1294.フツーに仕事
ロークが思った以上に、オフィス街の人々は落ち着いてそれぞれの仕事をするようだ。
「この後、どうする?」
斜め後ろの会社員たちが会計に立つと、クラウストラに聞かれた。
「教会に行ってお祈りしようかなって」
「まっじめー! 何をお祈りするの?」
「早く平和になりますようにって」
ロークが聞えよがしに言うと、クラウストラはタブレット端末でダウンロード済みの地図を開いた。慣れた手つきで、現在地のカフェから最寄りの教会までの経路を調べる。
つい先程、魔獣駆除が行われたばかりの区画だ。
カフェの前で信号待ちしながら、何気ない風を装って話す。
「さっきのアレ、ついでに見に行かない?」
「まだ立入禁止かもしれないよ?」
「でも、ほら、あの人もう居ないし」
クラウストラが、先程まで魔獣駆除業者が居た場所を指差す。区画の奥へ続く道からは、通行止めの看板もなくなった。
連れ立って横断歩道を渡る。途中、現場付近のビルにも灯が見え、社員たちが出勤して仕事中らしいのがわかった。
……何で避難させないんだ?
「あの……さっき、この辺って警察の人、居ました?」
「居なかったよ。業者さんがあの人も入れて五人だけ。どうしたの?」
渡りきったところで立ち止まる。
道行く者は、オフィス街に不釣り合いな「休日の高校生」に扮したロークとクラウストラだけだ。
ロークは信号の正面にあるビルを指差した。
「この会社の人とか、フツーに仕事してるっぽいんですけど」
菓子卸業者の看板を掲げるビルは、一階の店舗部分こそシャッターを降ろしてあるが、二階より上は時折、窓辺に人影が過る。
「この裏で、ついさっき……」
「そうよ」
「何で避難しないのかなって」
「わかんない」
クラウストラが、外見に合わせた元気な声で即答し、菓子卸商の裏手へ向かう。ロークは一車線幅の一方通行路を小走りして追い付いた。
似たようなビルに囲まれた四つ辻には、何の痕跡もなかった。
見落としがないか、改めて見回す。
トイレらしき小窓で換気扇が回る。魔獣が暴れたとは思えないくらいキレイだ。ビルの隙間にも雑妖が一匹も視えなかった。
「……何も……ない……?」
「取るモノ取ったら、焼いて消し炭にして【無尽袋】に詰めてったからね」
「えっ、あ、あぁ、そうなんですか」
魔獣の消し炭は呪符の対価や素材として、ロークがアルバイトする呪符屋でもよく扱う品だ。
「そこの車くらいの大きさだったよ」
クラウストラが少し先の小さな駐車場を指差した。停まるのは社名入りのワゴン車一台きりだ。
「えっ? あれで小型なんですか?」
「地蟲ってすぐ大きくなるから、おうちくらいあるのがフツーって言うか、それより小さいのって、こっち来てすぐのしか居ないよ」
口調こそ外見通り可愛らしいが、内容の恐ろしさにそぐわず、不気味さが増す。
……隊長さん、そんなのと拳銃一丁で戦ったって?
かなり前の報告書を思い出し、身震いする。
「ここはもう何もないし、早く教会行こうよ」
「う、うん」
クラウストラに急かされ、ロークは足早に魔獣駆除現場を去った。
食糧品や雑誌などを売る個人商店をみつけて入る。
元は菓子パンを並べたらしい商品棚には「入荷未定」の札がずらりと並ぶ。
缶ジュースの棚も空きが多く、大部分が期限ギリギリだ。
入口脇のワゴンで色とりどりの缶詰が投げ売りされる。羊肉の缶詰を見ると、魔哮砲戦争前の製造で、期限は今年の年末までだ。
レジ前に今日の朝刊が一部あった。取り残されたような新聞もカゴに入れる。
「おや、こんなたくさん……ありがとうね」
店番の老婆が、喜びで顔中の皺を深くする。
どうやら店仕舞いではなく、仕入先が動けないらしい。老婆の背後に貼られた入荷予定のメモは、どれも来月半ば以降の日付で「変更の可能性あり」と但し書きがあった。
雑居ビルや個人商店、会社員向けのカフェや大衆食堂が占める街区を抜けると、公園に行き当たった。
ゼルノー市と同じ遊具はあるが、子供どころか大人も居ない。
児童公園を通過すると、住宅街に出た。庭付きの戸建物件はなく、アパートと低層マンションが空と通りを四角く区切る。
道の先に教会の尖塔が見えた。
平日の半端な時間帯だが、礼拝堂には数組の親子連れと、子供向けの聖典を読み聞かせるボランティアが居る。
ロークは肩掛け鞄に先程買った物を詰め直し、礼拝堂奥の説教壇前に立った。
見上げると、ステンドグラスを背にした聖者像が、両腕を広げて穏やかな微笑で信徒を迎える。この教会の内装と聖者像にも、【魔除け】などの呪印や力ある言葉が巡らせてあった。
……何が“悪しき業”だ。
ロークは跪いて胸の前で指を組んだ。目を伏せ、祈るフリで読み聞かせグループ以外の信徒の話に聞き耳を立てる。
ここでも、商店街同様、パート先の心配や物価への不安が話題の中心だ。
読み聞かせの邪魔にならないように絞られた声は、それでも耳についた。
「教会が近くて助かるわぁ。お外で遊ばせてあげられないから退屈してて」
「ウチも。保育所が閉まって預け先がなくなって、パートにも行けないし」
「こんななのに選挙なんてできるの?」
「ウチも通知書届いたけど、行けない人って多そう」
「でしょ? 税金の無駄遣いよねぇ」
「戦争中なんだから融通利かせて、大統領は変えなくていいと思うんだけど」
「結局、ポデレスさんがするんなら、選挙なんて時間と税金のムダよ、ムダ」
十二月には、予定より遅れて二回目の予備選が行われる。
ロークは、投票率の低さを思い出して立ち上がった。
☆魔獣の消し炭は呪符の対価や素材
作り方……「408.魔獣の消し炭」「520.事情通の情報」参照
対価……「385.生き延びる力」「519.呪符屋の来客」参照
素材……「398.価値ある勉強」「399.俄か弟子レノ」「427.情報と作戦案」参照
☆地蟲/隊長さん、そんなのと拳銃一丁で戦った……「906.魔獣の犠牲者」参照
☆この教会の内装と聖者像にも、【魔除け】などの呪印や力ある言葉……「432.人集めの仕組」「433.知れ渡る矛盾」「763.出掛ける前に」「896.聖者のご加護」参照
☆商店街同様、パート先の心配や物価への不安……「1291.庶民の恨み節」参照
☆予定より遅れて二回目の予備選……大統領予備選「1167.流れを変える」「1267.伝わったこと」、変更後「1293.ずれた解決策」参照
☆投票率の低さ……「1162.足りない信任」「1164.信任者の実数」参照




