249.動かない国連」「259.古新聞の情報」「326.生贄の慰霊祭」「363.敵国の背後に」「364.国際政治の話」「687.都の疑心暗鬼」「750.魔装兵の休日」「803.行方不明事件」参照
☆ネモラリス共和国との接点は少ない……ディケア「728.空港での決心」、その他の国「249.動かない国連」参照
☆みんなの食堂/大樹の枝/ラキュスの岸辺……「1282.支援の報告会」「1283.網から漏れる」参照




