1296.虚実織り交ぜ
住宅街の小さな教会でも、戦争の先行きや魔獣に不安を感じる人々が、昼の礼拝に足を運ぶ。
準備で礼拝堂に出た年配の司祭は、信徒が次々と通る大扉に視線を向けた。
ロークは埋まり始めた会衆席に届くよう、声を大にして追い打ちを掛ける。
「ルフス光跡教会で、大聖堂から来た司祭様が、魔法には“悪しき業”とそうじゃないのがあって、いい魔法は、みんなが忘れないように教会の建物や、聖者様の衣に呪文を書いて、聖歌も呪文を共通語訳したものだって言ってました」
「それと、聖典には“魔法使いをみんな火炙りにしなさい”なんて一行も書いてないから、星の標は異端者だって言ってました」
クラウストラが元気いっぱい無邪気な声で付け足す。
場の空気が凍りついた。
司祭が息を呑んで固まった。気を取り直すより先に会衆席から声が飛ぶ。
「滅多な事を言うもんじゃない」
「えぇーッ? だって、ルフス光跡教会でレフレクシオ司祭様がおっしゃってたのに?」
クラウストラが不機嫌な声を上げ、老人に向き直る。彼女の隣に並び、ロークも言った。
「礼拝中に大聖堂の司祭様を刺したの、ニュースじゃ頭の病気になった神学生ってコトになってますけど、ホントは星の標じゃないかな、なんて思うんです」
「どうしてそう思うの?」
読み聞かせボランティアの一人がよく通る声で聞くと、礼拝堂内のざわめきが静まった。
ロークは、半分埋まった礼拝堂内の視線を一身に浴びて続ける。
「大聖堂から派遣されたレフレクシオ司祭様は、バンクシア共和国とバルバツム連邦が、星の標を国際テロ組織に指定したっておっしゃってたんです。そう言う都合悪いハナシをアーテルやラニスタでバラされて困ったから、下っ端を礼拝に送り込んだのかなって」
会衆席で幾つかの頭が縦に動いたが、大半は困惑の表情を向けるだけだ。
隣と囁き交わし、再び礼拝堂にざわめきが反響する。
住宅街で五十人足らずを相手にプロパガンダを展開して、どの程度広められるか不明だが、インターネットが繋がらない今は好機だ。
……平日昼間に来るのって学校も仕事も休みの人たちばっかりだし、あんまり広まらないだろうけど。
再開後に広めるだろうとの期待を籠めて、年配の司祭に顔を向けた。
突然の暴露に戸惑う司祭が、今度は何を言われるかと背筋を伸ばす。
「俺も、大聖堂の司祭様のお話、マジかって思って聖典を最初のページから順番に全部読み返したんです」
ページを捲る音があちこちから聞こえる。
司祭の目が、説教壇に置いた聖職者用の分厚い聖典に向いたが、すぐロークに戻った。言い繕う言葉でも探すのか、視線を宙に泳がせる。
「昨日、読み終わったとこなんですけど、ホントに大聖堂の司祭様のお話の通りで、俺たちが持ってるフツーの聖典には、魔法使いを皆殺しにしろなんて一行も書いてませんでした」
「そこの君、その話は本当なのか?」
「いい加減なコトを言うんじゃない」
会衆席を立ち、年配の男性たちが説教壇の前に出て来た。
司祭は何も言えず、八割方埋まりつつある礼拝堂に視線を彷徨わせる。
……ボンクラ司祭でよかった。
後で入れ知恵されて、上手い言い訳で揉み消されないよう、ダメ押しする。
「何も考えないで単に聖典を読んだだけだったら、気付かないとこでしたよ。嘘だと思うんなら、魔術は全部“悪しき業”で、魔法使いはみんな悪人だから根絶やしにしなさい的なコト、書いてあるのかって気を付けて、全部読んでみればいいんですよ」
「今は見らンないけど、ルフス光跡教会の公式サイトとか、大司教様や他の司祭様たちの礼拝は、動画が載ってたのに、レフレクシオ司祭様のだけ一個もなかったのよね」
「それで俺たち、お小遣い貯めて夏休みに行ったんですけど、マジ、スゴイ人でしたよ」
疑念と羨望の入り混じる目が二人に注がれる。
「聖典全部読み返して、ちゃんとした信仰ってこう言うコトだったのかって、知の灯が一個増えた気がしました」
ロークが付け加えると、信徒の視線がステンドグラスの前で微笑む聖者像に注がれた。
「いい魔法は教会も使ってるって言うのは、魔法がわかんないから、どれがそうかわかんなかったんですけど」
クラウストラの声で、後から来た信徒がギョっとする。
先客たちは、礼拝堂の壁に巡らされた装飾を見回した。
「魔獣の駆除屋さんに聞いたらわかるかな?」
「あのおじさんたち、今スゲー忙しいのに退治の邪魔しちゃダメだよ」
ロークが窘めると、クラウストラは唇を尖らせた。
「えぇーッ? だって、ランテルナ島の魔法使いの人がこっち居ンのって、今しかないのに?」
「危ないってば。駆除屋さんが居るってコトは、近くに化け物が居るってコトなんだぞ?」
更に止めると、最前列の席から老婆も加勢した。
「そうそう、危ないわ。警察は何もしてくれないし、役所も外出禁止令を出してくれないから、息子は仕事に行ってしまったけど、まともな会社なら、魔獣が片付くまで休みにしますからね」
「教会に来るのはよくて、会社はダメなんですか?」
クラウストラが無邪気な疑問を返す。
「昔から、魔物が出たら教会へ逃げるように言われてるのよ。おウチの人から聞かなかった?」
「初めて聞きましたー。どうしてです?」
老婆は遠い目で言う。
「私の若い頃は、聖者様の“善き業”や“正しき業”のお力で守られるって教わったけどね」
……そろそろ潮時だな。
ロークはタブレット端末をチラ見して叫んだ。
「あ、もうこんな時間! 遅れる!」
「えッ? ヤバッ!」
クラウストラの手を引き、振り返らずに教会から駆け出した。
☆大司教様や他の司祭様たちの礼拝は、動画が載ってた……例:追悼礼拝の動画「1213.確認に費やす」、非公式動画「1069.双頭狼の噂話」「1099.その罪の行方」、本人が載せようとしたが無理だった「1110.証拠を託す者」参照
☆昔から、魔物が出たら教会へ逃げるように言われてる……「432.人集めの仕組」「1069.双頭狼の噂話」参照




