1293.ずれた解決策
カフェの僅かな客は大半が会社員で、備え付けの新聞や雑誌を広げて代用珈琲を啜る。或いは、ノートパソコンを開き、肩を並べて商談中だ。
インターネットが繋がらない現在、タブレット端末を出す者はロークとクラウストラの他に居なかった。
……こんな近くで魔獣と戦ってたのに……フツーに仕事?
ロークは、事務所に擬装した拠点が入居する雑居ビルや、このカフェの人々の落ち着きぶりに驚き、呆れた。
ネモラリス共和国では――少なくともロークが生まれ育ったゼルノー市では、考えられない。
魔獣や魔物は市壁の【結界】に阻まれ、外側からは侵入できなかった。
市壁の内側で死体などから涌いた場合も、魔装警官隊が付近の住人らを退避させて【流星陣】を張り、軍か魔獣駆除業者が始末する。
ある程度は自力で身を守れる魔法使いが多いゼルノー市でさえ、万一への備えは厳重だった。
力なき民しか居ないアーテル共和国の本土で、何故、こんな至近距離で普通に過ごせるのか。
……そこに居るって知らされてない……とか?
多分、あの駆除業者も【流星陣】を張ったのだろうが、強力な半面、銀糸が切れたら失効する脆い術だ。
建物に魔術的な防護が何ひとつない街で、何故、こんなにも落ち着いて居られるのか。
近くのテーブル席から商談が聞こえる。
「瓦礫が片付いたお陰で配送が動いて、やっと一息つけました」
「そう言われてみれば、新しい爆破のニュースがありませんね」
「恐らく、テロリストが霧で身を隠せなくなったからでしょう」
「冬将軍のお陰ですね。これからの時期は火事が怖いですが、霧が出ないのは有難いことです」
「このまま何事もなく終わってくれれば、ケーブルの復旧も……」
物流の復旧を喜んだ声は、祈るように言い掛けたが、続きを言葉にしなかった。
……新聞に載ったあれが、本当に通信事業者の公式発表だって、裏付け取れたもんな。
通信大手五社が出したのは、実質的に「終戦まで復旧作業しない宣言」だ。
アーテル政府と国内の通信事業社は、可搬式の衛星通信機を緊急輸入したが、小型の機器は通信速度が遅い。しかも、アーテル共和国内では価格が高騰し、中小企業には到底、手を出せない高嶺の花だ。
星光新聞は、バルバツム連邦の本社から救援物資として確保した。紙面に写真が載るようになり、国際ニュースも復活した。
「後は移動体衛星通信システム一式の値段が、もう少し落ち着いてくれればいいのですが」
「湖の爆発がなくなれば、船に可搬式の通信衛星アンテナ局を積んで来られるそうですが」
「船だけ来ても、交換局が復旧しませんことには……」
「ですよね。電話も衛星と直接繋がる端末は品薄で手に入りませんから、こうして手紙で連絡して、中間地点でお会いするしかありませんし、この先ずっととなると、日数もコストもどれだけ嵩みますか」
「我々は郵便が届く分、まだマシですよ。屋上に魔獣が居座る社は、全社員が自宅待機だそうですから」
「ネットも電話も使えませんから、テレワークすらできないんですよね」
商談の会社員は、互いに淡い希望を出しては、現実を並べてダメ出しし合う。
戦争が続く限り、事態は好転しないが、どちらもその件に触れようとしない。
仕事の話風だが、実のない愚痴でしかなかった。
「アマチュア無線がいいと小耳に挟んだのですよ」
「ほう……御社で具体的な進捗が?」
「案は出ても、資格を持つ社員が居りませんものですから、決裁が降りないのですよ」
「免許取得の費用と期間は、どの程度を見込んでおられますか?」
もう一方が、明るい声で食いついた。
「免許自体は、そう難しくなく、頑張れば小学生でも取れるそうです」
「そんな簡単だったのですか」
ロークは二人の声の明暗差が気になって、耳に全神経を集中させた。
「しかしですね、今は教本がどこも売切れでして、インターネットも繋がりませんので詳しい情報もなく、いつ手に入るか全くわからないのですよ」
「あー……機材調達の方はいかがですか?」
質問した社員の声も暗くなる。
インターネットが繋がれば、参考書を買わずに試験対策できる。いや、そもそもアマチュア無線自体が必要なくなる。
「インターネット普及前は通信の主流でしたが、現在は趣味の世界ですからね」
「成程。元々の台数が少ない上にこれ……注文が殺到して値上がりが凄い、と」
ロークは、窓にうっすら映る斜め後ろの席を見詰めた。
ノートパソコンを広げた会社員が、肩を並べて代用珈琲を啜る。眉間の皺は、味のせいばかりではなかろう。
「それに、試験も年に一度しかないのですよ」
「次の実施は、いつ頃になるんでしょう?」
「来年の六月までありません」
「それは……しかし、大統領選が十二月にズレ込んだくらいですからね。受験者が殺到すれば、会場の確保も難しくなるでしょうし、魔獣の方もどうなりますか」
不安要素を並べる声が、次第に早く小さくなる。
「既に免許がある人を通信員として雇う社もあるそうですよ」
「成程。高騰した機材を買いに走るより、人を雇って私物を借りた方が安くつきますか」
「回線が復旧すれば、必要なくなりますからね」
二人の声が僅かに明るさを取り戻した。
「成程。みなさん、色々な手を考えていらっしゃるのですね」
……後で求人雑誌と新聞の求人広告、見てみよう。
よく連絡する事業所双方が、アマチュア無線の機材とそれを扱える人材を確保できなければ、文字通り、話にならない。今頃は「機材を持つ有資格者」の争奪戦が発生中かもしれなかった。
……それにしても、本格的に戦争が終わらなきゃ仕事どころじゃないと思うんだけどなぁ。
空襲で街が焦土と化したネモラリス共和国と比べると、アーテル人の対応はどこかズレがあるような気がした。
☆新聞に載ったあれ……「1266.五里霧中の国」参照
☆本当に通信事業者の公式発表……「1260.配布する真実」「1261.対クレーマー」「1267.伝わったこと」参照
☆星光新聞は、バルバツム連邦の本社……「1107.伝わった事件」参照
☆船に可搬式の通信衛星アンテナ局を積んで来られる……「1257.不備と不手際」参照
☆衛星と直接繋がる端末……「1225.ラジオの情報」「1257.不備と不手際」参照
☆屋上に魔獣が居座る社……「1253.攻撃者の目的」参照
※ アマチュア無線
ネモラリス共和国では現役……「611.報道最後の砦」「0981.できない相談」参照
クルィーロも免許保持者……「0984.簡単なお仕事」参照
☆空襲で街が焦土と化したネモラリス共和国
空襲を受けた街……「304.都市部の荒廃」参照
空襲を免れた街……「305.慈善の演奏会」参照
大規模空襲を撃退……「309.生贄と無人機」「326.生贄の慰霊祭」参照
難民キャンプ……「415.非公式の視察」「738.前線の診療所」参照
ひっそり反撃……「440.経済的な攻撃」参照
国外からの目……「751.亡命した学者」~「753.生贄か英雄か」参照
再度の空襲……「757.防空網の突破」~「759.外からの報道」参照




