1295.住宅街で聞く
「こんにちは。随分、長くお祈りされていましたが、何か深いお悩みでも?」
いつの間に来たのか、数歩離れた所で年配の司祭が微笑む。
「司祭様、こんにちは。友達が爆弾テロに巻き込まれて何人も入院して……」
「それはそれは、お気の毒に。幸いへ至る道は遠くとも、日輪が明るく照らし、道を外れぬ者を厄より守る。道がひととき闇にあろうとも、月と星々の導きを見失わずば、夜明けに至る」
司祭が胸の前で聖なる星の道の楕円を描く。
母親たちは、お喋りをやめてこちらを見た。
「それで、早く平和になりますようにって、お祈りしてたんですけど、どうすれば平和になるんですか?」
「難しい質問ですね」
司祭は困った顔に微笑を絶やさず、半ば白くなった眉を下げた。
「こんな時、聖者様ならどうされると思います?」
クラウストラがロークの隣に並び、無邪気な少女を装う。
「戦争は、相手がありますからね。双方に平和を望む強い意志がなければ、大変難しくなります」
「えぇ~? こんな大変なのに、まだするんですか?」
「ポデレス大統領が、ネモラリスの国家元首に対話を呼掛けましたが、無視されました」
……国交がないのにどうやって呼掛けるんだ?
ロークは疑問を呑み込み、アーテル人の少年のフリで確認する。
「俺たちの大統領は戦争したくないんですね?」
「えぇ。しかし、その後、あちこちで爆発が始まりました……これが、ネモラリスの答えなのでしょう」
司祭が目を伏せる。
ロークの視界の端で、数人の母親と読み聞かせボランティアが小さく頷いた。
「でも、最初に宣戦布告してネーニア島の街を焼いたのって、アーテル軍ですよね? どうして戦争を始めたんですか?」
「学校で、半世紀の内乱は大変だったから、平和が一番大事って習ったのに」
ロークが聞き返し、クラウストラが落ち込んで見せると、ボランティアが頷いて司祭を見た。
「ネモラリス共和国が、自国内のキルクルス教徒を狭い自治区に押し込んで酷い人権侵害を行ったからですよ」
司祭はロークの質問に澱みなく答えを返した。
クラウストラが可愛らしくアホの子を演じる。
「えっと、そこがまず、ハナシが繋がらないって言うかぁ、意味わかんないんですけど?」
「難しいですか?」
黒髪の少女が頷き、ロークが答える。
「だって、ランテルナ島の魔法使いとあっちの自治区の人を交換したら、誰も損しないし」
「とても素敵な案ですが、これも、相手があることですからね」
「でも、魔法使いの街を焼いたら、腹癒せで自治区の人たちがもっと酷いコトされるんじゃないかなって思うんですけど?」
これにも、視界の端で頷きが見えた。
「それがなかなか難しいのですよ。向こうが聞く耳を持ってくれなければ、引越せませんからね」
「聞く耳持たないのって自治区の人がですか?」
クラウストラが信じられないと言いたげに目を見開く。
「向こうの政府の人たちですよ。話し合いの窓口すら設けてくれないのですよ」
「司祭様すごーい。お付き合いのない外国のことまでよくご存知なんですね」
クラウストラが瞳を輝かせて、年配の司祭に無邪気を装って指摘する。
司祭は苦笑を返した。
「流石に私も外交のことまではわかりません。開戦直後の演説で、ポデレス大統領が大変悲しんでおられたのを聞いただけです」
「そうなんですかー。でも、私、あんまりニュースとか見ないから知りませんでした」
黒髪の少女は笑顔で司祭を持ち上げる。
「でも、それって魔法使いの街を燃やしたら解決するんですか?」
小学校高学年くらいの女の子が声を上げた。
礼拝堂に居る子の中では、最も年嵩で利発そうな子だ。大地の色の瞳に疑問と疑念を宿して司祭を見上げる。母親たちとボランティアが固唾を飲んで見守り、幼い子供たちもお喋りをやめた。
女の子の顔に緊張と後悔がじわりと滲む。
「どっか、両方の国と仲良くしてる国の人に伝言してもらったらよかったんじゃないかなって」
「なかなか実現が難しい案ですね」
ロークが言うと視線が移り、司祭は困った顔で口許に笑いの形を作った。
「ラキュス湖周辺で我が国ときちんと外交関係を結ぶ……仲がいい国はとても少なく、お隣のラニスタだけなのです」
「えっ? ひとつだけ?」
「ディケアとか、どうなんですか?」
女の子が驚き、ロークも意外に思って聞いた。
「ディケアは、ほんの数年前に内戦が終わって、国交を再開したばかりですからね。これから共に信頼関係を築いてゆくところなのですよ」
「社会の先生が、ディケアはキルクルス教の国になったって言ってたし、すぐですよね?」
「しっかり勉強しているのですね。これからも、知の灯を見失わずに頑張るのですよ」
司祭が褒めて誤魔化す。ロークは無邪気に喜んでみせながら、アーテル共和国の外交関係を調べ直す必要性を感じた。
……こんな小さい教会の司祭が一人、言ってるだけだけど、なんか引っ掛かるんだよな。
後でクラウストラに頼むことにして、話題を変える。
「司祭様って、大聖堂から来た司祭様の礼拝って行ったコトありますか?」
「残念ながら、まだその機会には恵まれておりません。幸い、退院はなさったそうですが……」
心なしか、司祭の表情が硬くなる。
「俺、夏休みに一回だけ参列できたんです」
「よかったですねぇ」
「暑かったでしょ?」
「で、どうでした?」
読み聞かせボランティアたちが、絵本の片付けを終えて話の輪に加わる。
「スゴかったです。暑さも人出もお話も、何もかも全部」
ボランティアだけでなく、母親たちと小学生の女の子も、ロークに期待の眼差しを向けた。
「大聖堂から来た司祭様は、昔の人がどんな伝道活動したか、歴史の話をして、ラキュス湖は封印の地に近いから、他所よりもっと気を付けて、ちゃんとした信仰を守らなきゃいけないって言ってました」
「ちゃんとした信仰って?」
女の子が司祭とロークに視線を往復させる。
ロークは、司祭が口を開くより先に言った。
「大聖堂の司祭様は、魔術は全部が悪しき業じゃなくて、教会も使ってるって言ってました」
信徒たちの目が司祭に集まった。
☆ポデレス大統領が、ネモラリスの国家元首に話し合いの呼掛けをしましたが、無視……「1214.偽のニュース」参照
☆国交がない……「0118.ひとりぼっち」「0162.アーテルの子」参照
☆ポデレス大統領が、ネモラリスの国家元首に対話を呼掛けましたが、無視……「1214.偽のニュース」参照
☆その後、あちこちで爆発が始まりました……「1219.白色の闇作戦」~「1225.ラジオの情報」参照
☆ディケアは、ほんの数年前に内戦が終わって、国交を再開したばかり……「721.リャビーナ市」「727.ディケアの港」「728.空港での決心」「1087.成行きの果て」参照
☆大聖堂から来た司祭様……「1013.噴き出す不満」「1024.ロークの情報」参照
☆大聖堂から来た司祭様の礼拝……「1071.ルフスの礼拝」~「1073.立ち止まろう」参照
☆退院はなさったそうです
入院……「1075.犠牲者と戦う」「1103.ルフス再調査」参照
入院中……「1108.深夜の訪問者」~「1110.証拠を託す者」「1122.光を乞う祈り」参照
退院……「1213.確認に費やす」「1237.聖歌アイドル」「1255.被害者を考察」「1256.必要な嘘情報」参照
▼ラキュス湖周辺の信仰分布図




