1291.庶民の恨み節
「電柱が復旧したってコトは、もうすぐネットも繋がるってコトですよね?」
ロークが聞くと、喫茶店のおかみさんは、細口の薬罐から代用珈琲に熱湯を落として小さく溜め息を吐いた。
ペーパーフィルターからガラス器へ褐色の液体が滴る。
「そうだといいんだけどねぇ」
「新聞、読まなかったのか?」
テーブル席のひとつから呆れた声が飛び、ロークとクラウストラはカウンターの椅子を半回転させて声の主に向き直った。
「ウチはダウンロード版しか取ってなくて」
「テレビとラジオは放送時間を逃したらそれっきりですし」
ロークの答えにクラウストラが被せると、先客たちは苦笑した。
「ニュースは録画してまで見ないもんな」
「ちょっと前、船に可搬式の衛星通信基地局を積んで、ルフス沖に停泊させて仮復旧させるって話があったんだけどな」
「湖でも何回も爆発があって、通信会社がみんな怖気付いちまってよ」
「湖で爆発?」
クラウストラが可愛く小首を傾げる。
「そりゃ、アレだ」
「ネモラリスの攻撃だろ」
「どんなド下手か知らんが、陸に当てらんねぇんだ」
「当たらなくて結構じゃないの」
おかみさんがメッと常連客を睨む。
「戦争って、今どうなってるんですか?」
クラウストラが身体ごと振り向いて聞くと、おかみさんは眉を下げた。
「どうもこうも。終わるってハナシは聞かないねぇ」
「この爆発も、どうせネモラリスのテロリストの仕業に違いねぇ」
「お嬢ちゃん、戦争ってなぁな、相手があるコトなんだよ」
「こっちがやめようつっても、向こうが殺る気満々だったら、やめるにやめられんだろ」
「あぁー……」
「ですよねー」
代用珈琲のカップが年若い一見客の前に置かれ、二人が褐色の香ばしい飲み物を啜って頷くと、常連客は勢い付いた。
「だろ? ポデレス大統領がディケア政府を通じてネモラリスに対話を呼掛けたのに、奴ら返事もしやがらねぇ」
「もし、あっちの国の偉い人が、そうだね、もうやめようって言っても、実際、攻撃してるのが軍隊じゃなくてテロリストだったら、そんなの無視して続けたりしませんか?」
ロークがなるべく賢くなさそうなフリで疑問をぶつけると、常連客はみんな難しい顔で黙った。
一人がトーストを代用珈琲で流し込んで言う。
「まぁ、星の標も向こうで爆弾テロやってるそうだから、おあいこだけどな」
「ツケにしといてくれや」
「はいはい。今日も一日、ご安全にね」
食べ終えた工員たちが次々席を立って出勤する。
おかみさんは笑顔で送り出すと、ロークとクラウストラの前に薄いトーストを置いて、カウンターを出た。
客が居なくなった卓を片付けながらぼやく。
「育ち盛りなのにそんな薄っぺらいのしかなくてゴメンね」
「いえ、トースト、すっごい久し振りで嬉しいです」
ロークが香ばしく焼けたパンを齧ると、おかみさんはひとつ溜め息をこぼして卓を拭いた。
「戦争前はその倍くらい分厚かったし、茹で卵も付けてたんだけどね。戦争のせいでバカみたいに値上がりしたし、本物の珈琲や、新鮮な卵も手に入らなくなるしで、いつ閉めようかと思ってるとこさ」
「あー……閉まっちゃったお店、増えましたもんね」
「でもね、ウチが店畳んだら、あの人たちが朝ごはん食べらンなくなるからね」
「責任重大ですね」
クラウストラが頷くと、おかみさんは重ねた食器を下げて言った。
「そうなのよ。開けたら開けただけ赤字が出るんだけど、戦争さえ終わったら何とかなると思って、踏ん張ってンのよ」
ロークは祈りの詞を唱え、トーストの残りを頬張った。
現金で支払って小さな喫茶店を出る。
中途半端に食べたせいで却って空腹感が増した。
小学校の門で、休校のお知らせをみつけて撮る。
下町の住宅街を抜け、商店街に入ると人通りがあった。
八百屋の店先で子連れの女性たちが立ち話をする。
ロークはタブレット端末で野菜の値段をメモしながら耳を傾けた。
「保育所が開かないせいでパートに行けないのよ」
「でも、まだ有給が残ってるんでしょ?」
「後二日しかないわ」
「ウチはクビだって言われたわ」
「おかーさーん、リンゴかってー!」
「ここ八百屋さんだから、リンゴないから」
「リンゴほしー!」
生野菜は、ロークがルフス神学校に居た頃の調査と比べ、三倍以上も値上がりした。この分では、果物も庶民の口には入り難いだろう。
「この辺には魔獣が出なかったんだから、開けてくれればいいのに」
「役所が一律で休みにしたから」
……役所もネットが繋がらないせいで、情報収集できなくて、一律に休ませるしかないんじゃないかな?
彼女らが焦りと苛立ちを募らせるのも無理はない。
電話も、電柱に取付けられた小型基地局の爆破に巻き込まれ、物理的に回線が切れた。電柱と電線が復旧しても、交換局がビルごと爆破された為、不通が解消されない。
現地調査しようにも、魔獣が居る可能性を排除できず、調査官が捕食されるかもしれない上、時間が掛かるのだ。
ロークは、隣のパン屋でシャッターに貼られた大量の催促や苦情の紙を撮って離れる。
この商店街は、全体の約七割が空店舗だった。
住宅街より人通りはあるが、店に賑いはない。
クラウストラが、空店舗に挟まれた細道に入った。薄闇で蠢く雑妖の群が一斉に道を空ける。
角を曲がると、空調の室外機が並ぶ裏手に出た。
「次、オフィス街ね」
「お願いします」
クラウストラはロークの手を握って【跳躍】を唱えた。
☆船に可搬式の衛星通信基地局を積んんで、ルフス沖に停泊させて仮復旧させるって話……「1241.資金を集める」「1266.五里霧中の国」参照
☆湖でも何回も爆発……「1257.不備と不手際」参照
☆ポデレス大統領がディケア政府を通じてネモラリスに対話を呼掛けた……「1214.偽のニュース」参照
☆星の標も向こうで爆弾テロやってる……「781.電波伝搬範囲」「788.あの日の歌声」参照
首都クレーヴェル……「687.都の疑心暗鬼」「690.報道人の使命」「711.門外から窺う」「715.テロの被害者」「720.一段落の安堵」「732.地上での予定」「754.情報の裏取り」「780.会社のその後」参照
レーチカ市……「777.西端の休憩所」参照
ヴィナグラート市……「820.連続窃盗事件」「834.敵意を煽る者」参照
カイラ市ー……「1020.この街の治安」参照
カーメンシク市……「1041.治安と買い物」参照
☆ロークがルフス神学校に居た頃の調査……「765.商いを調べる」参照
☆役所が一律で休みにした……「1260.配布する真実」参照
☆交換局がビルごと爆破された……「1214.偽のニュース」「1218.通信網の破壊」「1223.繋がらない日」「1225.ラジオの情報」「1228.安全な場所は」「1231.すれ違う文武」「1234.長期化を予想」参照




